BY HIROFUMI KURINO, PHOTOGRAPHS BY YASUTOMO EBISU, STYLED BY TAMAO IIDA, EDITED BY SATOKO HATAKEYAMA
ファッション・ビジネスが肥大化し、消費の速度が加速化する中“ひとはなぜ装うのか?”という命題を見つめない限りファッションは単なるモノの売り買いや巨大企業の消耗戦の場として自らの魅力や価値を棄損していく、と危惧しているのは私だけではないだろう。しかも、その“ビジネス”や“消費ゲーム”さえも新型ウィルス禍のような予想不可能な要素によって容易(たやす)く弱体化してしまう現実の中に我々はいる。
ひとが装うことによって、ひととしての尊厳(Dignity)を再確認できること、それこそファッションが担うべきものではないのか。政治の世界に顕著な“ひとの劣化”や“非寛容の横行”、これが世界の現状なのか、それでも“ひと”は気高く生きることができるのか......。そんな焦燥感に対するエレガントな答えを私はミキモト コム デ ギャルソンに見た。単なる高級品やブランド商品、宝飾品としてのプロダクトではなく、真珠というものが本来もっていたスピリチュアルな意味合いをも込めたメッセージをヴァンドーム広場でのプレゼンテーションは問うていた。
それはモデルやマネキンではなく“ボディ”に、それもある種の生々しさを内包した姿に着せることにより表現されていた。“見せびらかす宝飾品”ではなく、男性も女性もともに背筋を伸ばし、襟を正して生きていく決意表明を手助けするかのような真珠たち。ファッションが本来もっていたシャーマニックな要素さえあるように感じられる。ミキモト コム デギャルソンによって“ひとの品格と装い”に思いをはせる男性、そして女性が多く出現することを期待したい。
HAIR BY ASASHI AT OTA OFFICE. MAKEUP BY NOBUKO MAEKAWA AT PERLE. MODELS BY EUN SANG, HISAKI HAYASHI