BY ITOI KURIYAMA
全てはブランドを立ち上げるために
受賞を機に出た多くの記事で見かける桑田は、精悍な顔立ちにサイドを刈り上げたヘア、趣味の釣りによるという焼けた肌。その無骨な風貌に加え、ジバンシィといったラグジュアリーブランドだけではなくYeことカニエ・ウェストのデザインチームにまで在籍経験を有し、海外をベースにコンセプチュアルな名のブランドを展開している。勝手に近寄りがたいイメージを持っていたが、プレゼンテーションではユーモアも交えながら丁寧に、そして堂々と2024-25年秋冬コレクションについて説明。朝食会では参加者一人ひとりに挨拶をして周っていた。イベント終了後、単独取材を始める頃には、その謙虚で親しみやすい人柄のおかげですっかりこちらの警戒も和らいでいたのだった。
桑田が海外へ飛び立ったのは21歳の時。 オーダーメイドのスーツづくりで有名な、ロンドンのサヴィル・ロウでテーラリングを学ぶためだ。
「小さい頃からテーラリング、特にジャケットが好きだったんです。分解してみたらいろんな層があって面白い。ちゃんと構造を理解して作れるようになりたい、と思いました。ひょっとすると少年たちがプラモデルに夢中になる感覚に似ているのかもしれませんね」。
母親に教えてもらったりしながら10歳になる頃にはミシンを使って服を作るようになった。数年後ファッションデザイナーという職業を知り、自分のブランドを立ち上げたいと考える。
「大好きな服を作って売ることが仕事になるファッションデザイナーって良いな、と幼いながらに思い、すでに“和洋折衷”のようなことをやりたいとも考えていました」。
その目標に向かって、まずは「勉強のために」国内の有名セレクトショップの販売スタッフに。服のイロハを学ぶ中で先輩たちから「テーラリングの本場はイギリス」という話を聞き、イギリス行きを決意した。
英語はできなかったがサヴィル・ロウのテーラーを片っ端から周って「ギブ ミー ジョブ」と言い続け、ようやく映画『キングスマン』(2014)の舞台ともなった老舗「ハンツマン」で職を得る。セント・マーチン美術大学にも通いつつ、服づくりを学ぶ日々を送るのだった。
「セント・マーチンの先生には、狭き門であるサヴィル・ロウでの経験の方が貴重だから、そちらを優先させなさい、と言われました。サヴィル・ロウは文化を学ぶ場でもある。とりあえずいろんな人とお話をして、一分一秒を惜しんで何でも吸収しようとしていました」。
その後、あらゆるジャンルのブランドに籍を置くのだが、それも「自分のブランドを立ち上げる」という目標の実現のため。
「わざといろんなところを選んだんです。ラグジュアリーブランドをある程度経験したら次はアウトドア、靴、バッグという感じで。サステナビリティを勉強したいからその先駆的ブランドと言われるイードゥンに行ったり。もちろんラグジュアリーブランドで働くステイタスは理解できますが、僕の場合は自分のブランドのために学びながら給料をもらえる環境の方が重要でした」。
和洋折衷のタイムレスな服
セレクトショップに就職してから20年近くが経ち、「まだまだ学ぶことはありますが、もうそろそろやらないと」と2020年にセッチュウをスタートさせる。日本、中国、アメリカなどいろいろな国でものづくりを試したが、高度な手仕事に魅了され、イタリアで生産することに。工場とのやりとりに都合が良いミラノに拠点を置いた。
経験を積む中で、「iPhoneや、エルメスのバーキンやケリーといったバッグ、リーバイス®のジーンズ501®のように、世界中でコンスタントに売れているものは高品質で、シーズンごとに劇的に変化させるのではなくタイムレスな型を更新している」ということに気づき、そうした方向性でコレクションを構成していきたいと思うように。そして、「オートクチュールではないので万人に合うものではないが、万人が使いやすいこと」を心がけることにした。そのために必要なのはシグネチャーとなるアイテム。試行錯誤を重ね、コロナ禍で時間ができて集中して取り組めたことでようやく「折り紙ジャケット」が生まれたのだった。
「自分が日本人だということもあり、折り紙の原理を使ってデザインしました。それにサヴィル・ロウ流の仕立て方、イタリアの工場流の作り方を融合させています。折り紙のように畳めるうえに、趣味の釣りに行くとき釣具がかさばるのでどうにか服の量をコンパクトにしておしゃれもできないかと思ったことから、いろいろな着方ができるのも特徴です。シーズンごとに素材を変えたり、さまざまなアイテムに置き換えたり、新しい着方をどんどん足して世界観を深めていっている感じです」。
「和洋折衷」は幼い頃に思いついたアイデアだが、日本の要素を取り込んでいるのは「先人のおかげで、海外で日本が人気」であること、そして自身のルーツによるところは大きい。
「特に若い世代の方に日本の文化を正しく伝えたい、という気持ちはあります。例えば言葉だけがひとり歩きして本当の意味はよく知られていない“ゲイシャ”を、着物で衣紋を抜いたような姿になるモデルの名にすることによって、“東洋ではうなじを見せることがセクシーである”、という教養を身につけるタイミングにもなるのかもしれないな、と」。
そうして確固たるコンセプトを掲げて発進したセッチュウは、設立わずか3年目でLVMHプライズのグランプリを受賞。現在はミラノ・メンズ・ファッションウィーク期間中に新作を発表している。ただ、「生地をオリジナルで作っているので他ブランドに比べて生産に時間がかかり、スケジュール的に都合が良い」からそうしているだけで、メンズウェアとして打ち出しているわけではない。
「サヴィル・ロウは長年にわたって男性が優勢を占めてきた業界で、“女性お断り”のお店もあったのがすごく恥ずかしいな、と感じていました。ですから、僕にはサヴィル・ロウの服を女性にも着てもらいたい、という思いがあります。男性と女性では骨格の違いがあるので袖付けをニュートラルにしたり、ドローストリングウエストにしてサイズを調整できるようにして、性別問わず着られるようにしているんです」。
人類が火星移住する未来までを見つめる
20年近くかけて10代前半で掲げた「自分のブランドを立ち上げる」という目標に向かって努力を重ね、遂に新人の誰もが羨む賞を受賞したわけだが、今後についても綿密なプランを立てているのだろうか?
「特に日本での知名度がまだまだ低いので、引き続きこつこつ頑張っていかなければなりません。生地作りを他企業から注目していただいていることもあり、こちらもますます力を入れていきたいですね。将来については、実は人類が火星に移住するところまで考えているんです。火星にある資源だけで服を作るとか…これから宇宙開発は絶対重要になってくると思うので」。
幼い桑田が「和洋折衷をテーマとしたブランドを立ち上げる」と宣言した時も、周りの大人は戸惑ったのだろうか。今聞くと少々突飛に思われる火星での服づくりだが、桑田のこれまでを考えると、着々と準備を進めて実現させるような気もしてくる。今後ランウェイショーの開催やショップのオープンなど、ファッションデザイナーとして少しずつ歩を進めていくのだろうが、それがどう実を結んでいくのか目が離せない。