ナデージュ・ヴァンヘ。エルメスのレディスプレタポルテ部門を担う彼女が抱く、多様な関心を垣間見る

BY LAURA MAY TODD, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 エルメスのレディスプレタポルテ部門のアーティスティック・ディレクター、ナデージュ・ヴァンヘ(46歳)のファッションへの入り口はロックスターだったという。「音楽の影響は大きい」と彼女は言う。「故郷はフランス北部の田舎町。カルチャーに飢えていた」。1990年代半ば、モロコやジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンなど英米のミュージシャンのライブに通う。「着ていく服は蚤の市で考えた」。たとえば、黒のクレープドレスとレザーパンツの重ね着にモカシン。10代の彼女にとっては単なる服選びではなく、「アイデンティティの確立に必死だった」。

画像: 「ファッション業界に進んだのはかなり早かった。それも相当な覚悟をもって。この仕事は木陰に置かれた美しい贈り物なんかじゃない。家族全員、そして自分自身にも言い聞かせる必要があった。『私ならできる』と。家族は、ファッションデザイナーは画家と同様に生計を立てるのが難しいと思っていた。でも私はファッションの芸術性と表現の自由に魅了されていたのです」 INEZ AND VINOODH/COURTESY OF HERMÈS

「ファッション業界に進んだのはかなり早かった。それも相当な覚悟をもって。この仕事は木陰に置かれた美しい贈り物なんかじゃない。家族全員、そして自分自身にも言い聞かせる必要があった。『私ならできる』と。家族は、ファッションデザイナーは画家と同様に生計を立てるのが難しいと思っていた。でも私はファッションの芸術性と表現の自由に魅了されていたのです」

INEZ AND VINOODH/COURTESY OF HERMÈS

 ヴァンヘはベルギーとの国境に近いスクラン(人口約1万3000人)で生まれた。アルジェリア人の母とフランス人の父は、創作より学業を重んじ、「両親は合理的」と彼女は述懐する。アントワープ王立芸術アカデミーを2003年に卒業し、当時のメゾン・マルタン・マルジェラ、セリーヌではフィービー・ファイロのもとで働いた。2011年にザ・ロウのデザイン・ディレクターに就任。エルメスに起用される2014年までニューヨークで過ごす。現在の役割はメゾンの歴史的価値─馬具の伝統と匠の革細工─に自身の多様な関心─ピナ・バウシュやトリシャ・ブラウンら近代舞踊の巨匠たち、ザ・スミスなどのロックバンド─を組み合わせることだという。

「木を眺めるのが大好き。といっても、私はヨガマニアじゃないけど。木はとてもしなやかな生き物だと思う。自分で光の方向を見つけるし、生命力が強い。この写真はフランス北部のピカルディで散歩の途中に撮影したもの。パリから遠くないのに美しい森が多い土地で、ここへは大抵友人と。何時間も話します」

COURTESY OF NADÈGE VANHÉE

画像: 「ジョン・ウォーターズ監督の作品を初めて観たのは20代前半のときで、『I love ペッカー』(1998年公開/ボルティモアの素人カメラマンが突如ニューヨークのアート界隈で有名になるコメディ)だった。ウォーターズにとても親しみを感じました。彼は米国をはみ出し者集団として描き、私はそこに強く惹かれました」 NICOLAS RUSSELL/GETTY IMAGES

「ジョン・ウォーターズ監督の作品を初めて観たのは20代前半のときで、『I love ペッカー』(1998年公開/ボルティモアの素人カメラマンが突如ニューヨークのアート界隈で有名になるコメディ)だった。ウォーターズにとても親しみを感じました。彼は米国をはみ出し者集団として描き、私はそこに強く惹かれました」

NICOLAS RUSSELL/GETTY IMAGES

「いつもローズ・キッチン(シェフのローズ・チャラライ・シンがパリに構えるプライベートレストラン)へお茶を飲みに行き、彼女とふたりで語り合います。長いダイニングテーブルが置かれていて、奥にオープンキッチンがあり、『プライベート』と『パブリック』が交差するユニークな空間。ローズの息子も料理が得意で、私と私の娘のために点心を作ってくれた。ローズから教わったレシピを娘に見せてくれて……とても特別な時間でした」

CLEMENT VAYSSIERES

画像: 「(ロンドン生まれのファッションデザイナーである)アンドレ・ウォーカーのもとでインターンをしていた1998年頃の写真で、たまたま私が写り込んでしまった。私の目の下にできたクマを見れば徹夜明けだとわかるはず。この職場で、私は水を得た魚のように自分らしく働くことができた。アンドレのクリエーションは夢があって大好き。彼はいつも人生を楽しんでいるし、つねに冒険心にあふれている」 COURTESY OF NADÈGE VANHÉE

「(ロンドン生まれのファッションデザイナーである)アンドレ・ウォーカーのもとでインターンをしていた1998年頃の写真で、たまたま私が写り込んでしまった。私の目の下にできたクマを見れば徹夜明けだとわかるはず。この職場で、私は水を得た魚のように自分らしく働くことができた。アンドレのクリエーションは夢があって大好き。彼はいつも人生を楽しんでいるし、つねに冒険心にあふれている」

COURTESY OF NADÈGE VANHÉE

「アントワープ王立芸術アカデミーに在学中、人生にはさまざまな予期せぬ出来事がつきものだと、初めて思い知らされた。だからこの学校にいる間に、ストレスやプレッシャーとのつき合い方について多くを学んだ。同時に、実験することをいとわないスピリットをもつこと―実験から疑いや好奇心が生まれ、それらがアイデアにつながる―を教えてくれたのもこの場所です。ここでの学びは、私の人生におけるとても重要な時間になった。立体裁断やデザイン画の描き方はもちろん、美術史や社会学、人類学、建築、写真についても勉強しました。当時ファッション学部長だったリンダ・ロッパは、学生自身の内面からコアな部分を引き出そうとしました。だからこそ、この学校は数多くの個性豊かなクリエイターを輩出しているのです」

ALAMY/AMANAIMAGES

→②に続く

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