さまざまな分野で活躍する“おやじ”たち。彼らがひと息つき、渋い顔を思わずほころばせる……そんな「おやつ」とはどんなもの? 偏愛する“ごほうびおやつ”と“ふだんのおやつ”からうかがい知る、男たちのおやつ事情と知られざるB面とは。連載第12回は小説家の滝口悠生さん

BY YUKINO HIROSAWA, PHOTOGRAPHS BY TAKASHI EHARA

 滝口さんの職業は小説家。純文学の登竜門と言われる芥川賞はじめ、さまざまな文学賞を受賞し、短編から中編、時にはエッセイ、そして最近では長編小説にも挑む、コンスタントに作品を発表する期待の作家だ。と書くと妙な圧力を与えてしまいそうだが、滝口さんご本人の人柄は、まるで逆。日々を丁寧に暮らしているのが語らずとも伝わってくる、いつだって穏やかで柔らかな空気に包まれている人だ。

 多忙ゆえ、終電まで仕事をがんばるブックデザイナーの妻・佐藤亜沙美さんとの家族だんらんは、朝。滝口さん自ら朝食を作り、向かい合ってそれを味わい、深煎りのコーヒーを淹れておめざを食べながら日々のあれこれを語り、10時前に妻を送り出すのがルーティン。

「僕の仕事は在宅なので、昼間は息抜きに散歩がてら買い物に出ることも多い。そのときにお茶請けのようなものを買うことも多く、ごほうび感覚で選ぶのが、よく通る商店街にある和菓子屋さんの“どら焼き”。粒あんではなくこしあんがたっぷり入っているのが珍しくていいな、と。時々手みやげにすることもあります」。

画像: 「まん月」1個¥150 三笠家 TEL. 03(3321)2649

「まん月」1個¥150
三笠家
TEL. 03(3321)2649

 自宅の作業部屋に移り、パソコンの前に座っていざ執筆。「とはならなくて。作家さんによっては事前にプロットや下書きをつくって、書きはじめたら一気に書き進めていくという方もいると思うのですが、僕の場合は、ずっと立ち往生みたいな感じです。たとえば書いている途中で“調べる”作業がとても重要で、執筆中のストーリーが過去の設定なら、当時の状況や出来事や生活環境、その時代に生まれたカルチャーとか、いわゆる時代背景、あとは地形とか交通事情とかを調べたりします。でも本とかネットとかを見てるうちに、脱線して違うことを調べはじめてたり、気づけば夕方になっていた、なんてこともしょっちゅうで(笑)」。

「それだけやっておきながら結局、作中には使わないこともじつは多いのですが、書く側としてはもったいないとも無駄とも思っていなくて。そうやって調べたり考えたりしたことは、登場人物の言動や描写にも間接的に影響するし、それによってストーリーや内容も変わっていく。なので、作中で使う使わないにかかわらず、書く作業の一環なんです。書くために調べ、調べたことで物語が先へ進んでいく感じでしょうか」。矛盾がなく綿密だからこそ、滝口さんの描く世界に、いつのまにかドボンと溺れてしまうのかもしれない。

「今は専業になりましたが、輸入食品会社で働きながら小説を書いていたときは、そこで取り扱うおやつをちょこちょこ買っては、休憩中につまんでいたんです。その名残か、執筆中や息抜きの時間にコーヒーとともにドライフルーツやチョコレートといった“お茶請け”をつまみますね。なかでも無性に惹かれるのが地方のおみやげ菓子で、特に好きなのが沖縄の『ちんすこう』。聞き慣れない語感も、ゆるい見た目も、素朴な味も、全部にかわいげがあるんですよね。好きだけど通販とかでわざわざ買ってりするほどではない。けれど、たまにいただくと、『あ、そういえばこれ好きだった』と、うれしい。そしていつ来るかもわからない…… 適度な距離感がいいんです(笑)」。

 話題を変えて、気になっていた質問をひとつ。小説の中に描かれた食べ物やおやつの描写は、匂い立つような美味しさを放つ。作家の側から見て、それはストーリーの中にどんな効果をもたらすのだろうか?

画像: 琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統菓子「ちんすこう」。メーカーのこだわりはなく、滝口さんはプレーン味がお好みだそう

琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統菓子「ちんすこう」。メーカーのこだわりはなく、滝口さんはプレーン味がお好みだそう

「まず“食べる描写”と“調理の描写”によって異なると思うのですが、前者ならば、視覚や触感よりも、より本能的で個人的な表現ができる。甘いとか辛い、口当たりが柔らかいなどの味覚は人それぞれで全く異なるけれど、視覚や触感は、そこまでの違いが出しにくいんです。実在しないフィクションの中の人の感覚や心理に近づける分、うまくいくとキャラクターや人物像の説明では書き得なかった部分を表現できるかもしれないですね。“調理の描写”についてはいくつかあって、ひとつ挙げるとすれば、調理している人の時間みたいなものがあり、どんな食材を選ぶか、それを扱うのに慣れているか、いないのか。材料の切り方は? どんな風に調理するか? 過程の中で知識や経験、習慣みたいなものを映し出すことができると思います」

「また、少しテクニカルなことを言うと、読み手の五感に訴えることで読み手の能動性があがる。うまくいけば、読み手はその場面に感情だけでなく身体的に移入して文章を味わってくれます。もうひとつは、小説のなかで“あること”が始まってトントン拍子に進んで完成に至ることってなかなかない。だからこそ調理の過程を追う描写や、作中でひとつの料理が完成することって、小説内のテンポやリズムを変えることができるし、メリハリがつけられる。読み手にとっては給水地点みたいな、食事や料理の場面はそういう効果もあると思います。実は逆も然りで、書いていて行き詰まると、机を離れて料理をして、ちょっとひと息つくとか、見方を変えてみることもよくあります」

 最後に、作家になって8年目。書き続けて見えてきた景色はあるのだろうか?「原稿用紙100枚分書いたとしても、このままストーリーが続いていってよいのか、バッサリ削ったほうがいいのか、そもそも白紙に戻して土台から立て直したほうがいいのか? いつ頓挫するかわからない状態のまま書き続けるのは、正直しんどいこともあります。だけどわずかな手応えとどこかに受け止める人がいてくれると信じて書いて、ときに面白いパートが書けたりする瞬間があって、読み手に伝わるときがある。そういう苦しみ以上の余り有る喜びの瞬間を味わえるときがあるから続けられているのかな(笑)」。まっすぐな思いは、小説を書き始めた10代の頃と何ら変わりはないと言う。

「僕が書こうしていることは、決して特別なことではない。だからこそ、日常をおそろかにはできないし、それを大事に蓄積した時間が必要なんだと思っています」。今日はさっそく、おやつをつまみながら、滝口さんが描く世界に溺れてみよう。

滝口悠生(YUSHO TAKIGUCHI)さん
1982年東京都八丈町生まれ、埼玉県入間市育ち。2011年、「楽器」で第42回新潮新人賞小説部門受賞を受賞したのを皮切りに、野間文芸新人賞や三島由紀夫賞、さらに2016年には「死んでない者」で第153回芥川龍之介賞を受賞する。現在は、「新潮」にて長編小説「全然」を連載中。映画「男はつらいよ」のファンでもある
COURTESY OF YUSHO TAKIGUCHI

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