全米各地で人々が街頭に出て人種の平等を訴えると、レストランやシェフや活動家たちの多くが、自ら進んでデモの参加者に食事を提供した。何千年もかけて培われた、闘う手段としての食べ物。彼らは今、その古くからの遺産をさらに発展させた

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY JOSHUA KISSI, PROP STYLING BY BETH PAKRADOONI, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 社会が大きく変わっていく流れにおいて、食べ物はダイレクトに、かつ記号的に、その存在感を発揮する。食べ物は権力の象徴であると同時に、奪取される特権の象徴でもあるのだ。コカ・コーラは1950年代後半、どこにでも売っているにもかかわらず、アフリカ系アメリカ人にとっては禁じられた飲み物だった。店のドリンクバーやフードカウンターは人種で区別されており、コカ・コーラは白人だけに提供されていた。それが変わったのは、1958年。カンザス州のウィチタで、公民権運動家のキャロル・パークス・ハーンが30人の学生仲間とともに、ドックム・ドラッグストアに入って店内の席に座り、コーラを注文した。断られても彼らはその場にとどまり、来る日も来る日も交代で座り込みを続け、コーラ――アメリカの象徴であり、自分がこの国の一員であることを証明するもの――を頼んだ。座り込みは、店主が折れてすべての人にコーラを出すと約束するまで続いた。

 食べ物はごくありふれたものであり、理論上は誰でも買えるからこそ、その独占を許す制度の恩恵を享受する者たちが黙って民衆の手に届かないようにしてしまい、人々の日常生活に不自由を強いるようになっていく様子がうかがえる。18世紀のフランスで、のちに王妃となり処刑されたオーストリア皇女マリー・アントワネットは、実際には(パンがないのなら)「ケーキを食べればいいじゃない」とは言っていない。フランス人哲学者のジャン=ジャック・ルソーは、名前を伏せてはいるものの、それを言ったのは別の王族であると、自伝『告白』に綴っている。ルソーがこれを書いたのは、マリー・アントワネットがフランス皇太子と結婚する前である。だけど私たちは、彼女の口から出た言葉だと思いたいのだ。この言葉はいかにも、富める者は弱者の苦しみには無頓着で、あっけらかんとしている姿を完璧にとらえているからだ。「金持ちを食っちまえ!」というスローガンはルソーが使った表現に由来すると思われがちだが、これは正しくない。それはともかく、このスローガンは最近になってまた、変革を求めて世論を煽る人たちが盛んに使うようになった。彼らはおもしろおかしく、こんなふうに言い換えている。生きるために必要な食べ物がなくなったら、キッチンの棚が空っぽになったら、現代のマリー・アントワネットが私たちのご馳走になるのだろうか。そんな軽薄なものを、無理やり平らげなくてはならないのだろうか――。

 もちろん、「金持ちを食う」は言葉の綾であり、あくまでも空想の世界における復讐だ。だがその一方で、なんとも皮肉なことに、追い詰められた人々が選ぶもっとも過激な抗議手段は、食べ物を完全に断ってしまうことだ。暴力の矛先を自分自身に向け、圧制者の罪を自らの体を使って訴えることにより破壊的なインパクトを与え、自分たちの主張を世界に伝えようとするのだ。ハンガーストライキの歴史は、長い。インドには古くから、ダールナと呼ばれるものがあり(昔は貸し手が借主の家の入り口で座り込み、返済してもらうまで断食を続ける行為だったが、今は「座り込み」を意味する言葉)、アイルランドでは5世紀初頭にキリスト教が伝来する以前から、ケルト式の断食が存在した。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて活動したアイルランドの愛国主義者ローレンス・ギネルによれば、これは単なる儀式ではなく、社会的上位者の不正を正すために法で認められた手段であり、貧しい者にとって「権力に立ち向かう」ための稀少な武器であった。相手に改善を迫るあらゆる手段を試し、やり尽くしたあとは、不正を働いた者の足もとで公然と座り込み、償いを勝ち取るまで食を断つしかない。自らを飢えさせるという行為は、あまりにも社会の秩序を乱すため、被害者が被った身体的ダメージは加害者側にも跳ね返り、精神的な代償を負わせることになる――つまり、断食には霊的なパワーもあると考えるむきもあった(そして法的にも、実は恐るべき結果が待っていた。場合によっては、賠償金額が倍に膨らんだのだ)。

 ケルト式断食が機能した理由のひとつは、客を入り口でぞんざいに扱うと不面目のレッテルを貼られてしまうような小さな共同体において、人々は結束し、その結果に期待したからだ。それに対して、現代のハンガーストライキは、もっと広い意味での人々の怒りを拠りどころにしてきたことになる。しかも時として、圧制者の冷酷さが明るみに出ることによって、その目的は達成される。その一例が、20世紀初頭の英国で起きた事件だ。

 刑務所に入れられた婦人参政権論者たちは、(抗議の断食を行うなか)食べ物を無理やり口に入れられて、歯が折れてしまい、内臓も損傷した。このことが表に出ると、英国全土で非難の声が高まった。1981年には、北アイルランドの準軍事刑務所において、IRA暫定派のメンバー10人が数カ月にわたるハンガーストライキの末、死亡した。通常の犯罪者ではなく政治犯として扱ってほしいという要求は認められず、彼らのケルト式断食は報われなかった。英国のメディアの中には、彼らの死に敬意を表して「勝利」と呼んだところもあったが(ある新聞のエディターは「私は涙を流さない」と書いた)、冷酷な扱いに対して世界中から批判の声が上がり、アイルランドでは死んだ者たちを弔い、殉教者と崇める動きが広がった。ハンガーストライキを主導したボビー・サンズは、ストライキ続行中に英国議会議員に選出され、彼の葬儀には7万人以上が参列した。こうしたことを背景に、英国政府は刑務所の環境改善を迫られた。

 社会を動かす力を得るために、彼らは最後の手段としてハンガーストライキに踏み切った。ストライキが始まった日の声明で定義されているとおり、アイルランドのナショナリストたちにとって、あのケルト式断食は「利他的行為の実践」だったのであり――個人的な利益を得ようとする犯罪者の身勝手な行動ではなく――、「自分たちが掲げる正義を示すもの」だった。

1989年の春に北京の天安門広場を占拠した学生運動家たちは、祖国のために払う犠牲として、自分たちは食べ物を口にしないのだと、その決意を明確に定義した。「我々の骨格は形成途上にあり、死を迎えるには早すぎるが、心の準備はできている。実行せねばならない。中国の歴史で叫ばれてきたことに、我々は応えていく」。言葉の昂揚に呼応して、ハンガーストライキは激しく壮大な光景を呈していった。やがて3,000人もの学生が断食に参加し、なかには水さえ拒む者もおり、真昼の太陽が天安門を照らしつけるなか、彼らは急速に衰弱していった。広場は大勢の支援者で埋め尽くされ、医者や心配でたまらない親たちも駆けつけ、意識を失った学生を病院へ搬送する救急車のサイレンが鳴り響くたびに、人々は不安を募らせた。単なる若気の至りではなく、学生たちには知識層の一員という特別な身分があったからこそ、その命がけの行動には大きな説得力があった。己を飢えさせることによって、人々の信頼を集め、国を刺激した。だがそれも、政府が戒厳令を敷き、抗議運動の参加者に向けた武力行使を開始するまでのことであった。その後、何千人もの若者が拘束されることになり、数十年がたった今も、中国では大量虐殺についての記述は検閲によって削除される。

 英国の帝国主義に抗議して17回の断食に耐えたガンディーは、次のように警鐘を鳴らしている。たとえ成功したにせよ、ハンガーストライキは説得力をもつ前に、単なる脅しのような暴力的なもので終わってしまうかもしれない、と。敵は譲歩するかもしれないが、自分たちに非があったことは微塵も自覚していないかもしれない。そうであれば、彼らの譲歩はその場しのぎの対処にすぎず、恒久的な変革ではなくて、軽く絆創膏を貼っただけなのだ。

 食べ物を武器として使う場合、おそらくそのもっともダイレクトな方法は、弾のように相手に投げつけることだろう。かつて18世紀の英国では、お涙ちょうだいの大根役者に卵を投げつけたが、現代において、卵はミルクセーキやカスタードパイと並んで、政治家や世の中を牛耳る人たちにぶつけるものとして使われる。ギリシャでは、ヨーグルトだ。これは悪ふざけではなくて、よく考えられた戦略である。卵なら、仮に腐っていて悪臭を放つとしても、石や手投げ弾とは違い、ケガにはつながらない。ぶつけた相手に屈辱を与えるだけで、その人を重い罪で罰するわけではないし、法的な責任を負わせるわけでもない。同様に、笑いものにすることも、権力の乱用に人々の関心を向かわせることにつながる。

「ジョークはどれも、小さな革命である」という言葉を残したイギリス人作家のジョージ・オーウェルは、1945年にこうも語っている。「影響力を失墜させ、権力者をその座から引きずり下ろし、願わくば、ギャフンと言わせることができたら、どんなことでも愉快だ」。本来であれば食事の材料になるものを放り投げるという行為は、滋養という食べ物の価値を台なしにするし、食べ物を分かち合うことは他者への思いやりや共同体意識に基づく行為であるという概念をも覆す。すなわち、私たちが社会の一員として担っているはずの、助け合いの精神の背後にある噓偽りを、露呈させてしまう。

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