全米各地で人々が街頭に出て人種の平等を訴えると、レストランやシェフや活動家たちの多くが、自ら進んでデモの参加者に食事を提供した。何千年もかけて培われた、闘う手段としての食べ物。彼らは今、その古くからの遺産をさらに発展させた

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY JOSHUA KISSI, PROP STYLING BY BETH PAKRADOONI, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 一方で、食べ物は社会の傷んだところを修復するために使うこともできる。社会制度が失敗していても、そこに暮らす私たちは、食べ物によって互いの絆を確かめ合うことができるのだ。そういう意味では、もっともステルス性の高い(探知されにくい)武器かもしれない。アラバマ州モンゴメリで1956年に始まった、市バスのボイコット運動を支えるために、公民権運動家のジョージア・ギルモアは総菜やお菓子を作る女性たちを募り、フライドチキン・サンドイッチやパウンドケーキ、スイートポテトパイなどを売って何千ドルもの資金――ボイコットを381日間続けられる金額――を集めた。彼女はこれを「Club From Nowhere」と自ら名づけた地下運動組織の活動として行っていたのだが、そのこと自体は秘密にしていた。活動に参加してくれた女性たちが白人の雇用主から解雇されるのを防ぐためだ。

より最近の例をあげると、ライターのクランシー・ミラーが出版を予定している雑誌『For the Culture』は、飲食業界で働く黒人女性たちのために作ったもので、その設立にはノースカロライナ州のベーカリー経営者たちが参画している。彼らは今年の5月から6月にかけて、ローストしたスイートポテトで作ったスコーンやピーチ・ドーナツをオンラインで販売し、その売り上げを寄付している。フロリダ生まれのシェフ、キア・デイモンは、ギルモアの活動をモデルにして、2017年に「Supper Club From Nowhere」を立ち上げた。先人たちのレシピを自分流に解釈したディナーをシリーズ化し、提供してきた。消し去られ、これまで軽んじられてきたアフリカ系アメリカ人の遺産を、正しく掘り起こすためだ。

 この先に、もうひとつの段階がある。そもそも料理には、何を食べるのか、食品の産地はどこなのか、いちばん根本的な部分としては、誰が食べるのか、というふうに、どうしても政治が絡んでくる。この事実を認めることだ。平等な社会に、栄養は欠かせない。デイモンは今年の6月、ダウンタウン・ブルックリンでコミュニティの人々に食を提供するキッチンと、食料品を扱う生協を作るために、募金活動を始めた。食の砂漠(フードデザート)と呼ばれる地区に暮らす人々に新鮮な野菜や果物、台所用品を届けることが、その活動の使命だ。食の砂漠とは、米国農務省が以前から使っている定義によると、所得が低く、公共の交通機関も整っていないなどの理由から、住民が健康的な食品を手頃な値段で買うことのできない地域を指す(「食品アパルトヘイト」という言葉のほうが適切だという人もいる。こうした地域は偶然できてしまうわけではなく、市場の力学によって生じるのであり、市場の力学というのは、不均衡を抱える大きなシステムの一角をなしているという点を強調できるからだ)。

「飢えは、迫害の一手段だ」。1969年、黒人解放運動組織ブラックパンサー党(BPP)のメンバーが、カリフォルニア州オークランドで子どもたちに朝食の無料提供を始めたとき、同党が発行する新聞のエディターは、そう書いた。「満足に食べることすらできない子どもたちに、どうやって勉強しろというのか?」。この活動は、すぐに全米各地――ミルウォーキーやニューオーリンズの支部から、ブルックリンのブラウンズビルまで――へと広がっていった。当時、FBIの長官だったJ・エドガー・フーバーは、彼らの奉仕活動を「BPPの存在意義を瓦解させ、その組織を無力化するために当局が行っている努力に対して、最大の脅威となる可能性を秘めている」と言った。だがフーバーは、奉仕活動がBPPのイメージアップにつながることと、これからは黒人社会でも栄養と教育に恵まれた青少年が増えていくことのうち、どちらをより恐れているのかは、はっきりさせなかった。敵対しながらも、連邦政府は最終的にBPPに追随し、学校で朝食を配給する政府プログラムが始まった。1966年、8万人を対象に限定的なかたちでスタートしたが、1975年には恒久的な施策として全米で実施されるようになり、現在では一日に1,400万人の子どもたちが利用している。

 現在、米国では食料不安がかつてないほど深刻化している。3月以来、コロナ禍によって何千万という人々が職を失ったが、その約4割は世帯年収が4万ドルを下回る人たちだ。フードバンクでは、救いを求める声が200パーセントも増加し、順番を待つ車と人の長い列が延々と何時間も続く。まともに機能する公共のセーフティネットが不在というなかで、相互扶助のネットワークが次々と誕生している。こうしたグループは、食事や食料品を医療従事者や困っている家庭に届けるという明確な目的のもとに、ボランティア主導で結成され、個人からの少額の寄付によって支えられている。みんなで決めることを大切にするため、ヒエラルキーはつくらない。つまり、破綻した制度を踏襲するのではなく、自分たちで新しい制度を設計すればいいのだ。

 ジョージ・フロイドという黒人男性がミネアポリスの警官に首を絞められて死亡した5月の事件以来、人々が通りを埋め尽くして何時間も練り歩く抗議運動が、全米各地で起きている。デモの参加者に、どうやってエネルギーを補給してもらうか――。行進ルートに面した多くのレストランは店を解放し、クラウドファンディングで集まった資金で運営されるオンラインマップに自分たちの所在地を掲載した。食べ物を無料で提供するだけではなく、催涙ガスを浴びたりゴム弾を受けたりした人たちを手当てするために、店は簡易クリニックにもなる。地域のコミュニティ団体は、参加者に水やスナックを配る。時に、食べ物の支援は驚くほど豊富に寄せられることがある。それはまるで、ほんの少ししかなかったパンと魚がいつの間にか姿を変えてそうなったかのようだ。2011年に「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動が続いたときも、遠方にいる寄付者のはからいで――はるか遠くのギリシャからも――たくさんのパストラミ・サンドイッチやピザが、ズコッティ公園(デモ隊の拠点)に届けられた。2019年、ロンドンのトラファルガー広場で座り込みを続ける環境保護団体「エクスティンクション・リベリオン」のために、何組もの新婚夫婦がウェディングケーキを切り分けて、差し入れに持ってきた。

 これらの活動とは違う視点で、新しい可能性を見いだした人もいる。非営利団体「Fuel the People」を設立した、ガイアナ・ジョセフとアレグラ・マサーロだ。それぞれの兄弟(ルッドハーベンズとロレンツォ)とともに立ち上げた彼女たちの組織は、ニューヨークとワシントンの抗議運動が始まってから数週間で、1万人以上に食事を提供した。「富を地域コミュニティに還元したい」とジョセフは話す。インスタグラムで寄付を募り、オンラインで集められたお金は、コロナ禍で苦境に立たされた、黒人や移民が経営するレストランと商店から食品を購入するための資金にあてる。抗議運動の参加者に配る食事を容器に詰めるときには、必ずその店のロゴを貼るように、レストラン側に徹底させている。食事を受け取った人たちがそのお返しに、その店の客として有力者を紹介してくれるかもしれないからだ。

さらに彼女たちには、エチオピアのサモサやハイチのパティなどをふるまうことによって、米国の定番には含まれない料理にも注目が集まるようにしたいという狙いもある。「とてもおいしいものを食べてもらっているんですよ」。マサーロは笑いながらそう言った。彼女たちの活動を支えるボランティアは、メガホンを持ち、手指の消毒剤や催涙ガスから身を守るスプレーに加え、警察と衝突したときに備えて法的支援団体「Legal Aid Society」の相談窓口につながる電話番号を携帯する。彼らは自転車に乗り(ワゴンを牽引しながら自転車を走らせる人もいる)、通りに落ちているゴミを拾い、リサイクルできるものを回収する。抗議運動が行われるたびに、彼らは行進の最終地点で温かい食事を用意して待っている。保温バッグに保管された食べ物が、大衆食堂のような雰囲気の場所で提供される。全員が座って食べていることも多い。「みんなは抗議運動に参加してくれたんですから」とジョセフは言う。彼らには体を休めてほしい。そして人と言葉を交わし、周りを見て、ほんの少しの間だけでも、変化の兆しを分かち合ってほしいのだ。

 レジスタンスには怒りだけではなく、喜びも存在する。「人に食べ物を贈ることは、愛から生まれる行為であり、思いやりのしるしです」とジョセフは語る。抗議運動を鎮圧するために政府が外出禁止令を発動したときでさえ、人々は声をあげるすべを見つけた。窓のそばに立って、鍋やフライパンを打ち鳴らし、よりよい世界の実現を訴えたのである。

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