BY ZOEY POLL, PHOTOGRAPH BY KATJA MAYER, SET DESIGN BY MIGUEL BENTO, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
イギリスに住むケーキ職人のサラ・ハーディーは、昨年の春に、コロンビアのアーティストで故人の、フェルナンド・ボテロの『誕生日おめでとう』(1971年)と題された絵画作品をたまたま目にした。それはテーブルの上にさまざまなデザートの品々がのっている様子を描いた静物画だ。シュガーグレーズがまだらな状態のエクレアや、途中まで皮がむかれた果物などが所狭しと置かれている。テーブルの中央に鎮座するのはフリル状の飾りがついたクリーム色のレイヤーケーキだ。ケーキの上段は巨大なドーム型の構造になっている。ロンドンに「ヒーブ・コンディトリ」という名のケーキ専用スタジオを持ち、熱狂的なファンが多い31歳のハーディーは、ボテロの絵画を見た数週間後に、作品の中に描かれていたケーキを実際に作ってみた。ヘーゼルナッツを使い、ドルセ・デ・レチェと呼ばれる焦がし練乳をバニラベースで合わせ、さらにホワイトチョコレートを加えたバタークリームとレモンカード(註:レモン汁に卵黄や砂糖を混ぜてクリーム状にしたもの)をケーキの上段に塗り込めた。ペイストリー用のナイフを使ってケーキの形をひと通り整えると、彼女は塔のようにそびえている全体をピンク色のフォンダンですっぽり包み、エアブラシで蛍光の黄色と藍色の顔料を吹きつけ、マットでなめらかな仕上げを施した。「一見、これって食べられるのかな?と不審がられるような感じを出したい」と彼女は言った。
シュガーペースト、またはプラスチック・アイシングという言葉でも形容されているフォンダンは、アメリカの伝統的なウェディングケーキに頻繁に使われてきたデコレーション方法だ。ハーディーが活躍するような前衛的な製菓界では、かなり時代遅れな手法といえるかもしれない。現代のケーキ作りのトレンドは、より自然で有機的な美意識を重視し、たとえば搾り器を駆使して、印象派の絵画を描くように色彩を幾重にも重ねたり、ケーキから野生の草花が生えているようにアレンジして見せたりするスタイルが主流だ。そんな中、一部の製菓職人やペイストリー・シェフたちは、あえてレトロ感や大衆っぽさを求めて、フォンダンを使う方向に回帰しているのだ。「今や、ちまたでは、うねった形の不安定なケーキや、そもそも食用ですらない生花がケーキの上に大量に埋め込まれているような奇抜なものばっかり」と言うのは、ブルックリンを拠点とする30歳のフードデザイナーのスーアだ。「フォンダンを使って作られた傑作ケーキに出会うと『もう一度、基本に立ち返ろう』という気持ちが湧いてくる」
中世ヨーロッパでは、のちのフォンダンの原型が、ペースト状の砂糖で作られた線条細工の飾りとしてすでに存在していた。その後、啓蒙時代(註:17世紀後半から18世紀にかけて)になると、菓子職人たちはプチフールと呼ばれるひと口サイズのケーキなどに、銀色がかった液体状のフォンダンをかけて艶出しのデコレーションを施し、オーブンで加熱して固めていた。現代のロールフォンダン(丸めたりのばしたりして使えるシュガーペースト)は、20世紀初頭に調理工学の発展によってもたらされた。砂糖を沸騰させ、そこにグルコースを含む混合シロップ(コーン・シロップなど)やゼラチン、グリセリン(註:アルコールの一種)などの軟化剤や、素材を安定・保存する働きをもつ安定剤などの食品添加物を混ぜて作られた。光沢はあるが繊細で崩れやすい、ロイヤル・アイシングと呼ばれる英国の伝統的なデコレーションよりも、柔軟性があり扱いやすいフォンダンは、1960年代初頭には、袋から出して、そのまま丸めたりのばしたりしてすぐに使える商品としてパッケージ化され、インスタントのカスタード・クリームミックスや、乳化剤が入ったケーキ用の粉ミックスなどと同じ棚に並べられて販売された。
柔らかい粘土の塊のようなフォンダンを平たくのばすと、まるでパイの生地のようになる。装飾が施されていない素のケーキの上で、手でフォンダンを高く掲げ、思いきってさっと空中で放すと、ケーキ全体がすっぽりと包み込まれる。次に、フォンダンの表面をこすって凹凸を削り、なめらかになるまでできる限り形を整える。シワや気泡を取り除きながら、フォンダンがケーキの端まで十分に行き渡るようにして裾を揃える。フォンダンはケーキの表面に素早く粘着して保護材の役割を果たすため、ケーキ本体の賞味期限が長くなるという利点がある。英国人で文化歴史学者のニコラ・ハンブルいわく「部屋の中に置かれて、長い時間人々から鑑賞されるのに堪えうる」食品作りに、フォンダンは一役買っているのだ。
フォンダンそのものには強い食感がなく、色もついていないため、ハーディーは「完璧な背景幕の役割を果たしてくれる」と言う。食用顔料を加えると色が簡単につき、フォンダンのもともとの成分である粉糖の明るい白色の反射効果で、色みがより一層引き立つ(反対に、バタークリームを使うと発色が抑えられる)。ケーキ職人の中には、色素をフォンダンに直接練り込んでしまう人もいる。パリを拠点とする37歳のフード・アーティスト、アンドレア・シャムがそうだ。彼女が手がける、リコッタチーズを使用したシチリア島の伝統的なケーキであるカッサータの表面では、藍と赤の色彩が、大理石のように、うねった縞模様を描いている。フォンダンに直接、水彩ブラシで色づけすることもできるし、食用のインクペンを使って絵を描くこともできる。スーアが制作した白いレイヤーケーキの上には、彼女のボーイフレンドで、30歳のスケートボーダー兼アーティストのトルゥン・グェンがステンシルを使って描いた靄(もや)がかかったような飴色をした星や、グラフィティっぽいデザインのレタリングが施されている。
だが、フォンダンには広く知られている弱点がある。「甘すぎるし、チョークのような味がする」とスーアは言う。彼女は彼女の顧客にフォンダンの部分は食べないようにと伝えている。ケーキ職人の中にはフォンダンのかわりに別の素材を使う人もいる。たとえばシャムは、スウェーデンの伝統的なプリンセス・ケーキを包むのに、大地の色に近いアーモンドペーストをシート状にして使い、その上に黒いバタークリームを波形の縁取りにして仕上げる。ブルックリンに「99」という名の店を開いた30歳のケーキ職人のミナ・パークは、フォンダンのかわりに餅を使っている。昨年秋に、ファッション・デザイナーのサンディー・リアングのためのパーティがマンハッタンのローワー・イーストサイドで開かれた際、パークは、ジュエリー用のクッションのような丸い形をしたピンク色の餅を披露した。ひとつひとつの餅にミルク色をした苺がのっている。「最近は、制約がある中で作品を作るときのほうが、やりがいを感じる」とパークは言う。
だが、やはりフォンダンでなければダメなときというのも、確実に存在する─。それは、とことん誇張された人工的なユーモアが求められるときだ。昨年の7 月に、フランスのビアリッツにある現代アートギャラリー、シャン・ラコンブの英国人ディレクターのルーシー・チャドウィックは、自身が企画した最新の展覧会の初日前に、ふと思いついて、地元のベーカリーでケーキを買った。その展覧会は「デジタル時代におけるバロック絵画」をテーマにしたグループ展だった。チャドウィックが「笑ってしまうほど派手でクレイジー」と語るそのケーキは、レモン入りの円形のスポンジが何層にも重なった構造で、チーターの柄が描かれたフォンダンが包み込んでいた。そのケーキは、展覧会のテーマである、現代社会の常軌を逸した華美さと陳腐さを見事に体現していた。翌日、そのケーキは金色の飾りが施された段ボール箱の中に入れられて、会場に置かれた。ジョン・ウォータースが描いたシュルレアリスムの肖像画や、モコモコした紫色のフェイクファーのキャンバスと並んで展示されたそのケーキは、それ自体が、まるで奇妙なアート・オブジェのように見えた。
PHOTO ASSISTANTS: MICHAEL FURLONGER, BASTIAN KNAPP, SET DESIGNER’S ASSISTANTS: KIKA SILVA, JOHANNA STRACHWITZ
▼あわせて読みたいおすすめ記事