TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO
パガニーニ、リスト、フジコ・ヘミングそれぞれの『ラ・カンパネラ』
ヴィルトゥオーゾとは音楽の名人や達人を指すイタリア語であるが、19世紀のヨーロッパにはまさにその名にふさわしい人物が二人いた。一人はイタリア生まれのヴァイオリニストのニコロ・パガニーニ(1782-1840)、もう一人はピアノでパガニーニの領域を目指したハンガリー出身のフランツ・リスト(1811-1886)である。
パガニーニは、超絶技巧を得るために「悪魔に魂を売った」と言われたほど並外れたテクニックの持ち主だった。1831年のパリ・デビュー公演はセンセーショナルなものだったという。長く伸ばした髪に黒い服を纏って演奏するさまもどこか悪魔を連想させた。リストは公演を聴いて衝撃を受け、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調第3楽章のロンド「ラ・カンパネラ」(鐘)の主題をもとにピアノ曲を作曲している。
この主題をもとにした曲は4曲存在しているが、最初に作曲されたのが《パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲》(1831)。その後、《パガニーニによる超絶技巧練習曲》第3番変イ短調(1838)、《パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲》(1845)、《パガニーニによる大練習曲》第3番嬰ト短調(1851)が作られている。現在、最も有名で頻繁に演奏されるのが4番目の作品で、通常リストの《ラ・カンパネラ》といえば、この作品のこと。
今年4月に亡くなったピアニスト、フジコ・ヘミングが十八番とした作品でもあり、テレビ等で耳にしたことがある方も多いだろう。もっとも彼女は「正直なところ、あまり好きな曲じゃなかった」が「指の練習にいいと思って弾きはじめた」と語っている。若い頃にウィーンでデビューのチャンスがあったものの、コンサートの直前に風邪をこじらせて、すでに失っていた右耳の聴力に加えて、左耳までも聞こえなくなってしまい、夢をたたれた彼女。その後、苦難の半生を送り、60代後半でデビューしたアルバムのタイトルが『奇蹟のカンパネラ』だ。
「壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ」とシニカルに語る彼女が弾く《ラ・カンパネラ》は、その発言とは裏腹に実にあたたかな響きで満たされている。「音のひとつひとつに色をつけるように弾く」という通り、その音からは鐘が響きわたる風景が浮かんでくるよう。「好きな時間は午後の四時。夕陽がさしてきて、それがすっと消える、その夕焼けの感じが素晴らしいから」。イメージする鐘は晩鐘だろうか。敬虔なカトリック教徒だった彼女が、一日の終わりに神に捧げる祈りの声。
鐘の響きとともに空をわたる「アンジェラス(天使)の祈り」
カトリック教会では、一日三回、朝6時、正午、夕方6時に鐘が鳴らされ、受胎告知の祈りが唱えられる。この祈りは、ラテン語の原文Angelus Domini nuntiavit Mariae(主の天使がマリアに告げた)から、「アンジェラス(天使)の祈り」と呼ばれ、ミレー《晩鐘》(L’Angelus)にも描かれている。あたたかな夕陽につつまれて祈りをささげる夫婦の遠くにはうっすらと教会の塔が見え、そこで「アンジェラスの鐘」が鳴らされている。夫婦の足元にはジャガイモが置かれているが、ジャガイモはフジ子の大好物でもあり、貧困時代に空腹をしのいだ糧でもあった。
ボルドーのサン=テミリオン地区に、この「アンジェラスの鐘」を象徴としてエチケットに描くシャトー・アンジェリュスがある。シャトーには、サン=テミリオンの丘に聳え立つ有名な鐘楼や近隣の教会から朝・午・晩と鐘の音が響き渡ったという。シャトーの歴史は18世紀後半に遡り、現在は8代目の当主ステファニー・ド・ブアール=リヴォアルが経営を担っている。ワインはメルローとカベルネ・フランが主体で、凝縮感のある味わいだ。
若い頃は派手で演奏効果の高い作品を書いたリストだが、晩年は僧籍に入り、作品にも宗教色が強くなっていく。《巡礼の年 第3年》の第1曲は「アンジェラス! 守護天使への祈り」と題されている。そこには同じ鐘を題材にしながらも、《ラ・カンパネラ》との大きな隔たりを聴くことができるだろう。《ラ・カンパネラ》にはセカンドのル・カリヨン・ダンジェリュスかサードのNo. 3、《巡礼の年 第3年》には熟成したシャトー・アンジェリュスを合わせるのもよいだろう。
<参考文献>
フジ子・ヘミング『フジ子・ヘミング 運命の力』(CCCメディアハウス、2001年)
岡田暁生『西洋音楽史』(中公新書、2005年)