ロサンゼルス発リポート
中絶問題、女性たちの本音

Abortion: Differing Perspectives On a Volatile Issue
「中絶する権利」を巡って、いま、全米に激震が走っている。「中絶は憲法上で認められた権利である」という1973年に米最高裁が下した歴史的な「ロー対ウェイド判決」が、49年ぶりに保守派の判事たちによって覆されたのだ。それを受け、全米で10州以上がすでに「中絶は違法」と定め、十数州で中絶の権利に制約が加えられた。米国のひとびとはこの決定をどう受け止めたのか。現地からお伝えする

BY MIHO NAGANO

 半世紀の間、まるで鉄板のように強固に存在していた「中絶合憲」の判決が覆された6月24日。キリスト教保守派や中絶反対派の人々は、ワシントンの米最高裁判所の建物の前で、嬉し涙を流して抱き合っていた。

 その光景をテレビで見ながら、ロサンゼルス在住の教師、ケレン・ジョーンズさんはこうつぶやいた。「生まれなかった子供たちの叫び声と痛みがついに神に届いた。こんな夢のような日が本当に来るなんて。正義が実現して嬉しい」。

 シングルマザーとしてひとり息子を育てている40代前半のジョーンズさんは、幼い頃からキリスト教会に通い、イエス・キリストを自分の救世主だと信じてきた。彼女にとって、中絶という行為は、聖書に記された「汝殺すなかれ」という教えに背く行為、つまり「殺人」だという認識だ。彼女と同じ思いを抱くキリスト教保守派たちにとっては、6月24日は、半世紀に近い長い闘いに勝利した日なのだ。

 ちなみに、2020年1年間の米国の中絶件数は約93万件。日本の同年の中絶件数(約14万5000件 ※厚生労働省の統計による)の6倍以上だ。中でも20代前半以下の年齢での中絶が最も多い。

 キリスト教保守派たちが歓喜した翌日、「中絶は神聖である」ーーという言葉が書かれた手作りのプラカードを掲げて、ロサンゼルス市庁舎の前に立ち、中絶擁護デモに参加する女性がいた。

 リア・コステロさん。灼熱の太陽の下、彼女の横で元気に跳ね回っているのは、7歳と5歳の息子たちだ。コステロさんは段ボールの紙にマジックで記した「中絶は神聖である」という言葉の意味をこう説明した。「子宮という臓器を与えられた性別の人間として、それをどう使うかは、その人に与えられた神聖な権利だと私は思っている。気軽な気持ちで中絶する人などひとりもいない。私が決断を下した時もそうだった」。

画像: 6月25日にロサンゼルス市庁舎の前で行われた中絶擁護のデモに息子たちと参加したリア・コステロさん PHOTOGRAPH BY MIHO NAGANO

6月25日にロサンゼルス市庁舎の前で行われた中絶擁護のデモに息子たちと参加したリア・コステロさん
PHOTOGRAPH BY MIHO NAGANO

 コステロさんが初めて妊娠したのは24歳の時だった。妊娠が原因で自分の命が危険にさらされていることがわかった時、彼女はひとりで苦渋の決断を下した。「決して簡単に出した答えではない。自らの命か出産かという、究極の選択を迫られた。当時、ほとんど誰にも、自分の母親にすら、このことは打ち明けられなかった」。当時のことを考えるだけで、今でも目眩がするという。「中絶はそれ自体、とてもつらく苦しい経験だけど、必要な選択肢」と彼女は言う。
 
 コステロさんの横で、映画『スター・ウォーズ』のキャラクターのダース・ベイダーを描いた絵を持って、息子たちが遊んでいる。「中絶の権利について私がどう思っているかを、息子たちにも話しているけど、こどもたちに私の考えを押し付けるつもりはない。自分自身で考えてほしいから」。長男が描いたダース・ベイダーの絵ーー。それは巨大な力によって個人の身体の自由がコントロールされている状態を表現したのだという。「幼い彼なりに、この国でいま何が起きているのかを感じ取っているんだと思う」と彼女は言う。

 たとえレイプや近親相姦などによる妊娠であっても「受精の瞬間から中絶は違法」という法律を可決したオクラホマ州などでは、現在、中絶クリニックはすべて閉鎖されている。中絶処置を施すドクター本人が犯罪者となってしまうからだ。「中絶違法と決めたテキサスやオクラホマに住む女性たちは、今この瞬間を孤独と恐怖の中で生きているはず。せめて地元にサポートグループのような援助組織があってほしいけど……」とコステロさんはつぶやく。

 彼女の出身は中西部のウィスコンシン州。ウィスコンシンには「母体に中絶処置を行う人間は重罪に処する」という1800年代の古い法律がまだ完全に廃棄されずに残っている。この古い法律が、州議会の決定により、再び適用される可能性も皆無ではないのだ。

「中絶という言葉はダーティー・ワード(汚い言葉)なんかじゃない。中絶を恥だと思い込ませ、中絶経験者たちに罪悪感を押し付けて、女性たちを黙らせようとする勢力こそがダーティーだ」と語るのは、23歳のメガン・ウィットマンさんだ。彼女は「私の子宮は公共物ではない」という手書きのプラカードを手に持っている。

 投資会社で働くウィットマンさんは、ボーイフレンドと共に、6月24日の決定の一カ月ほど前からすでにロサンゼルス市庁舎前での中絶擁護デモに参加していた。「こどもの命を守るためーーと保守派や中絶反対派は主張するけれど、貧困層の子供たちへの公的援助資金を今までさんざんカットしてきたのは、その保守派の政治家たち。子供が生まれたら、後は自力で育てろ、援助はしない、という冷たいやり方」とウィットマンさんは言う。

画像: 20代のメガン・ウィットマンさんは、ボーイフレンドと共にLAでの中絶擁護デモに参加 PHOTOGRAPH BY MIHO NAGANO

20代のメガン・ウィットマンさんは、ボーイフレンドと共にLAでの中絶擁護デモに参加

PHOTOGRAPH BY MIHO NAGANO

 彼女の祖母は中絶非合法時代の1941年に生まれた。その祖母は60年代半ばに中絶の権利を求めてデモに参加していた。「私のおばあちゃんは、いま再びデモに参加している。私たちの若い世代のために。おばあちゃんたちがかつて歴史を変えてきた努力を、いまここで無駄にするわけにはいかない」。

 米国では45歳までの女性の4人にひとりが中絶を経験するという統計がある。中でも貧困層の女性が中絶を選ぶ割合が高い。テキサスやオクラホマなどの、中絶を違法と定めた州から、カリフォルニアなど中絶合法の州に「中絶をするための旅」をする女性たちがすでに存在し、その数は今後増えると予想されている。「私はカリフォルニア住民として、他州から来る彼女たちを歓迎するし、彼女たちの安全を守りたい」とウィットマンさんは言う。

 さらに自らが勤務するウォール街系の投資会社や金融機関などに働きかけて、中絶を必要とする女性が州外に「旅」をする際の金銭支援をしてくれるように呼びかけるという。「中絶問題は経済問題。テキサスからカリフォルニアまで中絶に来るガソリン代がなければ、彼女たちが窮地に陥ってしまうから」。

 そんな中絶擁護派に対して、前述の中絶反対派のジョーンズさんはこう言う。「自分で勝手に性行為をして、その結果である妊娠の責任を取らないなんて、人としてありえない」。ジョーンズさんは、例え女性がレイプされた場合であっても、子宮内に宿った命は、中絶されるべきではないと言う。「産むだけでいい。育てなくていいから、出産後すぐ養子に出してほしい。子供を育てたい人はこの国にはたくさんいる。命を殺すことだけはやめてほしい」。
 
 全米で日々激論が交わされている中絶問題だが、米国では6割以上の市民が中絶を「必要な選択肢のひとつ」と考えているというピュー・リサーチ・センターの調査結果が今年の6月に発表された。中絶擁護派はその「6割」という数字を指して、今回の最高裁の決定は、国民の民意を反映したものではない、と主張する。一方、中絶反対派は、自分の主張を通してくれる政治家を選挙で議会に送り込むのが民主主義の民意の通し方で、その結果として、中絶違法と定めた州がすでに10州以上存在するのだと主張する。

 両者の激論は、中絶だけに留まらず、中絶以外のリプロダクティブ・ライツ(生殖における個人の権利)の範囲にも及びつつある。避妊ピルの使用が米国で承認されたのは今から60年以上前の1960年。さらに1977年には、16歳以下の未成年が親の許可なしに避妊ピルを処方してもらえる権利が最高裁の判決によって保障された。

 しかし、中絶合憲が覆った今、保守派最高裁判事のひとりが「避妊ピルのアクセス権についても見直すべきだ」という主旨の意見を出し、中絶擁護派はそれに猛反発している。

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