BY JUN ISHIDA, PHOTOGRAPHS BY KOHEI OMACHI
前橋の中心地を走る国道沿いに現れる白い建物。素っ気ない外観にはカラフルなタイポグラフィが施されている。「FROM THE HEAVENS」「FROM THE PRAIRIES」「FROM THE MOUNTAINS」、ちょっとずれた角度で「FROM THE SEA」。山に囲まれた平野である前橋に海はない。群馬のからっ風を思わせる矢印とともに、ちょっとしたユーモアを感じさせるファサードは、現代美術家のローレンス・ウィナーによるものだ。この建物の正体は〈白井屋ホテル〉。江戸時代に創業し、明治時代には旧宮内庁御用達として多くの著名人が訪れた〈白井屋旅館〉の流れをくむ。旅館は1970年代にホテルへと転換し、現在の白い建物となるが、2008年に廃業した。以降、取り壊しの危機が訪れるが、この歴史ある場所の記憶を残そうと、前橋出身で「JINS」創業者の田中仁が土地の権利を買った。2014年のことだ。田中は建物のリノベーションを建築家の藤本壮介に依頼。そして、2020年12月、〈白井屋ホテル〉が誕生した。
6年を費やしでき上がったのは、日本、いや世界でも稀な建築と現代アート、デザインが一体化したホテルだ。それぞれの要素が気負いなく交じり合い、不思議なハーモニーが生まれる。なぜ、このようなホテルが前橋に誕生したのか。田中と藤本、ふたりのキーパーソンが語った。
白井屋の再建に関わる以前から、田中仁は群馬全体の地域活性化に取り組んでいた。
「群馬イノベーションアワードと群馬イノベーションスクールを立ち上げ、前橋に限らず群馬全体を起業で元気にしようと取り組んでいました。前橋を訪れる機会も増え、ちょうどそのときに現代美術館〈アーツ前橋〉の開館パーティがあったんです。そこで知り合った若者たちから白井屋をどうにかしてくれないかと声をかけられました。ホテルの専門家でもないので最初は難しいと思ったのですが、次々に地域の人から声が上がり、深く関わるようになりました」
地元の人々の要望を受ける形で白井屋を購入したものの、どんなホテルにするかという明確なビジョンが当初からあったわけではなかった。ホテルのプロに話を聞いても、前橋で成り立つのはビジネスホテルという答え。納得のいかない田中に対し、「ホテルは街とともにあります。前橋はどんな街ですか?」という問いが逆に突きつけられた。
「その質問に答えられなかったんです。その後市長と会う機会があり、前橋の街のビジョンについて尋ねてみたところ、福祉の充実をはじめ、さまざまな目標はあっても、ひとことで表現する言葉がなかったので、一緒に街づくりにも活かせる前橋のビジョンをつくりましょう、ということになりました」
ここから、田中の前橋の街づくりへの参画が始まる。
「ドイツのコンサルティング会社『KMS』に依頼して、街の状況を分析してもらい、『Where good things grow』というビジョンが誕生しました。これを同郷の糸井重里さんに解釈してもらい、生まれた言葉が『めぶく。』です。『めぶく。』を前橋ビジョンとして定め、それをどう具体化するかを議論する中で、『デザイン都市』という戦略が生まれ、『グリーン&リラックス』というテーマが浮かび上がりました。それを、まずはこのホテルで実現してみようと考えるようになりました
白井屋の既存の建物を残すということだけを決め、リノベーションは藤本壮介に依頼した。田中と藤本のつき合いは長く、前橋にある田中の兄の家は藤本の最初の住宅作品でもある。
「藤本さんとの出会いは、高崎の『JINS』のお店の設計をお願いしようと声をかけたのが最初でした。藤本さんが〈青森県立美術館〉のコンペに提出したプランを見て、今までの建築界にはないアプローチをする人が登場したと感じました。自分自身もそうなのですけど、新しい価値観や手法でもって、新しいことに挑戦する人と合うんです。お店の話は流れてしまいましたが、いつか藤本さんに何か象徴的なものをお願いできればとずっと思っていました」
〈白井屋ホテル〉に入ってまず驚かされるのは、そこに現れる緑の生い茂る巨大な吹き抜けのラウンジ空間だ。
「最初にこの建物を見たときに、全部ぶち抜いて吹き抜けをつくるくらいのインパクトでできたら面白いですねと田中さんに話したんです」と建築家の藤本壮介は振り返る。
「ラウンジに気持ちのよい吹き抜けをつくり、そこになんでも入ってきていいようなある種のおおらかさを持たせたいと考えました。ラウンジを街のリビングルームのような広がりのある空間にしたいと思ったんですね。さらに1階にはラウンジのほかに、レセプション、レストラン、オールデイダイニングといろいろな要素があるので、すべてがつながりすぎないように緑を入れました。吹き抜け空間にはブリッジや階段を巡らせて、下から見上げるだけでなく、空間を動き回れると楽しいのではと、そんなふうに少しずつ設計は進んでゆきました」
4フロアを貫く吹き抜けには、ブリッジが張り渡され、さらにその合間を縫うように現代美術家レアンドロ・エルリッヒによる《Lighting Pipes》と名付けられた光るパイプが駆け巡る。その様子は迷宮を思わせ、この空間自体が現代美術のようだ。ほかにも、ラウンジには安東陽子のテキスタイルや武田鉄平のペインティングが配され、レセプションには杉本博司の海景シリーズ《ガリラヤ湖、ゴラン》がかけられている。客室はデザイン界の大御所ジャスパー・モリソンやミケーレ・デ・ルッキがデザインした部屋をはじめ、塩田千春、鬼頭健吾、鈴木ヒラクといった現代美術家の作品を展示した部屋など、すべて異なるクリエイターが関わるものとなっている。
「ここまでいろいろな人とコラボレーションしたのは初めてでしたが、あまり抵抗なく進みました。このホテルには、クリエイター以外にも、建物が面する国道、裏手を走る馬場川通り、既存の白井屋の建物、馬場川通りにある家々などたくさんの要素があります。それらを緩やかに束ねるベースとなる枠組みをつくるのが、建築家の役割だと考えています。さまざまな要素が入ってくることで、それぞれが引き立ち、最終的によりよいものになる。それに建築はでき上がっても、そこで完成することはありません。いろいろな人を巻き込みながら成長してゆくことで、豊かな建築になるのだと思います」
ホテルのプロジェクトがスタートしてからオープンに至るまで、6年の時間が費やされた。その間に、「めぶく。」というビジョンが生まれ、当初は重きをおいていなかったアートがホテルの重要な要素のひとつともなった。さまざまなアイデアが生まれる中で、田中と藤本は月に一度打ち合わせの場を設け、ひとつひとつ丁寧に吟味していったという。
「ビジネス的には、そんなに時間をかけてよいのかと思いますが」と藤本は笑いながら振り返る。「床に用いたレンガから客室のドアノブまで、田中さんと一緒にマテリアルを見ながら決めました。その結果、ホテル全体に熟成感が生まれたと思います。いろいろなものが溶け合っている感じがしますね」
確かに〈白井屋ホテル〉には、新しいホテルに漂う冷たさがない。既存の建物のリノベーションということもあるかもしれないが、ラウンジに配された生い茂る緑と相まって、長い時間の経過した建物が持つような居心地のよさがある。
「田中さんは、街のポテンシャルが残っているところに、点で新しいものを入れてゆくというやり方で街づくりを行っています。人々の生活はいい意味で変わらないけれど、ある日突然新しい何かがぽこっとできてゆっくり街全体が変わってゆく。小さいけれども効果的な点を打つことにより、既存のもののよさと新しいものの刺激が混在し、街を壊すことなく活性化させることができるのではないでしょうか」
ホテルのオープンを終えた田中は、この場所を起点としたさらなる街づくりへと思いを膨らませている。
「完成したホテルを見て、日本のほかの地にはない、前橋ならではのアートシーンがつくれると思いました。前橋は商店街も含めた主要な要素が徒歩圏内に集まっているので、歩いて観光できる街なんです。今、ホテルから一歩出て、街にひらかれた、もっと人々の生活動線に関わる仕組みづくりをしています。特別なことではなく、日常の中にも美術を取り入れ、楽しめるようなことをしながら、地元の経済にも貢献するようなものです。建築だけでもアートだけでもグリーンだけでもダメで、街の活性化にはビジネスを結びつけてゆくことが大事なんです」
点と点がつながり線となり、面となる。前橋にめぶいたホテルがどんな木となり、そして森がつくられてゆくのか。ここは、よきものが育つ地(Where good thingsgrow)なのだ。
白井屋ホテル(SHIROIYA HOTEL)
住所:群馬県前橋市本町2-2-15
電話:027(231)4618
客室数:全25室
料金:¥35,453~(2名1室の1名の料金、消費税・サービス料込)
※ 上記は参考価格。料金は宿泊日により変動するため、要問い合わせ
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