BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA
《BUY》「チーズ工房 Three Brown」
どこまでも優しく健やかな、牛からの贈り物
季節も地域もボーダレスに、いかなるグルメも手に入るこの時代、“自分にしっくりくる食べ物とは何か”を考えさせられる。丁寧に作られていることは大前提に、その上で作り手の価値観へと一歩踏み込み、共感できるものを選ぶことがひとつの手立てとなる。心が動き、深い信頼を寄せる作り手の食は、より深く身体に語りかけてくれるはずだから──。「Three Brown」の乳製品は、私にとって正しくそんな逸品だった。愛情をたっぷりと享受したブラウンスイス牛の命の証として絞り出された牛乳から、無限の豊かさを引き出したチーズやミルクジャム、ジェラートは、夏のひとときの思い出だけでは終わらないと感じている。
「牛を飼ってチーズを作りたい」という夢を松島俊樹さんが描いたのは10代の頃へと遡る。北海道で畜産業を営む家に生まれ、高校時代には有機農業に特化した三重県の農業学校へ越境入学し、後に妻となる薫さんと出会った。酪農ヘルパーや牛削蹄師として修行を重ね、紆余曲折を経て薫さんの出身地である前橋に牧場を構えたのは、前述の夢を掲げてから18年を経た2011年3月。自ら牛舎を手がけ、森を整地し、良質な牧草を育てるために土づくりから手がけ、ようやく北海道から船便で牛の受け入る準備が整った矢先、東日本大震災に見舞われた。分断される道路を迂回し、大幅に予定を過ぎながらも3頭のブラウンスイス牛が到着。「Three Brown」という店名の由来である、アシュトン、チョッパー、ハンコックと名付けられた3頭のブラウンスイス牛が松島家の家族となった。
並々ならぬ状況で幕開けた酪農業から2年後には、念願のチーズ作りも始まる。厳選した飼料にこだわり、ブラウンスイス牛の牛乳だけで生産から加工までを一貫して担うチーズ工房が誕生。最初に手がけたチーズは、熱した牛乳を練ったパスタフィラータ製法によるモッツアレラチーズだ。クセのないチーズだからこそミルクの質が味わいを左右するが、「Three Brown」のものは新鮮なミルクの穏やかな甘みが口福をもたらす。市販の多くは機械でカット・成形されるなか、こちらではひとつずつ手でちぎって成形するため、柔らかな弾力性も特徴。厚めにスライスして、わさび醬油でいただくと、思わず白ワインが進む。
ベーシックなチーズに加え注目したいのは、前橋と縁のあるアーティストとコラボレーションしたチーズだ。現在は佐渡でフレンチレストラン「ラ・パゴット」を営む、フランス人のジル・スタッサールさんに依頼されて誕生したチーズは、その名も「ジル」。彼の出身地であるサンマルセランのレシピを元に、白カビと酵母で熟成させた独特の濃厚さが魅力。「熟成の進んだものはワインはもちろん日本酒とも相性がよく、野菜のディップとしてもお楽しみいただけます」と薫さん。また、スペイン人アーティストであるフェルナンド・ガルシア・ドリーの名前を冠した「ドリー」は、爽やかな酸味のあるフロマージュ・フレ。ドライフルーツやクルミをトッピングしたり、伊予柑のピールを和えたものなどバリエーションもあり、ハチミツやメイプルシロップをかけてデザートとしても一興だ。
▶︎フレンチレストラン「ラ・パゴット」については新潟県・佐渡島編Vol.1をチェック
最高気温を幾度も記録する盛夏の群馬だが、赤城山の緩やかな尾根に沿って車を走らせると、牧歌的な風景とともに草の香をおびた風が心地よい。赤い三角屋根のテラスに腰を下ろし、自家製シャーベットで口を潤していると、ふと明るいまぼろしのなかを浮遊しているような心地よさに包まれた。
住所:群馬県前橋市粕川町中之沢384-96
電話:027-285-6862
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《BUY》「クロフトベーカリー」
食卓の景色を紡ぐ、極上な“未完”のパン
未知なる土地を訪れ、そこに生きる人と同じ様に街角でパンを買うことで何かを感じたい。そんな気持ちで、ローカルトレジャーを探す旅を続けている。今回、出合った“街角のパン”は、市街地から少し離れた住宅地に看板を掲げる「クロフトベーカリー」にて。「この土地でしか作れないパンを焼きたい」。そう語る店主の久保田英史さんの理想は、「何かに寄りかからないと美味しくならないパン」だという。 果たして、その言葉の背景にはどんな思いが込められているのか。
パンに目覚めたのは高校時代。祖父の家を訪ねた夏休みに、軽井沢の「浅野屋」でフランス人のパン職人が焼くバゲットの美味しさに衝撃を受けたことが序章となる。進学で上京すると、未知のパン処巡りが加速。大学4年を迎えると、薪燃料をテーマとした卒業論文の調査のために、夏休みを利用して長野県乗鞍高原の薪窯のあるパン店に住み込みで働いた。就職は、パンに陶酔するきっかけとなった「浅野屋」へ。その後、大阪のグランメゾンのパン部門で鍛錬を積み渡米。ロサンゼルスの「Boule Atelier」や「Comme Ca Bakery」でシェフベーカーを務める。帰国後は群馬県内で石窯を手がける「増田煉瓦」と縁があり、窯を使う立場から石窯に適したパンを提案。数々の経験を重ね、技術と広い視野を培い、2012年12月に自らの「クロフトベーカリー」を構えた。
たとえば、ヨーロッパには酸味の強いパンもあれば、どうにもこうにも硬いパンもある。前者はワインやシーフード料理をはじめ、個性の強いチーズと美味しさの相乗効果を生み出す。後者はオーリーブイオイルをたっぷりつけることで、しっとりとした凝縮感が楽しめる。一見デメリットのように感じる部分を補うように、料理との組み合わせで想像力が膨らむパンの在り方を、久保田さんは“何かに寄りかからないと美味しくならないパン”と表現。
食卓の瞬間をできるだけ細やかなメッシュで捉え、パン単体ではパーフェクトにならない“未完”の状態こそが、食文化の一環を担うパンの理想の姿と考えている。「食事のメニューを決め、それに合うパンを買いに来た人と、短い言葉を交わして、笑顔で帰ってもらう。生活の一部になるような街に溶け込むパン屋でありたい」。オープン当初に掲げた気持ちは、10年を経た今も変わらない。
さらに、パンの骨格をなす素材選びにおいても、久保田さんの信念は揺るぎない。群馬県産へのこだわりに加え、大切にしているのは小麦農家から直接買い付けること。珈琲ロースターが、豆の産地や農園の人の顔を浮かべながら焙煎をし、香り高い一杯を抽出するように、パンにおいても小麦を育てる人や畑の臨場感を抱くことで、“この土地でしか作れないパン”ができると信じている。
無骨な丸みを帯びた「パン コンプレ」は、群馬県藤岡市の福田農園の小麦を自家製粉。3種類の自家培養種を用いて18°で18時間かけて発酵させることで、挽き立ての全粒粉の甘みが損なわれることなく穏やかな酸味のパンに仕上がり、肉料理との相性が抜群だ。地元の素材への思いを商品名に冠した「地粉の酵母スコーン」は、同県太田市の上原ファームの農薬不使用の小麦粉からなる。自家培養種の発酵風味とイチジクが織りなす優しさは、野山へ連れ出して味わいたい。
今回の滞在で宿での夕餉に求めたのは、出汁のようなパワフルな旨味と酸味が調和した「カントリー」だ。「Three Brown」で求めた「ジル」やグリルしたカチョカバロとともに味わうと、抜けていたパズルのピースがぴったりハマる感覚を覚えた。まるで普段の生活で指の隙間からこぼれ落ちてしまう、自分の欠けた部分を埋めるよう──パンを噛みしめながら、そんな充足感に満たされた。
住所:群馬県前橋市日吉町2-5-1みずき館
電話:027-257-9052
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