BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA
《STAY》「箱根リトリート〜före (フォーレ)」
ひたすらに森を見つめ、森に抱かれる時間
フィンランドを舞台にした『かもめ食堂』という映画を覚えているだろうか。飲食店を営む日本人女性を主人公に、心に小さな傷を負った観光客の女性2人と織り成す、日常と非日常が淡々と交差するユーモアたっぷりの物語である。その中で、もたいまさこ演じるマサコが「なぜフィンランドの人々はこんなにも、ゆったりとのんびりしているように見えるのだろう」と素朴な疑問をつぶやく。すると、フィンランド人の青年、トンミ・ヒルトネンがひとこと「森があります」と答える。「箱根リトリートföre (フォーレ)」は、まさにそんな“ゆったり、のんびり”と森の奥へと誘われる場だ。その敷地は、1500坪。檜や栗、楓など自生林が静かに、堂々と、優しく存在する。
「箱根リトリート」は、北欧テイストの家具を設えた4タイプ37室を有する「före」とウッディな一棟貸しの「villa(ヴィラ)」からなる。都心から2時間圏内、鳥が巣篭もりをするように心身を“リトリート”できる隠れ家のような場所として、知る人ぞ知るスポットだ。今回は1泊限りの滞在ということに加え、モダンなインテリアに惹かれて「före」の「デラックスダブル」をチョイス。天井の高いリビングは、ミスティブルーのソファやインダストリアル調の照明が適度な洗練された雰囲気を醸しながらも、薪ストーブや手織りのラグがひと匙の温もりを奏でる。都会的な要素と別荘のような心地よさ、その塩梅が絶妙だ。
「週末のリフレッシュのための定宿として何度も訪れる方が多く、ワーケーションで利用される方のためにミーティングルームなども備えています」と支配人の松井康弘氏。取材時は生憎の雨模様ではあったが、ラウンジ「フリーバード」の室内には森を眺めながらオンライン会議をする男性やワインを楽しむ女性、木製玩具を楽しむ外国人カップルや本を読む若者など、各々が思い思いに過ごしていた。ふと外に目を向けると樹々が柔らかな若葉色をまとっている。扉を開くと、初々しい木陰たちが室内にフレッシュな空気を運び込む。森の生命力を存分に感じ、ゆったり、たっぷり、深呼吸をせずにはいられない。
深呼吸で胃が活性したせいか、いつものことか……日暮れ前からお腹が鳴る。ダイニングは森の気配を間近に感じられるように、四方の壁面の多くをガラス張りで構成。地産の食材が奏でるディナーは、前菜をあえてバイキング形式に。食べきれないほどの料理がテーブルを埋め尽くす旅館の夕餉と異なり、好みのものを好きな分量だけセレクトできる。さらに、プリフィックス形式のメインディッシュでは、近隣県産の逸品が凝縮。取材日には相模湾の金目鯛、静岡県産の鶏、神奈川県産の相州牛がメニューに連なった。魚と肉から1品を選ぶのだが、どちらも少しずつ食したいというわがままもハーフ&ハーフとして叶えてくれる。レストランのオープンキッチンに薪火のグリルコーナーを据え、直火で仕上げる光景が食欲をそそる。
お腹を満たしたら、森を抜けて一度部屋へ。一息ついたら、樹々のトンネルをくぐり敷地内の温泉へ。朝食時には、鳥のさえずりを聴きながらダイニングへ向かう。すべての行動が森を媒介とする時間の流れを体感し、内なる自分らしさが蘇生されたような感覚を味わえた。ただただのんびりと、風に揺れる葉音や鳥たちの声に抱かれて過ごす“大人の巣篭もり”を味わってほしい。
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1286-116
電話:0460-83-9090
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《CAFE》「箱根エモアテラス」
オリエント急行で時空を超えた旅情に遊ぶ
オリエント急行──その固有名詞には、格別優雅な響きが漂う。贅を尽くした室内装飾とともに、多くの人々の浪漫をのせてヨーロッパ各地を駆け巡った件の長距離寝台特急は、世界で最も豪奢な列車として知られる。ことに黄金時代ともいえるであろう1920年〜1930年には、世界中の王侯貴族や時の政治家、セレブリティーたちにとって、ラグジュアリーな旅のステイタスとされた。そんな憧れの旅を象徴する空間が、ここ箱根でティーサロンとして生まれ変わった。フランスのガラス工芸界の巨匠、ルネ・ラリックが1928年に壁面装飾や照明を手がけ、後にオリエント急行として2001年まで活躍した「PULLMAN 1ère CLASSE NO.4158」の実物のサロンカーを、「箱根エモアテラス」では特別なティーサロンとして開放。箱根ラリック美術館の敷地内に、そこだけ時が止まったような佇まいを放っている。
車両を飾るラリックのパネルは総計156枚。豊穣を映す葡萄とポージングが異なる男女のレリーフを3枚1組で設え、酒の神であるバッカスに捧げる祝祭を表現した。マホガニー材の壁に据えたフロスト加工によるガラスレリーフが静謐な光を放ち浮き立って見えるのは、ガラス背面に銀彩が塗られた鏡面加工による。この車両が実際に運行していた当時、昼間は陽光を受け、夜はランプの光に艶めいたという。光を自在に操ったラリックの巧みな技は、木立に囲まれた箱根の森でも十分に感じることができる。
美しいガラス装飾に目を奪われながら席につくと、体を埋めた椅子がギュギュッと鳴く。「内部のクッション材は藁を編んだもの。この椅子は車両内で組み立てられ、通路の幅よりも大きめに設計されたため搬出することができません。可動式テーブルや絨毯も、すべて当時のままです」とフロアマネージャーの廣岡佳祐さん。改めて花鳥文様のジャカード織の椅子に目を凝らすと、長い年月を経ているとは思えないほどの瀟洒なデザインに、心を奪われる。室内の細部に至るまで贅の限りが尽くされたこの車両は、その保存状態においても現存する中で最上といわれている。そんな極上の空間でいただいたのは、アッサムとダージリンの茶葉によるオリジナルブレンドの紅茶と季節のデザート。ゆったりと数十分を過ごすと、ここが“箱根”だということさえも、遠い記憶のように思えた。
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原186-1
電話:0460-84-2262
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《SEE》「箱根ラリック美術館」
類稀なガラス工芸、躍動的な光の妙を愛でる
オリエント急行でラリックの芸術の一端に触れたら、併設された「箱根ラリック美術館」でさらに造詣を深めていただきたい。同美術館は約1500点に及ぶラリックの作品を所蔵。そもそも、クラシックカーをコレクションしていた初代オーナーが、車のフロント先端を飾るラリック作のカーマスコットに惹かれたことが発端だという。館内では、壮大な壁面装飾パネルやシャンデリアにはじまり、香水瓶から家具に至るまで、約230点の作品が常設展示されている。アール・ヌーヴォーからアール・デコの時代を駆け抜け、宝飾作家からガラス工芸家へと華麗なる転身を遂げたラリックの感性の真髄に触れる作品の数々が並ぶ。
さらに、現在はパリオリンピック・イヤーに絡め、「ラリック×ダンス」と題した興味深い企画展も開催。ニジンスキーやロイ・フラー、イサドラ・ダンカンといった100年前のパリで時代をも動かした表現者たちの史料に重ねて、ラリックの作品を展示。大胆な発想力と緻密な技巧、そして光を操るラリックならではの静謐な輝きの世界を逍遥できる。
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原186-1
電話:0460-84-2255
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