責任ある企業は今、生物多様性の保全に力を入れる。中でもファッション企業は農業に注力する。「グッチ」や「サンローラン」を擁するケリングはその先駆的存在であり、環境再生を目指す農業に世界各地で取り組む。なぜ農業なのか。ケリングの取り組みから読み解く

BY YUKO HIROTA

「ファッションは農業から始まる」と考えたことがあるだろうか。コットンやリネンは畑が、ウールやカシミヤは牧草地が必要だが、農業がファッションビジネスに深く関わっていると意識している人は少ないかもしれない。そして今、こうした牧草地や畑が、過剰放牧や工業型農業による化学薬品や遺伝子組み換え技術の使用、大型耕耘機やかんがい設備などによって土壌劣化を引き起こし、気候変動の主要な要因の一つになっている。

 ケリングやLVMHといった有力企業は、気候変動の要因であるCO2排出量の削減はもちろん、生態系や生物種に与える直接的な悪影響を食い止め、回復させるために生産システムの変革に力を入れる。理由は「ビジネス存続のためには原材料の量と質の確保が必要だから」。このほど来日したケリングのマリー・クレール・ダヴー=チーフ・サステナビリティ・オフィサー兼渉外担当責任者(CSO)は強調する。ケリングは環境政策の中心の一つとして生物多様性と生態系の保全を据えている。

 ケリングはこれまで、自社製品の製造工程が生物多様性にどのような影響を与え、どのような形で依存しているかの理解を深めることに力を注いできた。気候科学や科学的思考、専門機関が推奨する最良の方法など科学的根拠に基づいたアプローチを行っている。そもそもケリングがサステナビリティ経営の先駆者になったきっかけは、バリューチェーン内で創出する環境負荷を貨幣価値で算出する会計方法、環境損益計算(EP&L)の導入だった。算出するのは温室効果ガス(GHG)排出量、土地利用、水質汚染、大気汚染、水使用量、廃棄物の6項目で、実際に計測しないと改善点を把握できないとして約2年をかけて開発。2011年に試験導入し、15年にはオープンソース化している。現在EP&Lは自動車メーカーや製薬会社など約1,000社が活用している。

画像: マリー・クレール・ダヴー。ケリングのチーフ・サステナビリティ・オフィサー兼渉外担当責任者。ジャン=ピエール・ラファラン前首相内閣のテクニカル・アドバイザーとしてキャリアをスタートさせた後、セルジュ・ルペルティエ前環境・持続可能開発大臣の個人秘書に就任。2007年~2012年まで、環境・持続可能開発省などにおいて、ナタリー・コシュースコ=モリゼのチーフスタッフを務めた。2012年から現職 ©Carole Bellaiche

マリー・クレール・ダヴー。ケリングのチーフ・サステナビリティ・オフィサー兼渉外担当責任者。ジャン=ピエール・ラファラン前首相内閣のテクニカル・アドバイザーとしてキャリアをスタートさせた後、セルジュ・ルペルティエ前環境・持続可能開発大臣の個人秘書に就任。2007年~2012年まで、環境・持続可能開発省などにおいて、ナタリー・コシュースコ=モリゼのチーフスタッフを務めた。2012年から現職
©Carole Bellaiche

 そのEP&Lの分析によると、ケリングのサプライチェーンがもたらす環境負荷の内、土地利用が全体の31%を占めており、温室効果ガス排出に次いで環境に多大な負荷を与える要素だったという。そこでケリングは2020年6月、25年までに自然への影響を正味ゼロにすること、そのためにケリングのサプライチェーン全体の土地のフットプリントの約6倍の面積を再生・保護するという野心的な目標を発表した。具体的には、ファッションとラグジュアリーアイテムの原材料を生産する100万ヘクタールの農場と遊牧地を環境再生型農業に転換し、さらにサプライチェーン外にある100万ヘクタールの土地を保護していくというものだ。

 環境再生型農業(リジェネラティブ・アグリカルチャー)は、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す農法で、土壌を健全化することによって、温暖化の原因である炭素を土壌中に隔離できるもの。しかし土地利用は複雑な上、「リジェネラティブ・アグリカルチャー」の明確な基準がなく、用語が混乱を招いている。例えば、農薬や化学肥料、遺伝子組み換え技術の利用も自由で、不耕起栽培などの一部の管理方法を採用しただけで「リジェネラティブ」とうたう企業もあった。そこで、土地の再生が「地球を救う」ための鍵だと考えるパタゴニアはいくつかの団体とともに17年に、認証に基づいた有機農法を基盤としたリジェネラティブ・オーガニック(環境再生型有機農法)認証制度を作り、具体的な方法論のもと、農地の切り替えを推進する。

 ケリングも21年に、国際環境NGOのコンサベーション・インターナショナルとパートナーシップを組み、「自然再生基金」を立ち上げたほか、22年には投資運用会社のミローバの協力のもと、自然保護へ大規模に投資する3億ユーロ規模の基金を立ち上げ、発足時に1億4000万ユーロを拠出するなど、農家やNGO、主要関係者への資金提供を始めた。気候や自然環境に大きな影響を与える現在の農法から、炭素の貯留、気候変動の緩和、自然の回復、地域社会の暮らしの改善、動物福祉の向上を図る環境再生型農業へと移行し、そこで生産された素材の供給を目指すという。前述したように土地利用は複雑で、場所や状態によってアプローチは異なる。実際にどのように取り組んでいるのだろうか。

「自然再生基金」の第一弾として現在、南米、中央アジア、インド、ヨーロッパ、アフリカで84万ヘクタール、6万人の人々が従事する農地で7つのプロジェクトが進行中だ。そのうちの1つ、南アフリカの標高1500メートルのドラケンスバーグの草原は、畜産が第一の収入源で羊の放牧がさかんだというが、過放牧によって生物多様性が失われている。牧草地の保水能力などがなくなり、雨で土地が浸食される被害をもたらしているという。そこで牧草地を6カ月間休ませ植生を再生させる輪転放牧に転換し、さらに再生を促進させるために、コンサベーション・サウスアフリカが植物の枝を利用して、浸食された土地を埋め戻しているという。加えて、羊へのワクチン接種を行い、毛刈りの方法や動物の健康、動物福祉に関するワークショップや研修を行っている。その結果、健康な家畜がよりよい収益を生んでいるという。

 現地を訪れたダヴーCSOは「サステナビリティを語るとき、単に必要なことではなく義務であると私たちは言います。会社の法的な枠組みの中で起こることだけに目を向けるのではなく、サプライチェーンの上流にまで踏み込むことが必要です。それがうまくいき、持続可能なサプライチェーンを構築できると示すことができれば、ラグジュアリーファッションだけではなく、他のセクターのプレーヤーにも影響を与え、この基金に彼らを引き寄せることができると考えています」と語る。最終的には1万1,000ヘクタールの草原が再生され水資源にとっても重要な変化をもたらすのだという。

画像: 地域特有の植物イガマメを羊の飼料に活用するフランスでの取り組み。蜂も生物多様性に一役買っている ©Epiterre (Pierre Dilhan) pollinisateur sainfoin

地域特有の植物イガマメを羊の飼料に活用するフランスでの取り組み。蜂も生物多様性に一役買っている
©Epiterre (Pierre Dilhan) pollinisateur sainfoin

画像: たんぱく質豊富なイガマメの活用で、羊の飼料を輸入する必要がなくなったという ©Agneau fermier du quercy (Jerome Morel )

たんぱく質豊富なイガマメの活用で、羊の飼料を輸入する必要がなくなったという
©Agneau fermier du quercy (Jerome Morel )

 コンサベーション・インターナショナルのCEOであるM.サンジャヤン博士は「『自然再生基金』は農業、炭素、生物多様性、そしてコミュニティのための土地利用の在り方を変革するという、取り組めば達成可能な目標に向けた行動を実際に起こす上で絶対に必要な触媒となるもの。私は南アフリカでこのプログラムとその斬新な融資のアプローチが経済を変え、地域社会を豊かにし、生物多様性を守り、環境再生型農業が世界中でもたらす革命の種を蒔く様子を目のあたりしてきました」とコメントを発表している。

 フランス南西部のコッス・デュ・ケルシー自然公園近くの石灰岩台地では135ヘクタールの土地で畜産を行っており、羊の飼料に地域特有の植物イガマメの活用を始めた。イガマメは南米産の飼料の登場で忘れ去られていたが、イガマメを与えると羊たちの食欲が増しただけではなく、タンパク質が豊富なためわざわざ飼料を輸入せずに済むようになったという。イガマメは丈夫な植物で地中深く根を下ろすので酷暑も耐えられ、土壌がやせ細りがちな石灰岩台地でも雨水も吸い上げることができる。また、イガマメは蜜を生成するので、密を活用できる蜂の巣箱を1ヘクタールあたり2つ設けた。蜂が地域の生物多様性の回復に一役買っている。

画像: 環境再生型有機農法によるコットン栽培へと転換を進めるインドの綿花畑 Courtesy of Conservation International

環境再生型有機農法によるコットン栽培へと転換を進めるインドの綿花畑
Courtesy of Conservation International

 その他、インドでは2000人の綿花農家が環境再生型有機農法によるコットン栽培に移行する体制を整えた。3年間の転換期間の買い取り価格を保証したという。モンゴルでは、17万ヘクタールの土地と75世帯が含まれる「ランドスケープ再生モデル」を試験的に導入するためのガイドラインを開発。アルゼンチンでは牛革を対象に、再生型放牧、動物福祉、動物医療、環境保護に関する最善の方法を中心とした研修を地元の若手技術者に行っている。アルゼンチンのパタゴニアエリアでは、羊毛を対象に、ワイルドライフフレンドリー認証プログラムとの合同アクティビティを実施している。スペインは9,000ヘクタール5,000頭のヤギを対象に環境再生型のプロジェクトを行っている。

 今日、責任ある企業は、企業利益と社会貢献、相反する2つを両立するゼブラ企業のようなアプローチが求められている。ケリングはフランソワ=アンリ・ピノー会長兼CEOが、CEO就任当時の2005年頃から「サステナビリティはオプションではなく、必須事項だ」とその重要性を説き、ビジネスの中核に据えてきた。さらに、業界全体に解決策をもたらす責任があると考え、開発した仕組みを積極的にオープンソース化している。また、多くの企業と協働し、気候変動や生物多様性の保全、海洋保護の3分野で共通の目標を持って取り組む「ファッション協定」をはじめとしたさまざまなイニシアチブの旗振り役を務めるなど、競合他社を巻き込み、ファッション産業全体の課題解決に取り組んでいる。

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.