江戸時代から続く伝統芸能「歌舞伎」。その伝統的なメイクを進化させることで、松本幸四郎が歌舞伎のあらたな可能性に挑む

BY HIROMI SATO, PHOTOGRAPHS BY TAMAKI YOSHIDA, MAKEUP BY KOUSHIRO MATSUMOTO, YUKA WASHIZU, HAIR BY ASASHI

 歌舞伎俳優ほど、自分の顔を熟知している人間はいないだろう。物心ついたときから鏡台の前に座り、白粉(おしろい)や紅で、まるで遊ぶようにしながら顔をつくることを覚えていく。骨格や微妙な凹凸を筆や指先で感じながら、大胆に色を重ね、自らを役柄に重ねていく。「メイクは歌舞伎役者にとって救いです」と十代目松本幸四郎は言う。

「化粧することは、キャンバスに絵を描くみたいなことだと、よく言いますが、厚塗りすることで役者は変身することができます。素顔でやれと言われたら限界があるけれど、顔をつくることができるから、自分でもいい男になれるんじゃないか、強い男になれるんじゃないか、美しい女性になれるんじゃないかと思うことができるんです」

 現在、彼が挑んでいるのは、そんなメイクの可能性をさらに広げるアートワークだ。周知のとおり、歌舞伎には、演出やセリフ、衣裳や小道具に至るまで「型」があり、化粧にも色使いや隈取などに一定のルールがある。その決まりをあえて逸脱することで、どんなものが生まれるのか。グローバルに活躍するメイクアップアーティスト・鷲巣裕香とともに、昨年から試行を重ねている。

画像1: 松本幸四郎の
歌舞伎メイク進化論
画像: 伝統的な荒事の隈取(写真上)をあえて崩すことで、赤のあらたな可能性を探った

伝統的な荒事の隈取(写真上)をあえて崩すことで、赤のあらたな可能性を探った

「歌舞伎のメイク技法と現代のメイクの手法のコラボレーションによって、どんなものが生まれるか、実験しています。たとえば隈取の赤は『善』を表す色で、血気盛んな強い男を演じるときに使います。『悪』には絶対使いません。でも、今回試したように、その赤をちょっとぼかしたり、崩したりすることで、悪のイメージに変えることもできる。善という定義に縛られない、赤の可能性をひとつ探ることができたと思います。いずれは赤で水を表すこともできるんじゃないか――そんな無限の可能性を感じます」

 挑んでいるのは、伝統の否定ではない。それよりもはるかに難しい、伝統を超えていく作業だ。「いわゆる隈取と呼ばれるものは江戸時代からありましたが、現在のようなパターンを完成させたのは、九代目市川團十郎の門弟・三代目市川新十郎で、意外と新しくて明治時代のことです。彼が亡くなったときは、死顔に隈の筋が浮かび上がったという逸話もあるほどで、その功績は大変大きなものですが、かといって、『これ以上のものはない』ということでもないと思うんです。確かに先人たちが作り上げたものは、演出も衣裳もどれをとっても素晴らしい。でも、すごいと思えば思うほど悔しいと感じるところがあって、だったら自分は、彼らの技術を礎にして、さらに進化させてみたいと。それがこういうチャレンジをしたり、新作を作ったりするエネルギーになっています」

画像: 幸四郎が隈取を描くときなどに用いる化粧道具。正義や勇気を表す赤は善人に、冷酷さを表す青は敵役に、茶は妖怪や鬼など、人間ではない役柄に用いられる

幸四郎が隈取を描くときなどに用いる化粧道具。正義や勇気を表す赤は善人に、冷酷さを表す青は敵役に、茶は妖怪や鬼など、人間ではない役柄に用いられる

 400年の歴史をもつ、堅牢な伝統に萎縮したり、平伏したり、懐柔される様子はない。むしろ伝統を生かし続けるためには革新が必要だと考えている。ひとところにとどまっているだけでは、伝統は錆さびていくだけで、進化していくことでしかそれは守られないと、人生の大半を劇場で過ごす彼は、肌で感じているからだろう。

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