BY JUN ISHIDA
ファッションとアートが接近する中、ファッションブランドがアートに関連したスペースを持つというのは今や目新しいことではない。各ブランドがそれぞれのスペースで個性を反映するような展示を行っているが、その中でも一際異彩を放つのがエルメスだ。アート・ギャラリー<銀座メゾンエルメス フォーラム>は、<銀座メゾンエルメス>の8、9階に居を構える。スペースを主宰するのはエルメス財団で、銀座は財団が持つ世界で四つのアート・ギャラリーの一つ(他はベルギーのブリュッセル、韓国のソウル、フランスのサンルイ・レ・ビッチュ)であり、もっとも広い面積を有するものでもある。
エルメス財団とは、芸術や技術伝承、環境問題、教育などに関わる支援活動を目的とした非営利の団体だ。2008年にエルメス6代目当主であるピエール=アレクシィ・デュマにより設立されたが、<フォーラム>は財団設立に先んじて2001年に誕生しており、<フォーラム>で行われていたような活動を持続的に行うために財団が作られたとも言える。四つのスペースのうち、内部スタッフとしてキュレーターを置いているのは銀座の<フォーラム>だけで、説田礼子は2004年に入社して以来、パリの財団と連携しながら独自の企画展を制作している。
説田に<フォーラム>で行う企画展をどのように決めているのかと尋ねると、財団の理念から話は始まった。
「エルメス財団は『私たちの身振りが私たちを作る』という強い信念のもとに活動を行う、フランスを拠点とする非営利団体です。フランス企業が出資することから、フランスというのはキーワードの一つですが、私としてはフランス人アーティストを紹介するというより、広くフランスの精神を伝えるとことが重要だと考えています。とりわけ、多民族国家であることから生まれた寛容性と他文化への好奇心や理解は日本とは大きく異なる視点であり、まずはそうしたものを展示の中心に据えたいと思いました」
フランス的精神と同様に展示内容を決める際に重視するのが、「エルメスらしさ」だ。説田はエルメスを特徴付ける職人気質にその方向性を見出した。
「エルメスは職人の会社であり、ヨーロッパの伝統であるヒューマニティを大切にしたものづくりを行い、唯一無二の製品を作ってきました。それをコンテンポラリーアートの文脈に置き換えて考えるとどうなるかを考えたんです」。
そして見出した答えは、展覧会作りにあった。展覧会を作るのは作家だけではない。作品輸送から会場作り、運営、記録に至るまで、作家が安心して展示を行うための様々な要素を職人的技術として提供する。「アーティストに寄り添う中で、新たな風景を一緒に発見する」、こうした身振りのもと、美術館では成立しないようなユニークな展覧会を実現していった。
<フォーラム>を特徴付けるのは、展示作家のセレクトの独自性にもある。2021年度は、NYを拠点とする日本人作家、落合多武の個展に始まり、革新的な展覧会を仕掛けるキュレーター、マチュウ・コプランによるグループ展、そして日本では初個展となるフランスの伝説的作家ジュリオ・ル・パルクという3つの企画展を行った。いずれもアート界では高い評価を受けているが、広く知られた作家というわけではない。
「有名無名を問わず、ここで展覧会を一から一緒に作るという冒険を受け入れてくれる人、協同や対話を楽しんでくれる人と行っています」と説田はいう。そしてそもそもユニークなのは作家選びではなく、作家との関わり方なのだと話す。
「財団が掲げる『私たちの身振りが私たちを作る』というモットーは、職人の知、すなわち時間をかけて育まれた身体的な知の媒介によって存在に変化をもたらす動的な思考に基づいています。アートに置き換えると、コンテンポラリーアートという評価の定まっていないものに身体を投じてコミットメントすることにより、アーティストとともに可能性を拡張し、新しくユニークな作品や経験を生み出すことなのだと思います。もちろんアーティストごとに選ぶ理由はさまざまですが、仮に他の機関が同じアーティストを選んだとしても、出来上がる展覧会は全く異なるものになると確信しています」。
作家の制作は全面的にサポートするが、出来上がった作品を財団が所有することはない。コレクションを持たないことも、エルメス財団の特質であり、それはその活動の軽やかさにも通じる。
「コレクションを持たないということは、アート・センターの考え方と同様、作品の永続性を大前提としないということであり、だからこそできることもあります。作家が創造を通じて発するエネルギー、いわば一種の破壊にもなりかねない試みにも、一過性の展覧会だからこそ手を貸すこともできるんです。アート作品である以上、作家は何かしらの問題提起を忍び込ませています。そして<フォーラム>はスペース自体もヒューマンスケールの小さなものなので、訪れる方々にも作品にじっくり向き合い、作家の問題意識を自分ごととして考えてもらえるのではないかと思います。社会の中で個人が個人でいられる場所というのは、今失われつつありますが、『個人』や『親密さ』の領域を重視するエルメスとしては、そうした場所を死守することもアートの役割の一つであり、プライベートの施設だからこそできることだと考えています」
今年、エルメス財団は日本でまた一つ新しい活動をスタートする。それは2014年よりパリで開催されている「スキルアカデミー」の実施であり、説田はこのプログラムの日本での立ち上げを主導した。「スキルアカデミー」とは、「自然素材に光を当て、それに関わるスキル(職人技術や手わざ)の伝承、拡張、普及を目指すプログラム」(パンフレットより)であり、3月からは「木」をテーマとした中高生向けのワークショップが始まる。
「世界が人間中心でない方向へと突き進む中で、「自然素材とは何か」「手仕事とは何か」を考え直すために、財団はスキルアカデミーを立ち上げました。人間が行ってきた作業がAIやロボットに置き換わってゆく今、これまで『スキル』と呼んでいたものは何であり、これからは何を『スキル』と呼ぶのか、そうしたことを考えるためのプラットフォームです。木、土、金属などの素材を取り上げてゆきますが、そこには昨今の自然環境の問題も含まれます。日本ではまず、昨年『Savoir & Faire(サヴォワール・エ・フェール)木』と題した書籍を講談社選書メチエシリーズより刊行しました。日本では、大人が変わらないと子どもは変わりません。ですので、まずは大人が考えるきっかけになればと思い、フランスで出版された同名の書籍を独自に解釈、編纂した本を作ったのです。5年越しのプロジェクトになりましたが、畠山直哉さんと内藤礼さん、山本昌男さんといったアーティストともご一緒させていただきました。彼らは強い個性と長いキャリアを持った比類なきアーティストでありますが、今まで<フォーラム>で展覧会を行う機会はありませんでした。しかし、新作をメインとしている展覧会とは異なる形、つまり彼らの既存の重要な作品を、改めて記憶し、伝承してゆくために出会えたことは大きな経験となりました。<フォーラム>での活動があったからこそ、実現した企画でもあります」
展覧会も含め日本が独自の企画を実現できるのは、パリにある財団の本体が、それぞれの国に活動を委ねているからと説田はこれまでの歩みを振り返る。
「パリの財団と各国の間に信頼関係によって生まれた場所が「土壌」となり、さまざまなクリエーションが生成するプラットフォームへと成長したのだと思います。土壌づくりも職人技と同様に長い時間がかかります。<フォーラム>では、作家や展示制作のチームだけでなく、会場の監視スタッフや記録の撮影、展示ごとに来場してくれる鑑賞者の方々もこの場所を作り、維持してゆく重要なアクターです。パリが一方的にコントロールする体制であったら、ここまで成長することはできなかった。だからこそ他とは違う、ユニークな場を作ることができたのではないでしょうか」
「転移のすがた」アーティスト・レジデンシー10周年記念展
会期:~4月3日(日)
会場: 銀座メゾンエルメス フォーラム 8・9階
住所:中央区銀座5-4-1
開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)
※ギャラリーは基本、銀座店の営業に準じております。開館日時は予告なしに変更の可能性がございます。詳細は公式サイトをご確認ください。
入場料: 無料
電話:03(3569)3300
公式サイトはこちら