BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY ANDREW MOORE, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA
ニューヨーク西56丁目にそびえる高さ約250mの超高層ビル、通称「シティスパイア」に、アーティストのルーカス・サマラスの住まいがあった。ミッドタウンの6番街と7番街に挟まれたブロックは、周囲と同じく何の変哲もないオフィス街だ。昨年87歳で死去したサマラスが、このコンクリートビルが完成した直後の1988年から62階に住んでいたというのが、何より驚くべきことだったのかもしれない。

ルーマス・サマラスのスタジオだった部屋
サマラスは、20世紀の芸術家の中でも群を抜いて定義が難しいアーティストだ。キュレーターのダイアン・ペリー・ヴァンダーリップは、彼には「計り知れない神秘」があると表現した。サマラスはありとあらゆる分野で創作をした─彫刻、写真、宝石、家具、絵画、執筆、そして写真のコラージュ。ただしテーマはほぼ例外なく一貫している。自分自身だ。10代に始まり、この世を去るまで、多くのセルフポートレート作品をつくり続けてきた。絵具やパステルで自分を描き、ポラロイドや16ミリフィルムで自分を撮る。化粧をしてかつらをつけた自分、髭面の自分、髭を剃り落とした自分、全裸の自分、毛皮の襟つきのダブルのコートを着た自分。300㎡弱ある住まいの壁一面をこうした作品が埋め尽くしている。昨年秋にこの部屋を訪れた際、サマラスの作品を長く扱ってきた画廊ペース・ギャラリーの担当者は、棚にきっちり並んだ数十冊のバインダーの中から黒い表紙の一冊を取り出し、何百枚という自画像が鉛筆で精巧に描かれているのを見せてくれた。

マンハッタンにそびえる超高層ビルの62階、ルーカス・サマラスのダイニングルーム。1988年に入居し、この世を去るときまで、彼はここに住んでいた。室内はサマラスの芸術作品や、彼がデザインした家具であふれている。オーク材とグレーの薄板を使ったテーブルと椅子、銀色のラメ生地のカーテンも、彼の手によるものだ。壁と天井の境目には色鮮やかな縞模様をペイントした。左隅にあるのはサマラスのインスタレーション《Doorway》(1966/2007)の模型で、現在はニューヨーク州北部の美術館ディア・ビーコンで展示中
どの自画像も彼ひとりだ。困惑と安堵のあいだのような雰囲気で、彼がこの孤独を決して気軽に得たわけではなく、どんな代償を払ってでも守ろうとしている印象を与える。サマラスは生涯独身で、子どもを持たなかった。起きている時間はほぼすべて創作活動に費やし、アシスタントは雇わなかった。車の運転を習ったことはなく、歩くのが好きで、セントラルパーク周辺を好んで歩いた(1971年に、室内にこもる理由について「屋外は贅沢品、ドラッグのようなもの」と話している)。ペース・ギャラリーの創業者で、現在86歳になるアーネ・グリムシャー(妻のミリーが共同創業者)は、1965年からサマラスとつきあいがあり、自分にとって最も親しい友人のひとりだと語っている。彼の知る限り、サマラスが誰かとデートをしたことは60年間で一度もない。自分自身が恋人だと本人も言っていた。

オフィスの寝台用長椅子(昼寝をした)。棚も自身がデザインしたもので、ドローイングや写真を収めたバインダーがぎっしり並ぶ
サマラスはかつて、自身の芸術活動を「僕の精神世界の公開」と表現し(2003年にニューヨークのホイットニー美術館で開催された回顧展のタイトルは『Unrepentant Ego(悔悟なきエゴ)』)、作品は「表面的な僕自身が知らない領域を発見する」ことだと語った。実際、彼の住まいを一種の精神分析的な職住一体空間として見なさないほうが難しい。この空間(家)が彼の世界だった。そして彼の世界が彼のアートだった。彼のアートが彼自身だったのだ。歳月を経て、それらは分かちがたいものになった。以前はマンハッタン西71丁目のアパートメントに住んでいたが、そこには窓がなかった。シティスパイア竣工後すぐ入居を決めたのは、この高層ビルからマンハッタン全体を見渡せたからだ。玄関から続く長い廊下のつきあたりにあるリビングルームからは、思春期を過ごしたニュージャージー州の方角も見える。彼の居住スペースは厳密にはアパートメント2 戸分だ。寝室がひとつの一方と、寝室がふたつのもう一方をあわせて使い、寝室のひとつを寝る場所、別のひとつをオフィス、もうひとつをスタジオにしていた。ただし壁を1 カ所ぶち抜いた以外は、本格的につなげることはしなかった(キッチンのひとつは使っていない)。この2戸を統一するのは、それぞれに置かれた
キャビネットや棚だ。サマラス自身がデザインし、表面をグレーのラミネートで仕上げている。自身の作品を飾ったり─毎晩眠りに落ちる前に、ベッドの正面の赤茶色のブロンズ像を並べた棚が目に入る─寝室では靴を並べたりしていた。部屋じゅうが作品であふれ、古いものでは彼が高校生のときの作品もあるが、雑然とした印象はなく、私設美術館のように几帳面に陳列されている。ベッドのフレーム、ダイニングテーブル、デスクなど家具の大半もラミネートで覆われていて、そのミニマリスト的な一貫性は、作品の鮮やかな色合いとは対照的だ。作品ではグリッターやピンや布などチープな素材を好み、家具の一部にはそういった装飾を施したものもある。たとえば、ベンチや椅子の座面はカラフルな毛糸を束にして敷き詰め、透明のビニールで包んでいる。ラメがきらめく銀色のカーテンも手製だ。それで遮らないときは明るい日光が射し込むのだが、真っ暗にしておくことが多かった。

数年かけて断続的に仕上げてきた大がかりなインスタレーション、《Retrospective Wall》(2015-24)。この部屋は彼のスタジオだった。コンピュータもこの部屋に置き、キャリア後半の数年間は積極的にAdobe Photoshopで作業していた。晩年に介護ベッドを置き、彼が息を引き取ったのも、この部屋
<後編に続く>
PHOTO ASSISTANT: RYAN RUSIECKI. ALL ARTWORKS © LUCAS SAMARAS, COURTESY OF PACE GALLERY, NEW YORK
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