BY NAMI IKUMA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA
イギリス・ロンドンの中心部に、チャーチル首相も足繁く通ったバーバー(理髪店)がある。重厚な雰囲気の店内に据えられた椅子に刻まれた文字は「BELMONT」。日本のタカラベルモント製である。同社の理容椅子は世界でトップシェアを誇り、その卓越した品質は「バーバーチェアのロールスロイス」とも称される。
1921年、大阪で鋳物工場としてスタート。創業者の吉川秀信はアメリカ製の理容椅子を参考に試行錯誤を重ね、製品を開発した。約百年後の今、理容椅子のみならずデンタルチェアから分娩台まで多様な“働く椅子”を世に送り出すグローバル企業に。
昭和後期には理容院の数を美容院が超え、カットやパーマ、カラーリングで“なりたい髪型”を実現する技術も飛躍的に向上した。やがて、毛髪そのものの美しさや頭皮の健やかさを保つことに人々の意識が向けられるようになる。今世紀に入ると、髪を「デザイン」するだけでなく、「ケア」する方向へ、美容の潮流がシフトした。流れを大きく加速させたのが、同社のシャンプー機器「YUME(ユメ)」だ。
「ヘッドスパ」と聞けば、今やたいていの人が施術内容やその心地よさを知っているだろう。サロンに足を踏み入れると、シャンプーブースに案内される。据えられた業務用の椅子に腰を下ろすと、包み込まれるような安心感とともに体がゆっくり後方に傾き、数秒後には横たわる姿勢に。この完全フルフラットになるシャンプー台が「YUME」である。横になるとこわばっていた体から力が抜け、ふうとひと息。やがてスチーム、シャンプー、入念なマッサージにトリートメントと至福の時間が続く。
以前のシャンプー台はこのように心地よいものではなかった。座ったまま首を屈曲するので、起き上がった際に立ちくらみや頭痛を起こした事例も少なくないという。洗う側にとってもシャンプーは重労働だった。蛇口とシャンプー台は壁についているため、腰をひねったまま、約5㎏ともいわれるヒトの頭を抱えて洗わねばならない。この“サイドシャンプー方式”が引き起こす腰痛で辞めていく人も多くいた。
「シャンプーにまつわるネガティブな状況を改善したいという思いが出発点でした」と、「YUME」を手がけたデザイン開発主幹・高田知明は振り返る。双方の健康を守り、快適さも実現すべく、研究が始まった。「最大の課題は、シャンプー台を壁から自由にすることでした。施術者が客の後ろ側に座って洗うスタイルにすれば、無理な体勢で腰を痛めることを防げます。ヨーロッパにはそのタイプの椅子がありましたが、単に髪を濡らすだけ。人間工学に基づいた快適性を付加することを目指しました」
2000年、「YUME」の前身「RS(リアシャンプー)」というバックシャンプー式の機器が完成。客の体を前方にスライドできて、双方の快適性が格段に上がった。画期的なのは施術者の両手が使えるようになったこと。客の頭を両手で均等に包み込みながら、洗髪のみならず、時間をかけてマッサージやトリートメントを施すことが可能になったのである。これぞ、「ヘッドスパ」の原点。ちなみにこの「ヘッドスパ」という和製英語の名付け親はタカラベルモントである。同社はこのタイミングで「ヘッドスパ」のためのヘアケアラインのブランドもローンチする。
「しかし、『RS』はフルフラットではなく、次の課題は体を完全に横にすること。それには頭を支える枕のようなものが必要ですが、ネックピローを置くだけでは洗髪の邪魔になる。ここが本当に難しく、チーム全体で何度も試行錯誤を重ねました」と高田。最終的に、首と後頭部を3点で支え、二つの軸が回転する構造の装置を開発する。「これで安定して首と頭を支えられるようになった。この装置が完成した瞬間、新しい椅子の成功を確信しました」
理容椅子やデンタルチェアの開発で培ってきた昇降機能技術もフル活用し、2006年、遂に初代のフルフラット電動シャンプー台「YUME」が完成。その設置には多くの費用とスペースを必要としたが、国内外で大いに反響を呼んだ。特に積極的だったのは、時代の流れを鋭くキャッチした美容サロンのオーナーたちだ。彼らは競うように、壁際にあったシャンプースペースをサロンの表舞台へ引っ張り出した。趣向を凝らしたしつらえで「YUME」を主役にしたリラクゼーション空間を演出し、ヘッドスパ・メニューを提供するようになる。それらはストレスフルな現代人にジェンダー差なく受け入れられた。
こうして1台の椅子から始まった物語は、ヘアカットに続く一過程でしかなかったシャンプーに別次元の価値をもたらし、新たな美容文化の源流となったのである。
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