取り壊される寸前に見出され、よみがえった、箱根・仙石原の別荘地に建つ10坪の家。日本が誇る名建築家・吉村順三が愛情を注いで建てた最小住宅をめぐる、奇跡の物語

BY NAOKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY MASANORI AKAO

画像: 畳の間からダイニングを見る。家のほとんどを占めるこの空間は、三方の窓から庭を見渡せるため、実際の面積よりもかなり広く感じられる。このほかに3 畳の寝室とバスルームがある。畳に座ると、ダイニングチェアに腰掛けた人と視線が同じ高さに。キッチン横の造作棚は、指物のような丁寧なつくりだ。暖炉は吉村からのプレゼントだという。家具も吉村の選定によるもの。左は剣持勇デザインのラウンジチェア。ダイニングテーブルは天童木工、チェアはヤマカワラタン。壁と天井はすべてラワン材。天井は吊らずに、屋根そのものの角度で空間に広がりをもたせている。

畳の間からダイニングを見る。家のほとんどを占めるこの空間は、三方の窓から庭を見渡せるため、実際の面積よりもかなり広く感じられる。このほかに3 畳の寝室とバスルームがある。畳に座ると、ダイニングチェアに腰掛けた人と視線が同じ高さに。キッチン横の造作棚は、指物のような丁寧なつくりだ。暖炉は吉村からのプレゼントだという。家具も吉村の選定によるもの。左は剣持勇デザインのラウンジチェア。ダイニングテーブルは天童木工、チェアはヤマカワラタン。壁と天井はすべてラワン材。天井は吊らずに、屋根そのものの角度で空間に広がりをもたせている。

 これは、1969年に吉村順三によって建てられた1 軒の家にまつわる物語だ。発端は、設計会社に勤務する辻林舞衣子による、吉村順三建築についてのSNSでの発信だった。それを読んだ友人から「昔、家族が使っていた別荘の設計をした人の名前を久しぶりに聞いた」というメッセージを受け取った。よくよく話を聞いてみると、どうやら彼女が「別荘」と呼ぶその家は、吉村の妻でバイオリニストだった大村多喜子の従姉妹が、母にプレゼントするために吉村に100万円の予算で注文したものだということがわかった。みな、すでに故人だが、大の仲良しだったという。
 辻林がすぐさま作品集などで調べると、この家は吉村が手がけた最小の家だということが判明した。200坪の敷地に建つ、わずか10坪の家だ。
 友人の話によると、20年ほど誰も使わないままで建物の傷みもあるため、更地にして売却する方向で話が進んでいるという。1 カ月後には家が解体されるかもしれないというタイミングだった。
「この家の"助けて" という声が聞こえた気がしました。その時点では自分が購入できるかどうかわからない状態でしたが、とにかく、契約を待ってもらえないかと友人にお願いしました」
 現場を見せてほしいと頼み込み、2 週間後、初めてこの家を訪れた。背丈を超える雑草をかき分けて庭を進み、ようやく見えた家は、聞いたとおり、木製のバルコニーと玄関の階段が朽ちている状態だった。

画像: 外観。外壁は杉板に張り替える予定。カエデと桜の古木がある広い庭の入り口と家の間に築山を設け、それに沿ってカーブを描くアプローチを通って家に至る。出入りが楽しく、道路からは家が見えにくくなる。

外観。外壁は杉板に張り替える予定。カエデと桜の古木がある広い庭の入り口と家の間に築山を設け、それに沿ってカーブを描くアプローチを通って家に至る。出入りが楽しく、道路からは家が見えにくくなる。

「少し不安になりましたが、家に一歩入った瞬間、思わず『ああ』と声が出ました。まさに吉村先生の創った空間だ、何としてでも守ろう、と決意が湧き上がりました。約20年間、閉め切ったままだったにもかかわらず内部は使われていた当時のままのようなきれいな状態で、まるでタイムカプセルを開けたようでした」
 その後、友人家族の全面的な協力を得て、辻林はこの家を入手。その報告のため、吉村の長女で吉村順三記念ギャラリーの代表を務める吉村隆子に連絡を取った。
「この家を引き継ぎ、保存したいとお話しすると、とても喜んでくださり、残されていたすべての設計図を託してくださいました」

画像: 図面。造作家具の設計図まで揃っている。

図面。造作家具の設計図まで揃っている。

美しい艶をたたえる床はすべてヒノキ材。辻林はバルコニーを竣工当時同様ヒノキ材で修復。

畳の間と寝室の照明も、この家のためにオリジナルで設計された。その端材で作られたと思われる行灯。

バスルームのミラーつき収納には、庭の緑が映る。

画像: 寝室の3 畳間の壁。施主は母のためにこの家を建てたが、母は間もなく他界。施主が夏の家として長く愛用した。その痕跡が今も残る。

寝室の3 畳間の壁。施主は母のためにこの家を建てたが、母は間もなく他界。施主が夏の家として長く愛用した。その痕跡が今も残る。

 大好きな妻の従姉妹のために、吉村が腕によりをかけて設計したであろういちばん小さい家には、吉村建築のエッセンスが凝縮されている。視線が外に広がる、10坪とは思えないとびきりの開放感と、女性ひとりの滞在を包み込む安心感。一段上がった畳の間。丁寧に造られた収納。暖炉。何より、親密な空気感。
「屋根とバルコニー、玄関の修繕のために第1 弾のクラウドファンディングを募集したところ、大変ありがたいことに多くの賛同をいただき、修繕が完了しました。外壁を竣工当時と同じ杉の下見板張りにするための第2 弾をまもなく募集予定です。将来は、さまざまな方に広く利用していただくサロンのような形で運営していきたいと考えています。大富豪でなくとも、会社勤めの女性でも、一般人の立場から文化財の保存活動ができる。建物資産の活用を身近に感じていただく一助ともなればいいなと考えています」

画像: 辻林舞衣子(つじばやし・まいこ) 一級建築士。東京大学工学部建築学科に入学し、同時期に教授に就任した安藤忠雄の薫陶を受ける。卒業後、大手設計会社に入社。パンデミック中、東京大学大学院に入学。就業を続けながら吉村順三の研究を進めている。修復の進捗やクラウドファンディングの情報は、インスタグラム @sengokubara_junzo.yoshimuraにて。

辻林舞衣子(つじばやし・まいこ)
一級建築士。東京大学工学部建築学科に入学し、同時期に教授に就任した安藤忠雄の薫陶を受ける。卒業後、大手設計会社に入社。パンデミック中、東京大学大学院に入学。就業を続けながら吉村順三の研究を進めている。修復の進捗やクラウドファンディングの情報は、インスタグラム @sengokubara_junzo.yoshimuraにて。

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