プラネタリウム・クリエーターとして早20年、前例のない仕事を積み重ねてきた大平貴之。彼は今、「星空を見ること」の意味を考えている

BY TOMOSHIGE KASE, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO

画像: 加工室にて。 大平は、思い描く構想に必要なパーツが頭に浮かんだとき、自らの手でサンプルをいくつも試作するという

加工室にて。
大平は、思い描く構想に必要なパーツが頭に浮かんだとき、自らの手でサンプルをいくつも試作するという

 高校では物理部天文班に所属し、卒業後は日本大学理工学部で機械工学を学んだ。もちろん青春はプラネタリウムとともにあった。その集大成が「アストロライナー」。1991年当時、個人では製作不可能と言われていたレンズ投影式プラネタリウムである。
「大学は結局、1年間休学しちゃったんですよ。アルバイトして製作費を稼がなきゃならないし、製作そのものに時間がかかりますからね。川崎の自宅から千葉にある大学のキャンパスまで総武線で通っていたんですが、時間がもったいないんで、なりふりかまわず電車内で部品を削ったりして。今思えば周りの乗客はすごく迷惑だったでしょうね(笑)。

 アルバイトはいろいろやりました。コンビニ、ガソリンスタンド、塾講師。そしてスイッチング電源のメーカーでのアルバイト。これが良かったんです。大田区の『イーター電機工業』という会社で、プラネタリウムの電源回路に関する情報、知識、部品がずらりと揃っていて……もうパラダイスでした(笑)。社長さんがとても良くしてくれましてね。レポートを出せば、仕事が終わった後は、工場の設備と部品を使って自由に研究していいと言ってくれて」

 そうして完成した「アストロライナー」は、大学の文化祭で発表された。製作費は約250万円。その金額は大学時代に稼いだアルバイト代のほぼすべてである。言葉にしてしまえば簡単だが、はたしてそんな学生は今いるのだろうか。自分の好きなことに対する身の投じ方、没入の深さが、大平貴之という人物の凄みである。

「ソニーに就職してからも、個人でプラネタリウム製作は続けていました。周りからは『社会人になったら忙しくて無理だ』と言われていたのですが、これが違うんですね。なにせ給料が月々20万円くらい入る。学生時代は1つ1万円の部品がどうしても買えなかったけど、買えるようになる。これは素晴らしいなと(笑)」
 社会人一年目ならばたいていの人間は仕事で一杯いっぱいになってしまうところだが、どうも大平の思考回路は多少、普通の人間と異なるようだ。資金が潤沢(?)になったことで、さらに精度の高いプラネタリウムが作れると考えたのである。

画像1: 大平技研の会議室内で、「MEGASTAR-Ⅱ」で投影した天の川のプラネタリウム。 どこにでもあるような会議室が、一瞬で無限の星の世界へと変わる

大平技研の会議室内で、「MEGASTAR-Ⅱ」で投影した天の川のプラネタリウム。
どこにでもあるような会議室が、一瞬で無限の星の世界へと変わる

 1998年には、ついに投影する星の数が170万個という、従来のプラネタリウムの常識を大きく超えた「MEGASTAR(メガスター)」をロンドンで発表する。このとき大平は28歳。ちょうどその頃、所属していた部署がプロジェクトを終えて解散。少しずつ、自分のMAGASTARへの仕事の問い合わせが増え、進路について考え始めた大平が上司にプラネタリウム作りのことを話すと、一転、社内プロジェクトとして進行することになった。が、結局うまくいかず2003年にソニーを退社した大平は、プラネタリウム・クリエーターとして独立する。

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