ロンドンの労働者階級に生まれ、弱冠27歳でジバンシィのデザイナーに昇りつめ、2010年、40歳で自ら命を絶ったアレキサンダー・マックイーン。生前の貴重な映像や親族、関係者の証言によって完成したドキュメンタリー映画は、そのあまりにも劇的な生涯を描き出す

BY KURIKO SATO

「自分のことを語る必要なんてない。僕の作る服が、僕のことを語っている」。生前、めったにインタビューを受けなかったアレキサンダー・マックイーンはこう語ったことがある。いまやほとんどのブランドがマーケティングに左右され、アーティスティック・ディレクターたちが目まぐるしく交代するなかで、こう言い切れるデザイナーが果たして何人いるだろう?

 アレキサンダー・マックイーンのショーは毎回センセーションを巻き起こした。単に洋服を見せるランウェイではなく、舞台全体が総合芸術と言えるほどにアーティスティックで斬新であり、デヴィッド・ボウイ、レディ・ガガ、ビョークら尖った感性を持ったアーティストたちから愛された。

画像: 27歳でジバンシィのデザイナーに抜擢されたマックイーンは、メゾンの因習を打ち破り、アトリエに職人たちを招き入れて一緒に仕事をした

27歳でジバンシィのデザイナーに抜擢されたマックイーンは、メゾンの因習を打ち破り、アトリエに職人たちを招き入れて一緒に仕事をした

 マックイーンの生涯は、どんなフィクションにも劣らぬほどドラマティックだ。イギリスの労働者階級の出身で、何もないところから出発し、23歳でコレクション・デビュー。1997年に27歳でジバンシィのデザイナーに抜擢されて自身のメゾンと兼任し、34歳で大英帝国勲章を授与された「モードの反逆児」。ファッションデザイナーというよりはまさしくアーティストであり、そんな生き方をラジカルに貫き、不器用なほど自分に正直に生きて、最後は40年の生涯に自身で幕を引いた。新作ドキュメンタリー、『マックイーン モードの反逆児』は、そんな彼の業績に最大限のオマージュを寄せながら、そのきらびやかな成功の陰に隠れた、彼の負の業を浮き彫りにする。

 メガホンを握ったのは、ともにドキュメンタリー制作は初めてというイアン・ボノート(『エッジ・オブ・スピード』)と脚本家ピーター・エテッドギー。ふたりは本作を共同監督するにあたって、「なるべくマックイーン本人の言葉を発掘すること」、そして「マックイーンの人生と密接に融合していたそのクリエーションを通して、彼の本質に迫ること」を念頭に、映画を5つのパートに分け、彼の軌跡を追う。

画像: 1999年春夏のショーでは、真っ白なドレスにロボットによるスプレーペイントを施すショーを披露し、招待客たちを魅了した

1999年春夏のショーでは、真っ白なドレスにロボットによるスプレーペイントを施すショーを披露し、招待客たちを魅了した

 マックイーンが好きだったという音楽家マイケル・ナイマンによるバロックな調べに乗って幕を開ける第一部と第二部では、マックイーンが服作りの天職に目覚めた原点や、コレクション・デビューなどキャリアの初期が語られる。6人兄弟の末っ子として育ち、職を探して当時人手不足にあったロンドン最高峰のサヴィル・ローの仕立て屋に就職し、テーラリング技術をマスターしたこと。

その技術だけを武器にあてもなくミラノに渡り、ロメオ・ジリに弟子入りしたこと。帰国後、名門セントラル・セント・マーチンズに入学し、卒業コレクションでその後生涯の友となるヴォーグの有名エディター、イザベラ・ブロウの目に止まったこと。失業手当で生地を買い、23歳でロンドンの伝説の殺人鬼などをテーマにしたコレクション・デビューを果たすものの、「奔放、奇抜すぎる」と酷評されたこと――。

画像: サヴィル・ロウ仕込みのテーラリングを駆使しながら常に創造力あふれる美しい服をデザインする一方で、コレクションのショーでは毎回、エキセントリックなまでに奇抜な演出で人々の度肝を抜いた

サヴィル・ロウ仕込みのテーラリングを駆使しながら常に創造力あふれる美しい服をデザインする一方で、コレクションのショーでは毎回、エキセントリックなまでに奇抜な演出で人々の度肝を抜いた

 これらのエピソードにはすでに、時として「尊大」と言われるほどアーティストとして確固たるヴィジョンを持ち、決して迷いのなかったマックイーンの人柄が表れている。彼は語る。「他人、そして自分にどう思われてもよかった。だから心の奥深い闇から恐ろしいものを引き出し、ランウェイに乗せるんだ」

 たとえば「ハイランド・レイプ」と題された'95-'96秋冬コレクションのショーでは、あたかもレイプされた直後のように引きちぎられた服や、露出度の高い服のモデルたちを登場させ物議を醸した。だが「女性の強さを強調したかった」というそれらのコレクションは美しいカッティングに裏打ちされ、ヴァイオレンスとビューティが融合した、今見ても鮮烈な印象を残すものになっている。

 第3部では、若くしていきなりフランスの伝統的なメゾン、ジバンシィのデザイナーに抜てきされた彼が、少数のスタッフとともにイギリスからパリに乗り込み、カルチャーショックのなかで、自らのやり方を通した様が語られる。たとえば老舗メゾンのルールだった「職人のアトリエ入室禁止」をなくしたエピソードひとつをとっても、無意味な権威主義に反抗し、クリエーションの便宜を最優先させる彼の民主的な一面が理解できる。

画像: 2006-2007秋冬コレクションでホログラムとなって登場し、センセーションを巻き起こしたケイト•モスとは、プライベートでも仲が良かった

2006-2007秋冬コレクションでホログラムとなって登場し、センセーションを巻き起こしたケイト•モスとは、プライベートでも仲が良かった

 続く第4、第5部では、年14回ものコレクションをこなし、まるでアートのインスタレーションのような独創的なショーを次々に展開していく一方で、年々エスカレートする非人間的なスケジュールとプレッシャーに圧迫されていく様子が描かれる。

 とくに本ドキュメンタリーで感慨深いのは、これまで取材を拒んでいた彼の家族や、長年苦楽を共にした近しいスタッフや友人たちの、語られることのなかった証言が集められている点だ。そのなかには、自らもDVを受けたという姉や甥によって明かされた、義兄による幼い頃の虐待も含まれている。

画像: 最愛の人だった母親と。2010年2月に他界した彼女の葬儀の前日に、マックイーンが自宅で首を吊っているのを家政婦が発見した PHOTOGRAPHS: © SALON GALAHAD LTD 2018

最愛の人だった母親と。2010年2月に他界した彼女の葬儀の前日に、マックイーンが自宅で首を吊っているのを家政婦が発見した
PHOTOGRAPHS: © SALON GALAHAD LTD 2018

 母親と強い愛情で結ばれていたことで知られるマックイーンが、ショッキングなほどヴァイオレントでありながらもつねに強い女性像を追求し、ときには人間を超越した異星人のようなコレクションを生み出してきたのには、ひょっとしたらこうした家族を取り巻く背景も影響していたのかもしれない。彼はこう語る。「ファッションデザイナーなら誰でも幻想を作りたい、人を惹きつけるものを作りたいと思うものだ。でも服は美しいものだが、外には現実がある。現実に耳を塞ぎ、世界は楽しいと思う人に、現実を伝えたい」

 パンクなアンファン・テリブルのイメージの下に純粋さと複雑さを秘めた、孤高のアーティスト。残念ながらその人生は、このうえない才能と名声を手にしても人は幸福にはなれるものではない、という証になってしまった。いやむしろ、多くの人が持てないものを手にしてしまったからこそ、彼は不幸にならざるを得なかったのかもしれない。ほとばしる情熱に突き動かされ破滅へと至ったその姿は、ファッションという枠を超えて、観る者の心に深く重く刻印される。

『マックイーン:モードの反逆児』
4月5日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
公式サイト

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