BY MARI SHIMIZU
歌舞伎座で令和初となる「秀山祭九月大歌舞伎」の幕が開いた。中村吉右衛門さんを中心とするこの公演は、初代中村吉右衛門生誕120年を記念して2006年に始まったものだ。吉右衛門さんの養父である初代は、明治、大正、昭和の歌舞伎界に大きな功績を残した名優。それを裏付けるエピソードが吉右衛門さんの幼い日の記憶にある。
「『盛綱陣屋』に小四郎という役で出ていたときのことです。お客様というお客様が、初代の演じる盛綱をじっと見つめ、集中しているのがひしひしと伝わってきました。そして要となるせりふになると、劇場が揺れているかのような、とてつもない拍手に包まれたのです。盛綱という人物に心をつかまれ、思わず身を乗り出し無心で手をたたいている、そんな感じでした」
人間の内面を深く掘り下げた役づくりと、磨き抜かれた技術に基づく確かな演技力が熟成を極めた、晩年のエピソードだ。
発祥から400年以上を経ている歌舞伎は、時代と共にさまざまな色あいを加味しながら発展してきた。江戸時代、庶民の娯楽として親しまれた頃は、奇想天外な物語や男女の色恋などセンセーショナルな出来事を取り上げた話題性、斬新なファッション、大胆な仕掛けなどで、大衆の興味を惹きつけていた。それは魅惑的なエンターテインメントであったに違いないが、言葉を変えれば庶民的でどこか通俗的な芝居ともいえた。
そして西欧文明が一気に流入した明治という新たな時代を迎えた時、歌舞伎の世界にも芸術としての高みを目指そうという気風が生まれてきたのである。その中心となったのが、初代が薫陶を受けた九代目市川團十郎だった。
「外国の演劇にも劣らない舞台芸術として歌舞伎を盛り上げようと、九代目團十郎さんや文学者の坪内逍遥先生といった方々が力を尽くされ、さらに二代目(市川)左團次さんをはじめとする方々がいらしたからこそ今の歌舞伎があるのです。そしてその志を受け継いだのが初代吉右衛門なのです」
初代を通してそれは昭和へとつながり、その舞台に学んだ名だたる名優たちによって、当代の吉右衛門さんへと伝わったのである。
「役者の芸というものは舞台に立っているその時その場にしか存在し得ないもので、いなくなれば消えてしまいます。けれどその功績まで忘れ去られてしまってはあまりも悲しい。お客様の心をこんなにもつかんだ、初代吉右衛門という役者がいたのだということをいつまでもご記憶いただき、一代で築き上げた播磨屋(吉右衛門さんの屋号)の芸というものを微力ながらもお客様にお見せすることが二代目としての使命です」
還暦を過ぎた頃からより一層強くなったというその思いが結実したのが秀山祭だ。秀山とは俳人としても秀作を残した初代の俳名であり、吉右衛門さんも一度はその名も受け継いだ。だが秀山祭の始まりをきっかけに返上。唯一無二の存在として初代を敬う心の表れなのだろう。