BY A.O. SCOTT, TRANSLATED BY MASANOBU MATSUMOTO
私がスパイク・リーを初めて見たのは、映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』の予告編でのことだった。そこでリーは、“全粒粉パンのためのバター”を買うために、街角で白いソックスを売る男に扮していた。1986年のことだ。それ以来、リーが監督として参加した新作『ザ・ファイブ・ブラッズ』(2020年)まで、私はずっと彼の全作品を公開されるとすぐに観てきた。ドキュメンタリーやコンサート映像、ミュージックビデオ、さらに彼が手がけた映画以外の20本以上の作品も含めて。
彼の作品にはバラつきがあり、またときどき、彼の対社会的な顔によって、人々の関心が映画製作以外のことに向いてしまうことがあっても、それらの作品が決して面白くないというわけではない。インタビューやソーシャルメディアにおける彼の率直で可笑しく、ときおり苛立たしくもある発言は、リーの政治に対する情熱の証であり、遊び心の現れであるが、同時にその資質は映画に反映されている。彼の作品の多くは、アメリカにおける過去そして現在の人種差別と向き合い、その残酷さと矛盾に厳しい目を向ける。また、中でも彼の傑作と言える映画は、独創的なヴィジュアル、記憶に残る演技、際立つ音楽表現にあふれた、映画芸術の比類なき作品だ。
壮大で多岐にわたる彼の作品をどういう視点で観ていけばよいか―― もしあなたがそれを求めているならば、ここに挙げた“スパイク・リー作品を体験すること”の本質に触れられる9つの作品をおすすめしたい。ちなみに、この9作品は “あなたが観たいもの”に従って分類している。
もし、歴史をつくった素晴らしい映画を観たければ
ーー『ドゥ・ザ・ライト・シング』
ブルックリンのベッドスタイ地区での一発触発的な人種間緊張に関するこの作品は、この30年の間で、“物議をかもす作品”から “不朽の名作”になった。レジー・ウグゥが、以前『ニューヨーク・タイムズ』のリーの人物紹介記事で述べているように、アメリカの人種的不公平性に対する彼の怒りの多くは、リーの“心の傷”に根付いたものである。この映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』も、人々を扇動しようというよりも、リーの心の深部にある悲しみを描いたものだ。
と同時に、これは今も続く苦悩の時事問題でもある。私がこの記事を書いているときにも、警察官によるジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに、アメリカ中の都市部で騒動が起こっていた。『ドゥ・ザ・ライト・シング』でも鋭く分析されているが、そういった騒動の原因はすぐに解消されそうにない。あなたがこれを読んでいる間も、アメリカのどこかで、この物語と似たようなことが他に起こっている可能性も低くはない。
暴力的なクライマックスは、非常に説得力があり手に負えない状態なので、動揺すらできないほどだ。とりわけ、なじみの地域の隣人である登場人物たちの暖かく、愛情深く、面白い人間模様が描かれたのちに、それが起こるからなおさらだ。(ビル・ナンが演じる)ラジオ・ラヒームが “憎しみに対する愛の終わりなき戦い”と表現しているようなパラドックスは、アメリカ史におけるきわめて重要な事実でもある。そのことについて、この映画ほど正しく描いているものは他にはない。
もし、歴史についての素晴らしい映画を観たければ
ーー『マルコム X』
マルコム Xの映画についてのアイデアは、リーが取りかかる20年以上前から、ハリウッドの間で検討されていた。リーが作り上げたこの映画の功績は、Xのマークが刻印された野球帽をファッションの定番アイテムに変えただけではない。壮大な映画づくりは、政治に対する緊迫した訴えになり、ひとつの伝記映画は、その人物のさまざまな面を描き出せることを示した。
ストーリーの10年ごとに、それぞれにマッチするように視覚的なトーンや雰囲気を変えながら展開されていく『マルコム X』(1992年)は、コメディであり、ラブストーリーであり、ほぼミュージカルでもあり、またミステリーでもあるが、デンゼル・ワシントンの悲しくもウィットに富んだシビれる演技によってうまくまとめられている。リーについてはさまざまなことが言えるが、一つ挙げれば、彼は、エリア・カザン、シドニー・ルメット、そしてマーティン・スコセッシといった“俳優たちにとっての、いつもベストな監督”ではないようだ(ただし、この映画と同じくリーが手がけた『モ‘・ベター・ブルース』(1990年)を見れば、リーがデンゼル・ワシントンにとって最高の監督のひとりということがわかるだろう)。
もし、シューズがほしければ
ーーナイキのコマーシャル
熱狂的な元祖スニーカーコレクターは誰だったか? 知ってる? 知ってる? 知ってる? 知っている? マーズ・ブラックモンだ。映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』に登場したリーの架空の分身である。
80年代後半から90年代はじめに誰もが目にしたナイキの一連のコマーシャルに、このブラックモンはマイケル・ジョーダンのハイプマン(註:ラップでの掛け合いの相手)として再登場した。リーが愛するモノクロームで撮影されたこの30秒のスポット広告シリーズは、商品を完売させることに貢献したのだろうか? ——おそらくそうだろう。ただ、さらに言えば、これらのコマーシャルは、スポーツと映画、ストリートカルチャー、そして私たちがいまでも生活の拠りどころとしている“あからさまな資本主義”を融合した、優れた相乗効果の象徴でもあるだろう。