「一番好きな料理はイタリアン。お菓子は、あんこよりも断然クリーム派。趣味は「旅」でも、国内旅行は仕事で訪れる撮影ロケ地くらいの経験値。日本の伝統文化や和の作法に触れないまま、マチュアな年齢となってしまった私ですが、この度、奈良の煎茶道美風流に入門させていただくことになりました。」そんなファッション・ディレクター、菅野麻子さんが驚きと喜びに満ちた、日本文化「いろはにほへと」の学び路を綴る。連載第六回目は、東京でのお茶会と、その茶席を彩る衣服についてです

BY ASAKO KANNO

 ぐっと寒さが深まってきた11月の終わり、「東京大煎茶会」が開催されました。前回に初体験した、大寄せの茶会(連載「ほ」)でのぞいた景色は、まるで海外旅行にでも行ったかのような別世界。気がついた時には、1日が終わっていたという感覚です。今回でお茶会も2度目。少しは余裕をもって全体の流れを学びたいところです。しかも、会場は新橋の東京美術倶楽部。ホームタウンでの開催なのですから、わずかながらもアドバンテージかもしれません。

画像: お茶席でのお点前は、5名分の茶器を用います。1席20人のお茶席の場合は、お水屋で15名分のお茶が、お点前と同じ進行で用意されていきます

お茶席でのお点前は、5名分の茶器を用います。1席20人のお茶席の場合は、お水屋で15名分のお茶が、お点前と同じ進行で用意されていきます

 前のめり気味に出かけて行ったお茶会ですが、会場が変わればムードもがらりと変わるものなのですね。前回の京都「月見の茶会」では、広大な萬福寺の境内に6流派が点在していたのに比べ、今回は重厚なビルのなかでの開催です。11の流派が3日に分かれ、日替わりで茶席を担当します。ビル内に4つのお茶室がぎゅっと設けられるだけに、訪れる客人や他の流派の方々と、物理的な距離もぐっと近くなり、前回とはまた違った趣に驚くこととなりました。

画像: 美風流のお茶席の様子。お点前をする松仁先生と、亭主としてお茶会のテーマをお話するお家元。存在感のあるその佇まいに加え、話術にたけたお家元の茶会の運びも、美風流席の人気の秘密かもしれません

美風流のお茶席の様子。お点前をする松仁先生と、亭主としてお茶会のテーマをお話するお家元。存在感のあるその佇まいに加え、話術にたけたお家元の茶会の運びも、美風流席の人気の秘密かもしれません

 私の属する美風流席では、1日10回のお茶席が設けられ、各席20名ずつをお招きします。美風流は、いつも長蛇の列になるほどの人気と耳にはしていましたが、それを目の当たりにすることに。お手伝いをさせていただいた水屋から1歩外に出れば、そこは熱気に包まれる受付と待合室。みなさま目を輝かせ、まだ見ぬお茶席への期待にあふれるご様子を肌で感じます。お家元の表現するテーマや趣向、茶席を彩る衣、一期一会のお茶の味。そして、それを楽しみに待ち構える客人のお姿。この景色、どこかで見たことがあるような…。そう、それは、パリコレクションやミラノコレクション会場に漂う高揚感と一緒です。注目メゾンが今季はどんなテーマを発表するのか、どんな舞台セットなのか、そこでどんな光景が繰り広げられるのか、と心踊らせるあの情景。双方の目的や成り立ちは全く違うので少し乱暴な例えかもしれませんが、メッセージを五感で感じ、主客とともに礼をつくす。そして、クリエイティブな生の舞台を堪能する。そんな共通点を、感じずにはいられません。

画像: お花は、奈良のお家元の茶園「瑞徳舎」から運ばれた茶木と、琵琶の枝。一般的に、茶席の床の間に茶木をいけるのはタブーなのだそうですが、「お茶」をテーマにした茶会だからこそ、あえて茶席に招き入れたそう。いきいきと芽吹いていた姿のまま生けられているのも、美風流らしい趣向です

お花は、奈良のお家元の茶園「瑞徳舎」から運ばれた茶木と、琵琶の枝。一般的に、茶席の床の間に茶木をいけるのはタブーなのだそうですが、「お茶」をテーマにした茶会だからこそ、あえて茶席に招き入れたそう。いきいきと芽吹いていた姿のまま生けられているのも、美風流らしい趣向です

 今回の美風流茶席のテーマは「お茶は薬だった」。何千年も続く、人とお茶の歴史を紐解くかのように、神農(しんのう)から始まり、陸羽(りくう)・盧仝(ろどう)、栄西禅師、売茶翁(ばいさおう)、そして本日の美風流席と、時空を自在に旅するかのような設えです。掛け軸には、医療と農耕の神「神農」の水墨画。古代中国の神話に登場する皇帝で、最初に薬としてのお茶を発見したといわれています。床の間には、陸羽の執筆した世界最古ともいわれる茶書『茶経』や、陸羽茶器一式。売茶翁の記した『梅山種茶譜略(ばいざんしゅちゃふりゃく)』の書物も飾られます。急須は、盧仝の詠んだ『七碗歌』の染付け。

 古くは養生の仙薬であったお茶。それが現在では、生活に欠かせない嗜好品となりました。しかし今やまた、コロナ渦にある私たちにとって、心の養生薬となっていることに気がつきます。客人ひとりひとりが、そんなお茶と自分との関係を見つめ直すことのできる茶席は、とても清らかな空気が流れているのでした。

画像: 菓子箪笥の引き出しに納められた、御茶菓子。お茶と生姜のすり琥珀糖は、「薬」にちなんで薬包紙の包み方なのも粋な遊び心を感じます。薬は「服用する」といい、お茶も「一服する」といいます。それも「茶=薬」だった時代の名残だとか

菓子箪笥の引き出しに納められた、御茶菓子。お茶と生姜のすり琥珀糖は、「薬」にちなんで薬包紙の包み方なのも粋な遊び心を感じます。薬は「服用する」といい、お茶も「一服する」といいます。それも「茶=薬」だった時代の名残だとか

 お茶会に彩りを添えるもののひとつが、優美なお着物姿です。まとう人の魅力を引き出す、美しい装い。大寄せの茶会がコレクション会場と似ている、と勝手ながら感じてしまうのは、招く側も招かれる側も、それぞれが丁寧に衣服を選び、その場に参加するという共通点もあるように思います。選びぬかれた衣服には、空間の波動をいっきに高めるかのようなパワーがあります。それぞれのお召し物の背景にどんな物語があるのだろう、と見飽きることがありません。私はといえば、連載「ほ」でお話した通り、この歳まで全く着物と接点なく生きてきてしまった身。入門時、お家元から「茶会では女性は着物を着ます」と聞いた時には、椅子から転げ落ちんばかりの衝撃を受けました。しかし、よくよく考えると、自国の民族衣装のことも知らずに、洋服の知識に関しては職業柄少なからずの自負があった自分が恥ずかしくも思えてきました。その後、釘は熱いうちに打てとばかりに着付け教室に通い始めましたが、なかなか時間が取れず10回コース中3回の出席率という結果で一旦終了。勝ち負けでいえば完全な負け越しではありますが、袋帯と名古屋帯の違いもわからなかった人間としては、大きな進歩ではないでしょうか? 知識ゼロで見る景色と、1ミリ増えた知識で見る世界はまた違ってみえるもの。前回のお茶会でも、興味がつきなかったみなさまのお召し物。今回は図々しくもお時間をいただき、「美風流の衣」の物語を聞かせていただくことも叶いました。

画像: 男性陣のりりしい道服姿。お姿もさることながら、みなさんジェントルマンでとても素敵なのです。絹の道服は、藤風先生が仕立てていらっしゃいます

男性陣のりりしい道服姿。お姿もさることながら、みなさんジェントルマンでとても素敵なのです。絹の道服は、藤風先生が仕立てていらっしゃいます

 美風流は文人趣味を楽しみとしている流派なので、あまり厳格な決め事を好まないそうですが、茶会の目的に応じて「格」をそろえることには気をつけているそうです。まず、男性のまとう衣服は、道服です。水墨画に描かれる仙人のようなシルエットの服は、古代中国の文人たちがくつろぐ際にまとった服装とのこと。今や美風流のオリジナルと思われているほど特徴的なスタイルですが、実は明治、大正の日本の煎茶家たちは、このような長服をまとっていたのだとか。『The Book of Tea(茶の本)』を英語で執筆した岡倉天心も、道服姿の写真が残されています。また、格は素材と柄にあるそうです。お家元が「月見の茶会」で献茶された際は、龍の文様の道服をお召しになっていたのだか。道服にぴたりとマッチしている靴のブランドを聞いて驚きます。なんと、“ダンスコ”。もともとお家元が履き始めたところ、お弟子さんたちも履くようになり、今のスタイルができあがったのだとか。お家元がアメリカのコンフォートシューズである“ダンスコ”を選んだ理由も知りたいところです。かつて古代中国の文人たちは、フェルトの厚底靴を履くのが習わしだったそう。現在ではほとんど作られておらず、今では禅宗の高僧のみが身につける稀少な履きものとなっていることから、“ダンスコ”を選ばれたとのこと。確かに、古代中国の厚底靴と、プラットフォームの“ダンスコ”のフォルムはよく似ています。お家元の知識と発想には、感心してしまいます。

画像: 藤風先生がお召しの、銀鼠色の霰地紋に楓文様と菊の訪問着。季節の先取りが基本という着物。散りゆく楓とともに、寒さに耐えながら花を咲かせる紅白の菊文紋が描かれています。全体に柄があるので、帯は着物の配色とあわせた綴無地で、垂れの部分にだけ控えめな菊が描かれたものを合わせていらっしゃいます

藤風先生がお召しの、銀鼠色の霰地紋に楓文様と菊の訪問着。季節の先取りが基本という着物。散りゆく楓とともに、寒さに耐えながら花を咲かせる紅白の菊文紋が描かれています。全体に柄があるので、帯は着物の配色とあわせた綴無地で、垂れの部分にだけ控えめな菊が描かれたものを合わせていらっしゃいます

 着物選びは、茶会のテーマや場所、時間など、その時々で変わるものと教えていただきました。席を統括するお家元夫人の藤風先生が、茶席の格に合わせて、みなのまとう着物の格を揃えておられるそう。今回の東京大煎茶会は、明るい広間かつ、マスク必須の会場。そのため、お弟子さんたちは鮮やかな色合いの着物をまとい、逆に藤風先生は、落ち着いた地色にはっきりとした柄のお着物を選ばれたとのこと。みなの着物の色がかぶらないよう気を配りながら、お家元のまとう道服の色とのバランスを操る。お茶席においての衣服が、舞台衣装のように視覚的にも演出もされているものなのだと初めて知りました。

画像: お点前を担当された薛風先生は、東京友禅の絵羽模様の訪問着。千歳緑地と呼ばれる、松の葉のように濃い緑の長着には篠竹の文様が描かれ、脇には利休白茶の経ぼかしが配されています

お点前を担当された薛風先生は、東京友禅の絵羽模様の訪問着。千歳緑地と呼ばれる、松の葉のように濃い緑の長着には篠竹の文様が描かれ、脇には利休白茶の経ぼかしが配されています

画像: 銀地の帯は、京都西陣織のすくい織で表現した鴛鴦花文。着物と色柄が合うこと、華やかであること、加えて早朝から長時間着るため重量の軽い帯を配慮されたそうです。その日の着用時間も計算された装いなのだとは、目から鱗のお話でした

銀地の帯は、京都西陣織のすくい織で表現した鴛鴦花文。着物と色柄が合うこと、華やかであること、加えて早朝から長時間着るため重量の軽い帯を配慮されたそうです。その日の着用時間も計算された装いなのだとは、目から鱗のお話でした

 昔から竹の柄がお好きだったという薛風先生のお着物は、なんと20代で誂えた一枚だそうです。しかし、気に入っていたものの、落ち着いた地色と大胆な経ぼかしゆえにか当時の年齢では似合わず、最近になって、ようやく着こなせるようになったのだと教えていただきました。先生の煎茶名は「此君室薛風」。「此君(しくん)」とは、竹の異名なのだそう。篠竹の長着に宿る物語は、先生の歴史の物語でもあるのだと思うと、お着物がそっと語りかけてくるようにも感じられてくるのです

画像: 美風流会長の香風先生。結び糸の白い反物を、自分の好みの色に染めた着物をお召しです

美風流会長の香風先生。結び糸の白い反物を、自分の好みの色に染めた着物をお召しです

画像: 鳳凰の柄を織ったろうけつ染め風の帯 PHOTOGRAPHS BY ASAKO KANNO

鳳凰の柄を織ったろうけつ染め風の帯
PHOTOGRAPHS BY ASAKO KANNO

 香風先生には、“結び糸”という反物の名前を初めて教えていただきました。“結び糸”とは、端糸といわれる短い残り糸を繋いで一本の緯糸を作り、その糸で織りあげた白い生地のことだそうです。近くで見ると、その結んだ箇所が、紬のような独特の風合いです。調べると、かつて尾張・三河地方で行なわれていた風習のようで、母が娘のために糸を繋ぎ、嫁入り道具として母娘の絆のかたちともなったと記されています。縁が“結ばれていく”ことを願う、世界にたったひとつの着物には、日本人ならではの心づかいが宿っているように感じます。帯は、昨年に逝去されたという義理のお母様から譲り受けたそうです。先生にとって、煎茶の師匠でもあったというお義母様。ともに今回のお茶会に参加しようと、おさえめの色目の“結び糸”の着物に合わせてお召しになったとも知りました。大切な人の思いとともに、未来へと生き続ける「着物」という特別な衣服に、胸がきゅうと熱くなります。

「着物は、だれでもないだれかに伝えたいお手紙のようなもの」。かつて耳にした、そんな言葉をふと思い出します。着物とは、場に合わせた「格」という心遣いだけでなく、柄にこめた願いや時候の挨拶、そしてまとう人の思いがしたためられた文(ふみ)のようなものなのかもしれません。日本に脈々と受け継がれてきた文のやりとりや機微を、着物の装いに読み取る。そんな人にいつかはなれたらと願うのです。

菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」

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