「一番好きな料理はイタリアン。お菓子は、あんこよりも断然クリーム派。趣味は「旅」で も、国内旅行は仕事で訪れる撮影ロケ地くらいの経験値。日本の伝統文化や和の作法に触れないまま、マチュアな年齢となってしまった私ですが、この度、奈良の煎茶道美風流に入門させていただくことになりました。」そんなファッション・ディレクター、菅野麻子さんが驚きと喜びに満ちた、日本文化「いろはにほへと」の学び路を綴る。連載十回目は、東大寺二月堂の「お水取り」についてです

BY ASAKO KANNO

 春の到来を告げる、東大寺二月堂の「お水取り」。
 連載「ち」にて、初煎会での設えがこの「修二会(しゅにえ)」と呼ばれる有名な仏教儀式であったことをお話しました。
 1272年もの間、1度たりとも途切れることなく続いてきたこの伝統行事。
「お水取りが終わらないと春が来ない」
 関西では、そう言われるほど、春の風物詩として人々に親しまれているといいます。

画像: 「お松明(たいまつ)」の様子。「童子(どうじ)」と呼ばれる人たちが、長さ約6メートル、重さ約40キロのお松明を持って、二月堂の欄干を駆け抜けます。3月12日に登場する、ひとまわり大きい「籠松明(かごたいまつ)」は70キロにもなるのだとか

「お松明(たいまつ)」の様子。「童子(どうじ)」と呼ばれる人たちが、長さ約6メートル、重さ約40キロのお松明を持って、二月堂の欄干を駆け抜けます。3月12日に登場する、ひとまわり大きい「籠松明(かごたいまつ)」は70キロにもなるのだとか

 初煎会では、「お水取り」を象徴する「お松明(おたいまつ)」と、椿の花が設えられ、儀式の雰囲気におぼろげながらにも触れることができました。
 「お水取り」は、“人が犯したすべての罪を、僧侶たちが代表して観音さまに懺悔し、すべての生き物の幸せを願う仏教行事”なのだそうですが、その儀式は難解でベールに包まれたかのように神秘的です。神道の祓い、仏教の行法、民間信仰による行事と、異なる3つの儀式が長い歴史の中で融合したともいわれているからでしょうか。
「百聞は一見にしかず」。絶対にこの目で見てみたいと思い続け、このたび満を持しての拝観となりました。

画像: お家元の書斎にて、かつて「お水取り」の儀式で飾られた椿の造花を見せていただく機会にあずかりました。「花ごしらえ」と呼ばれる行法のひとつで、僧侶たちの手作りです

お家元の書斎にて、かつて「お水取り」の儀式で飾られた椿の造花を見せていただく機会にあずかりました。「花ごしらえ」と呼ばれる行法のひとつで、僧侶たちの手作りです

 毎年、3/1(水)〜3/14(火)におこなわれる「お水取り」。毎晩行われる、火の粉の舞う「お松明」のダイナミックな光景が有名です。

 今まで、「お松明」が儀式のメインだと思っていたのですが、一般者が拝観することのできる一部の儀式にすぎないのだそうです。
 この行法を勤め上げるのは、「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる、選びぬかれた11名の僧侶たち。二月堂に参籠(さんろう)し、厳格な戒律がもうけられるなか、厳しい行(ぎょう)に専念するといいます。
 そして「お松明」を運ぶのは僧侶ではなく、「童子(どうじ)」と呼ばれる補佐役たちなのだとか。あくまで練行衆たちを「二月堂に先導するための道灯り」として灯されるのだそうです。
 お松明の炎は、災いを起こす邪悪な力を焼きつくすといわれます。拝観者たちは火の粉を浴びて心身の穢れを落とし、無病息災を祈るのです。

画像: 二月堂から参籠宿所に入る練行衆と世話役。1500年以上もの間、多くの人々に守られ、支えられてきた大切な伝統行事なのだというのがわかります

二月堂から参籠宿所に入る練行衆と世話役。1500年以上もの間、多くの人々に守られ、支えられてきた大切な伝統行事なのだというのがわかります

 3/13日の午前1時半ごろには、東大寺・二月堂前の閼伽井屋(あかいや)と呼ばれる建物内の井戸「若狭井(わかさい)」から、観音様にお供えをする香水を汲み上げます。これが「お水取り」と呼ばれる由来なのだそう。
 私は、このお水取りにまつわる話がとにかく大好きで、この話から「お水取り」に俄然興味がでてきたといっても過言ではありません。

画像: 東大寺 閼伽井屋(あかいや)。ここで香水が汲まれます。古代インドでは尊い客にささげるお水をargha(アルガ)と言い、そこから「閼伽(あか)」と呼ばれるようになったとも

東大寺 閼伽井屋(あかいや)。ここで香水が汲まれます。古代インドでは尊い客にささげるお水をargha(アルガ)と言い、そこから「閼伽(あか)」と呼ばれるようになったとも

 かつて、“修二会”に呼ばれた神々のうち、若狭国(福井県)の遠敷(おにゅう)明神だけが遅刻して現れず。その理由が「大好きな釣りに夢中になっていたから」と。そのお詫びのしるしに、若狭の聖水を二月堂の観音様に奉ることになったのだとか。

 10年以上前、福井県の若狭神宮寺を訪れたことがあります。東大寺への「お水送り」が行われるこのお寺は、神様の気配を感じる清らかな場所でしたが、「なぜこんな離れた場所から東大寺へ?」と不思議に思ったものです。
 ただ、確かに若狭一帯の山中には、名水と呼ばれる水がこんこんと湧き出ていて、とても印象的でしたっけ。若狭湾のお魚は本当に美味しいから、“釣りがやめられなかった”というのも妙に腑に落ちます。思わず、くすっと笑ってしまうとともに、神様のあまりに人間くさい茶目っ気とおおらかさに、なんだか、ほっとするのは私だけでしょうか。そして、苔むした若狭神宮寺での記憶の断片が、ここでようやくひとつにつながったことも、とても嬉しいのです。

画像: お松明が飾られた東大寺二月堂仏餉屋(ぶっしょうや)。仏飯や粥を調理する場所だそう。お松明は、根付きの竹の先端に、杉葉やヘギ、杉の薄板を飾りつけ籠目状に仕上げられたもの

お松明が飾られた東大寺二月堂仏餉屋(ぶっしょうや)。仏飯や粥を調理する場所だそう。お松明は、根付きの竹の先端に、杉葉やヘギ、杉の薄板を飾りつけ籠目状に仕上げられたもの

 さて、念願の「お松明(たいまつ)」を見た感想です。あまりの炎と火の粉の勢いに、「国宝の建築物が燃えてしまわないだろうか」とはらはらしたり、奈良だからこそのスケールの大きさに感動したり。
 この私のあまりに俗っぽい心配ごとは、拝観後も止まらず。調べてみると、火事を防ぐために事前に「蜘蛛の巣払い」という、大量の水をお堂内にかけて湿らせる行(ぎょう)もあるのだと知り、ようやく安堵。来年は安心しながら、この素晴らしい行事を拝観できそうです。

東大寺 修二会の数々の秘儀。それは、唐の時代にシルクロードで行われていた炎の儀式が、遣唐使船によって日本に伝えられたことがはじまりのようです。今の中国や中央アジアには残っていないこうした儀式が、ここ奈良で、唐代以来のしきたりを守りながら、千数百年を超えて伝えられている。まさに奇跡の儀式なのだと思います。

 「お水取り」拝観という大きなミッションを終えた翌日。社中の先輩が、「お茶をしましょう」と誘ってくださいました。“情報収集癖”という職業病が抜けない私は大喜びで「どんな御茶屋さんですか」「場所はどこですか?」と質問責めにしてみるも、先輩には、ゆるりさらりと流されます。
 ちょうど空が夕日に染まるころ、先輩がのどかな田園の片隅に車を停めました。
「こんな時間でも、そのカフェあいているんですか? 奈良市内ですら17時には閉まる店多いですものね〜」と、さらに世俗的なことを言いながら後をついていくと、高台に小さなテーブルと椅子がありました。

画像: お家元が貸してくださった、旅先でのお茶道具一式。すべての茶道具が、籠の中にすっぽり入るお家元の茶道具 野点セットは、ずっと憧れを抱いていたもの。その茶道具でお茶をいただけるのも至福です

お家元が貸してくださった、旅先でのお茶道具一式。すべての茶道具が、籠の中にすっぽり入るお家元の茶道具 野点セットは、ずっと憧れを抱いていたもの。その茶道具でお茶をいただけるのも至福です

 お家元がいつも旅先で愛用している茶道具セットの入った籠をテーブルにとんと置いて、先輩がおかしそうに笑っています。なんと、夕日を見ながら、野遊びのお茶会とは。素敵すぎるサプライズではないですか!

 ここは、かつて邪馬台国があった場所とも推定される、数々の古墳に囲まれたエリア。ぽこぽこと湯気をあげる湯瓶の音を聞きながら、連なる山々をオレンジ色に染めていく夕陽を、女子三人で眺めます。

 古の地でいただく、自然からの恵みを抽出したお茶の味。
 心洗われるような喜びを少しずつ口に含みながら、これが煎茶道の醍醐味かと笑みがとまりません。

 美風流煎茶道との出会い、そして茶友との出会い。私にも新しい春が来たことを心より嬉しく思います。そして一杯のお茶が、おそらくは、火の粉でも焼けきれていなかった私の俗心をも流してくれたに違いありません。

菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」

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