坂本龍一が生前、全曲を書き下ろした最新にして最後の舞台作品『TIME』。3 月28日からの日本初公演を前に、ともにコンセプトを考案した高谷史郎、ダンサー田中泯をはじめとする出演者に、坂本とのクリエーションの経緯を聞いた

BY CHIE SUMIYOSHI, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE

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画像: 舞台上に現れる楽器は坂本が大学生の頃から惹きつけられてきた笙だけだ。当時の坂本は、ほかのどの日本の古典音楽も伝統文化も好きではないと公言していたが、雅楽にだけは「宇宙人の音楽のように感じて」関心を寄せた ©SANNE PEPER

舞台上に現れる楽器は坂本が大学生の頃から惹きつけられてきた笙だけだ。当時の坂本は、ほかのどの日本の古典音楽も伝統文化も好きではないと公言していたが、雅楽にだけは「宇宙人の音楽のように感じて」関心を寄せた

©SANNE PEPER

『TIME』での宮田の存在は「自然」を象徴しているという。そして、アムステルダム公演では、夏目漱石の「夢十夜〈第一夜〉」に登場する「女」も表現していた。今回の日本公演では宮田は笙の演奏に専念し、初演より制作面で本作に関わるダンサーの石原淋がその「女」を体現する。

「初演の制作的な対応として、坂本さんとは密に連絡を取り合い、かなり深く掘り下げた対話をしてきました。今回は自身も出演するわけですが、たとえば神話や伝説に現れるような女性像、そういう比喩的な『女』、存在感としての『女』として捉えています。これまで田中泯のもとで訓練してきた身体性を通して、できることを精一杯やるだけですね」と石原は意欲を示す。

画像: 石原 淋(いしはら・りん) 1994年、NHK音楽映像ドラマ『ハムレット幻蒼』で映像デビュ-。同番組に出演していた田中泯に出会い、その後師事。田中の唯一無二の「弟子」であり、その活動全般を支えるマネジャーであり、プロジェクトを牽引するプロデューサーでもある。2006年より本格的にソロ活動を開始。田中泯の「場踊り」の音をライブオペレーションするなど、演出的な活動にも携わる

石原 淋(いしはら・りん)
1994年、NHK音楽映像ドラマ『ハムレット幻蒼』で映像デビュ-。同番組に出演していた田中泯に出会い、その後師事。田中の唯一無二の「弟子」であり、その活動全般を支えるマネジャーであり、プロジェクトを牽引するプロデューサーでもある。2006年より本格的にソロ活動を開始。田中泯の「場踊り」の音をライブオペレーションするなど、演出的な活動にも携わる

 そして、唯一無二のダンサーであり俳優である田中泯は、いったいどのように舞台に存在するのだろうか。

「『人類』になってくれ、と坂本さんに言われました。『人類』が初めて水を発見するときってどうだったんだろう、というのを泯さんに託したい、と。だから僕は、うんわかった、と答えたんです。2007年頃に初めてニューヨークで会ったときから、坂本さんと自分は似ているところがあると思っています。それは、音楽や踊りという行為の始まりに遡り、人間の歴史のすべてを知るためにそれぞれの仕事をやってきたことです。互いに自分の存在を飾ることなく話ができる相手が見つかって、とてもうれしかった」と田中は坂本との関係性を語る。

画像: 田中 泯(たなか・みん) 1945年生まれ。クラシックバレエ、モダンダンスを学んだのち、1974年から独自のダンス、身体表現を探求する。1985年から山村へ移り住み、農業を礎とした日常生活を送ることでより深い身体性を追求している。2002年映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)への出演以来、2022年長編ドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』(犬童一心監督)ほか、映像作品への出演も多数

田中 泯(たなか・みん)
1945年生まれ。クラシックバレエ、モダンダンスを学んだのち、1974年から独自のダンス、身体表現を探求する。1985年から山村へ移り住み、農業を礎とした日常生活を送ることでより深い身体性を追求している。2002年映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)への出演以来、2022年長編ドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』(犬童一心監督)ほか、映像作品への出演も多数

 舞台では、田中、すなわち「人類」は水というものに初めて出合い、その水を渡るための道をつくろうとする。土塊を型に詰めてこしらえたブロックを水の中に置いていくが、それらはもろく溶けてしまい、多くは形をなさない。「自然」を象徴する宮田がたやすく水を渡る一方で、水の中にまっすぐな道を通し向こう側へ渡ろうと格闘する「人間」はきわめて脆弱だ。田中泯はここでも人間の行為の原初に立ち返る。

「道というものは、決して単純に向こうへ歩いていくだけのものではなく、まさに時間の変容を象徴するものだと僕は思います。そこには虚しさとか、儚さとか、あるいは無常さとか、そういうものが詰まっている」

 坂本自身が生前に語ったとおり、「シーシュポスのように、道をつくり自然を支配したいという情熱」に駆り立てられ、直線的な時間とともに生きざるを得なかった人類の本質をめぐる、深い考察を促されるシーンである。

 本作では「水」もまた象徴的な意味を帯びている。舞台上に張られた水や降り注ぐ水のみならず、背後のスクリーンには烈しい濁流や驟雨 、地球を俯瞰する気象システムなど、水に関係するさまざまな映像が映し出される。本作を観る人の多くが、おそらく近年の地球環境を脅かす気候変動を思い浮かべるだろう。「人間」と「自然」の対比を示すこの作品の根底には、地球温暖化という喫緊の問題があると捉えるはずだ。これに対して、坂本は「もちろんテーマに含まれてはいるが、それがメインのテーマではありません。人類と自然に関する神話をつくりたかったのです」と生前に語っている。

画像: アクティングエリアには水が張られ、時に驟雨が降り注ぐ。田中泯演じる「人類」は水を渡ろうとブロックで道をつくるが、虚しく挫折し絶望する。スクリーンに映し出される烈しい濁流の映像は、高谷が地元京都の鴨川上流で撮影し、すぐに坂本に動画を送ると「これは必ず使おう」と喜んだという ©SANNE PEPER

アクティングエリアには水が張られ、時に驟雨が降り注ぐ。田中泯演じる「人類」は水を渡ろうとブロックで道をつくるが、虚しく挫折し絶望する。スクリーンに映し出される烈しい濁流の映像は、高谷が地元京都の鴨川上流で撮影し、すぐに坂本に動画を送ると「これは必ず使おう」と喜んだという

©SANNE PEPER

 坂本にとって「人間と自然」は永遠のテーマだ。『TIME』のコンセプト立案にも協力した生物学者・福岡伸一と坂本は、ともにニューヨークに拠点を置き、二十年来の交流をもった。坂本は音楽、福岡は生物学において、人間がロゴス(言葉や理性)によって自然を理解することに頼り、理論では説明できないピュシス(人間を含む本来の自然)を蔑ろにしてきたことに危機感を募らせてきた。坂本と福岡とともに『TIME』のコンセプトを担った高谷は次のように解釈する。

「坂本さんが『TIME』というタイトルを掲げ、あえて現代の時間概念の否定に挑戦したのは、ピュシス的な時間の捉え方によるものだと思います。宮田さんの笙の音の話にも通じるように、今見えているものはすべてこの世の仮の姿であるという考え方を思考転換のポイントとして、時間の側に立って時間のことを考えたらどうだろう、ということに至ったのでしょう。もしも今この世の中で、ロゴス的に捉える一直線の時間が共通概念としてなかったとしたら、資本主義など世界の歴史はすべて成り立たなくなります。そういう意味で、坂本さんは人類の神話を根底から覆したかったのではないでしょうか」

 高谷の語るところによると、坂本は自身の死後できるだけ早く自然に還り、他の生物の養分になることを望んでいたという。

『TIME』の舞台では、地中に葬られた「女」は100年後に百合の花になってまたこの世に姿を現す。夏目漱石の「夢十夜」にインスパイアされたこの物語について、坂本は「輪廻転生に関する私の信念」と語った。

 夢幻能の物語の中では、生と死、夢と現実が境のないものとして捉えられる。私たち「人間」を含む「自然」の時間もまた、永遠のつながりの中で循環しつづける。坂本龍一が遺したこの舞台作品は、時間とその真理をめぐる深遠な問いを投げかけながら、静かに仮の終わりに近づく。

FOR MIN TANAKA:STYLED BY KYU AT YOLKEN, HAIR & MAKEUP BY SHIKIE MURAKAMI

画像1: 坂本龍一、刻み続ける時と記憶
最新にして最後の舞台作品『TIME』
日本初公演の制作過程とは【後編】

RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI
「TIME」

音楽+コンセプト:坂本龍一 
ヴィジュアルデザイン+コンセプト:高谷史郎 
出演:田中泯、宮田まゆみ、石原淋 
期間: 3 月28日〜4 月14日 東京・新国立劇場(中劇場)
4 月27日〜4 月28日 京都・ロームシアター京都(メインホール)
特別協賛:シャボン玉石けん
お問い合わせ先:パルコステージ
TEL.03-3477-5858 
公式サイトはこちら

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