愛犬家が涙なしには読めない前作は全米図書賞を受賞し、人気を集めた作家シーグリッド・ヌーネス。彼女の新刊はペドロ・アドモルバル監督、ジュリアン・ムーアとティルダ・スウィントン共演の映画の原作だ。「友人」「友だち」。その言葉が持つ意味の広がりを考える作品ほか、全3冊をご紹介

BY CHIKO ISHII

友人からの願い、あなたならどうする?
『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

 もしも末期がん患者の友人に、最期の日々をともに過ごしてほしいと頼まれたら? アメリカの作家シーグリッド・ヌーネスの『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(桑原洋子訳)は、大人の女性の重くて深い友情を描いた長編だ。この小説を原作にしたペドロ・アルモドバル監督の同名映画も注目を集めている。
 語り手の「わたし」は作家だ。ある日、学生時代の友人の見舞いに行く。優秀なジャーナリストだった友人は、がんを患って入院していた。苦しい化学療法に耐えても、生存率は50%しかない。後日、治療をやめた友人は、「わたし」をバーに呼び出し、安楽死のための薬を手に入れたと打ち明ける。どこか静かな場所を探し、逝く準備ができたら薬を飲む。そのとき「わたし」にいっしょにいてほしいと言うのだ。死ぬのを手伝ってもらいたいという意味ではない。まったくのひとりきりではなく、隣の部屋に誰かがいると思いながら〈新しい冒険〉に旅立つことが友人の望みだった。
 とんでもなく重い頼み事だ。友人には「わたし」より親しい友だちもいるが、断られたらしい。たったひとりの家族である娘との関係は拗れてしまっている。「わたし」は思い悩んだ末に、友人の計画を受け入れるが……。

画像: 『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』 シーグリッド・ヌーネス 著、桑原洋子 訳、伊藤彰剛 装画、鳴田小夜子(KOGUMA OFFICE)装幀 ¥2,420/早川書房 COURTESY OF HAYAKAWASHOBO

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

シーグリッド・ヌーネス 著、桑原洋子 訳、伊藤彰剛 装画、鳴田小夜子(KOGUMA OFFICE)装幀 
¥2,420/早川書房
COURTESY OF HAYAKAWASHOBO

 本書の原題は、"What Are You Going Through(あなたはどんな思いをしているの?)"。巻頭に引用されたフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの「神への愛のために学業を善用することについての省察」という文章がもとになっている。どうしてこのタイトルになったのか。「わたし」が86歳の隣人について語るくだりに手がかりがある。隣人は夫と死別してからひとりで暮らしていた。遠方に住む隣人の息子に頼まれ、「わたし」は隣人の部屋を訪問するようになる。ちょうど落ち込んでいたころで、誰かのために何かをすることによって、憂鬱が解消されるかもしれないと期待したからだ。作家という職業柄、他人の人生に興味もあった。ところが、隣人は過去の思い出を語りたがらず、現在の不平不満を並べたてるばかり。やがて陰謀論に染まり、頭のなかででっちあげた敵に対する憎しみをつのらせ、わめきちらすようになってしまう。善意ではじめたケアが失敗したエピソードを、「わたし」はこんな言葉でしめくくる。

〈“あなたはどんな思いをしているの?” シモーヌ・ヴェイユは、この質問をできるということが、隣人愛の真の意味だと言ったけれど、それをヴェイユは母語であるフランス語で書いている。フランス語ではその偉大な質問はかなり別の意味を持つ。Quel est ton tourment?(あなたの苦しみはなんですか?)〉

 ヴェイユの「神への愛のために学業を善用することについての省察」は、学業によって高められる〈注意力〉にについて考察した文章だ。神への愛や祈りは注意力から成っていて、不幸な人が必要としているのは〈自分に注意力を傾けてくれる人間だけ〉と説いている。相手に注意力を向けている、つまりその人の苦しみは何か理解しようと耳を傾けているしるしが、〈あなたはどんな思いをしているの?〉という問いなのだ。
 老いや病、死に直面したときの孤独は、人を分断する。「わたし」が一方的に暴言を吐く隣人に疲弊し、訪問をやめたくなったように。誰かの苦しみに関わることは難しく、できることはあまりにも少ない。それでも「わたし」は友人に寄り添う。
 シリアスな内容だが、病気とは最後まで闘うべきとか、母親を愛さない娘はいないとか、世間が押し付けてくる既成概念を拒み、バケツリスト(死ぬまでにやることリスト)をこき下ろす友人は魅力的だ。ヴェイユの他にもさまざまな名著の引用を織り込んだ「わたし」の語りも知的でユーモアがある。ふたりがピンクの雪を見るシーンは美しい。
 映画はアルモドバルらしい色彩の表現が鮮やかで、ジュリアン・ムーアとティルダ・スウィントンの演技が素晴らしかったが、ぜひ原作も手にとってほしい。映像化されていないふたりの記憶の細部、きれいにまとまらない結末に、小説ならではの真実味が宿っている。

犬と「わたし」の物語
『友だち』

 シーグリッド・ヌーネスの代表作で、全米図書賞を受賞した『友だち』(原著は2018年、村松潔訳の日本語版は2020年発行)は、女性と犬の友情の話だ。主人公の「わたし」はニューヨークに住む作家。ある日、自殺した男友だちの妻に、彼が飼っていたグレートデンのアポロを押しつけられてしまう。ペット禁止の狭いアパートで、「わたし」と老いた大型犬の同居生活が始まる。

画像: 『友だち』 シーグリッド・ヌーネス 著、村松 潔 訳、Tatsuro Kiuchi イラスト、新潮社装幀室 装幀 ¥2,200/新潮社 COURTESY OF SHINCHOSHA

『友だち』

シーグリッド・ヌーネス 著、村松 潔 訳、Tatsuro Kiuchi イラスト、新潮社装幀室 装幀
¥2,200/新潮社
COURTESY OF SHINCHOSHA

「わたし」にとって男友だちは、恩師であり、同業者でもあった。他の誰かと恋に落ちたと聞くたびに胸がキリリと痛む相手でもあった。そんな人が自ら死を選んだのだから哀しみは深い。アポロも主を突然失った上に知らない家に連れて来られて傷ついている。「わたし」はアポロを助ける方法を真剣に考え、実践することによって、少しずつ生きる力を取り戻していく。人間と犬、どちらかが一方的に癒やされるのではないところがいい。
 とりわけ印象に残るのは、「わたし」がリルケの『若き詩人への手紙』を朗読すると、アポロがある反応を見せる場面だ。アポロの体の温かさと、「わたし」のなかに湧き上がる静かな喜びが伝わってくる。その後、「わたし」とアポロの関係は決定的に変わる。〈守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独。アポロとわたしは、わたしたちは、まさにそれ以外のなにものでもないだろう〉。

西加奈子の初ノンフィクション
『くもをさがす』

『友だち』でもシーグリッド・ヌーネスはおびただしい数の本を引用しているが、『友だち』を引用した日本の本がある。作家の西加奈子がカナダでがんになった自身の体験をつづったノンフィクション『くもをさがす』だ。
 

画像: 『くもをさがす』 西加奈子 著・装画、鈴木成一デザイン室 ブックデザイン ¥1,540/河出書房新社 COURTESY OF KAWADE SHOBO SHINSHA Ltd. Publishers

『くもをさがす』
西加奈子 著・装画、鈴木成一デザイン室 ブックデザイン
¥1,540/河出書房新社

COURTESY OF KAWADE SHOBO SHINSHA Ltd. Publishers

 2021年8月、夫と幼い子どもとバンクーバーで暮らしていた西さんは、乳がんを宣告される。カナダと日本の医療システムはまったく違う。コロナ禍の行方は不透明だ。語学力にも不安があるなか、西さんは治療を始めて、日々の出来事と心身の変化を記録していく。
 クリニックの予約もままならないという状況で、西さんの支えになるのは友人たちだ。たとえば、バンクーバーで親しくなったノリコは、Meal Train(友人たちにご飯を届けてもらえるシステム)をオーガナイズしてくれる。日本の友人たちは、手術がうまくいくように祈る動画を送ってくれる。カナダの看護師たちは、湿気ゼロの明るい言葉で治療をサポートしてくれる。がんサバイバー仲間との〈キャンサーシスターフッド〉も心強い。
 人のつながりに助けられるのは、西さんも他者の苦しみに注意力を傾けられる人だからだろう。同い年のイラン出身の友人ファティマの歩んできた過酷な道に思いを馳せるくだりは胸を打つ。
 西さんがいかにして読書に救われたかということも書かれている。苦痛に寄り添い、生を祝福してくれる”友だち”のような本だ。

画像: 石井千湖 近著「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。ほか著作に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、週刊誌の連載をまとめた『名著のツボ 賢人たちが推す! 最強ブックガイド』(文藝春秋)がある。

石井千湖
近著「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。ほか著作に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、週刊誌の連載をまとめた『名著のツボ 賢人たちが推す! 最強ブックガイド』(文藝春秋)がある。

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.