BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎
池波正太郎による傑作時代小説『鬼平犯科帳』。映像化第一作で長谷川平蔵を演じたのは、松本幸四郎の祖父にあたる初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)である。その役を引き継ぎ、平成に“鬼平”の名を世に刻んだのが、二代目中村吉右衛門だった。重厚で人間味にあふれた平蔵像は多くの人の記憶に深く刻まれている。
そして今、松本幸四郎がその系譜を継ぎ、映像作品と舞台の両輪で、長谷川平蔵という人物に新たな命を吹き込んでいる。歌舞伎座で上演中の『鬼平犯科帳 血闘』では、父・松本白鸚、息子・市川染五郎と三代にわたる共演を果たし、伝統と創造が交差する新たな舞台を立ち上げた。受け継ぐ覚悟と創り出す責任。その交錯する思いが、舞台の上で確固たる使命感となって立ち現れている。
──2025年7月13日、オンラインにてインタビュー
Q1. 「七月大歌舞伎」も中盤を迎えました。今の率直なお気持ちと、舞台に立ちながら感じていらっしゃる手応えを教えてください。
松本幸四郎(以下幸四郎):今回の『鬼平犯科帳 血闘』には「二代目中村吉右衛門に捧ぐー」という副題を掲げており、銕三郎編と平蔵編という二つの時間軸を描く構成となっています。
そして劇中にテレビドラマ版『鬼平犯科帳』を締めくくってきた、哀愁を帯びたジプシー・キングスのギター演奏による名曲「インスピレイション」を使うことも、大きな挑戦でした。
新作としての枠組みの中で、どう構築していくかを考えながら、“鬼平”をご存じの方に楽しんでいただくだけではなく、登場人物一人ひとりの個性が際立つように心がけました。豪華な皆さんにご出演していただき、それぞれが人物像を掘り下げてとても魅力的な役を作り上げてくださいました。また、スタッフも「歌舞伎座でなければ成立しない」というような壮大な舞台を支えてくれました。お客様にも楽しんでいただけていることが伝わってくるので、その反応に支えられていると感じながら、毎日舞台に立っています。
Q2. 今回の作品では“鬼平歌舞伎”と呼ばれるような新たなスタイルを目指しているとのことですが、その思いや、歌舞伎でなければ表現できないと感じた要素についてお聞かせください。
幸四郎:“鬼平歌舞伎”という言葉には、新作歌舞伎をどう捉えるか、という問いかけも込めています。池波正太郎先生は『鬼平犯科帳』を“世話物”として構想されたと伺っています。ですから先生の作品には“行間に空気”が流れていて、その空気感があるからこそ時代を超えても受け容れられる。そして何人もの役者さんがその作品を演じることで、新しい“色”ができるものなのだと思います。それをどう舞台で表すかが大きな挑戦でした。
例えば、「インスピレイション」が流れる場面では、いわゆる黒御簾音楽を取り入れた世話物にはなり得ないので、振り切った演出をしなければなりません。そこで音楽の使い方や展開の仕方というものを一つの新しい形として創り上げていきました。
本作の歌舞伎でしかできないことを挙げるとしたら、ツケ打ちが入ることや登場人物が見得をするとか、女方の存在だったり、そして時空の飛躍や重層的な時代の交錯だったり。こうした歌舞伎の得意技が『鬼平』という物語に新たな力を与えてくれました。それらを駆使して、「これが“鬼平歌舞伎”だ」と言っていただけるようなものを形にして、“鬼平歌舞伎”として作品の数を重ねていきたいということも目指しています。

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎
Q3. 今回は松本白鸚さん、市川染五郎さんとの三世代共演も話題を集めています。親子孫三代でひとつの世界を築く中で、ご自身の中に芽生えた感情や、印象的だったやり取りなどがあれば教えてください。
幸四郎:同じ舞台に三世代で立つということを前提に物語を構築する中で、いかにそれぞれの役割を成立させるかがひとつの課題でした。父(松本白鸚)は“平蔵の父”の長谷川宣雄として登場しますが、それはただ親子だから、ということ以上に”親という存在がある物語“を描くためでもありました。
父が発する声量、言葉の重みや説得力は、やはり舞台上でも圧倒的で、多くの方にその声を届けたいという気持ちも強くありました。今、父と、役として会話をするという体験は言葉にしがたい、大事な時間であることを日々感じています。
染五郎は何かのインタビューで「いずれは長谷川平蔵を目指すのか」と聞かれて、「平蔵よりも銕三郎がいい」と言ったそうです。それだけこの役に愛着を持ってくれていることが嬉しいですし、これまで映像で演じてきた経験も今回の舞台で自然と活きている。今の彼は、銕三郎という人物を自分の中でしっかり昇華させていて、安心して舞台に立っているのが伝わってきます。
Q4. 染五郎さんの演技について、稽古や本番を通じてどのような成長や可能性を感じていますか?一人の父親としてではなく、演者としての視点から教えてください。
幸四郎:今の染五郎は、まさに成長期の真っ只中にあって、“少し前よりも大きくなった”というその成長の度合がわかるくらいでないといけない時期にあると思っています。特に、役に自分の体を預けているような安定感が出てきたことで、演者として信頼できる存在になってきたのかなと思います。ただ、ここが到達点ではなく、もっともっとできないことを見つけ、これからもっとできないことに挑戦し、自分の全部をどんどん更新していってほしい。それが役者としての伸びしろであり、可能性でもあると思っています。
夜の部は『蝶の道行』にも出演していて、義太夫の踊りなので“こってり”と踊る必要がありますが、それをどれだけ研究して、徹底して踊れるかが重要です。明治時代には義太夫の踊りは長唄や清元とはまた違う独自の身体性と様式があって、音楽に合わせて振りを微妙に変える繊細さも求められたそうです。染五郎には、『蝶の道行』を通して義太夫の踊り方という課題を、徹底的に分析して自分の“全てを使い果たす”つもりで挑んでほしい。今回の『蝶の道行』は回数も限られていますが、その中で挑戦を積み重ねていってほしいと思います。
相手役の(市川)團子さんとは国立劇場(2013年10月)で僕が『春興鏡獅子』を勤めたときに胡蝶でも共演しています。そうした2人の繋がりがこれからも続いて、お互いに刺激し合える存在になってほしいと思っています。

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎
Q5. 中村吉右衛門さんも『鬼平犯科帳』を歌舞伎として上演されていますが、今回の上演にあたり意識された部分はありますか?
幸四郎:「火付盗賊改め長谷川平蔵である」と名乗るシーンの「である」という語尾は、叔父(吉右衛門)の鬼平像を思い起こさせる印象的なものです。映像版ではあえてその部分を言わないようにしていましたが、今回は「二代目中村吉右衛門に捧ぐー」という副題を掲げていることもあり、口にしています。叔父が演じた鬼平には、どっしりとした重厚感があり、怖さがあり、“鬼”と呼ばれるに足る威厳がありました。私はそれに近づくことはできないかもしれませんが、今の自分ができる“鬼平としての強さ”“厳しさ”“静かなる情の深さ”を込めて演じています。私もまた違った形で、ご覧になる方に“鬼”だと感じていただける鬼平像を目指したいと思っています。
映像やラジオドラマなどで長谷川平蔵を演じることを重ねてきて、 “長谷川平蔵”という男の強さというものを改めて実感しています。

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『鬼平犯科帳 血闘』長谷川平蔵=松本幸四郎

『紅葉狩』平維茂=松本幸四郎
松本幸四郎(MATSUMOTO KOSHIRO)
東京都生まれ。1979年3月、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を名乗り初舞台。81年10・11月、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。18年1・2月、歌舞伎座で十代目松本幸四郎を襲名。父は二代目松本白鸚、息子は八代目市川染五郎。

七月大歌舞伎
昼の部 11:00開演
一、 新歌舞伎十八番の内『大森彦七』
二、 新歌舞伎十八番の内『船弁慶』
三、 新歌舞伎十八番の内『高時』
四、 新歌舞伎十八番の内『紅葉狩』
夜の部 17:00開演
一、『鬼平犯科帳 血闘』
二、『蝶の道行』
※松本幸四郎さんは、
昼の部の『紅葉狩』と夜の部の『鬼平犯科帳 血闘』に出演します。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2025年7月5日(土)〜26日(土) ※11日、18日は休演
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。
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