歌舞伎の未来のために奮闘する令和の花形歌舞伎俳優たち。彼らの熱い思いを、美しい撮り下ろし舞台ビジュアルとともにお届けする本連載。第16回は、錦秋十月大歌舞伎で『義経千本桜』に俳優と清元の二刀流で挑んだ尾上右近が登場。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

画像1: 『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

 2025年は松竹創業130周年を記念し、歌舞伎座にて三大義太夫狂言が通し上演されている。三月の『仮名手本忠臣蔵』、九月の『菅原伝授手習鑑』に続き、「錦秋十月大歌舞伎」では『義経千本桜』がAプロとBプロで配役をわけて上演され、花形世代の俳優も主演で活躍している。その中で尾上右近は、Aプロ「吉野山」では清元栄寿太夫として清元の立唄を勤め、Bプロでは「鳥居前」「吉野山」「川連法眼館」で佐藤忠信/忠信実は源九郎狐を勤める。俳優と清元という二つの立場を併せ持ち、舞台上でも稀有な“交錯”を体現する右近に、作品への思いと、役と芸にかける覚悟を聞いた。

——初日を迎えて10月5日に歌舞伎座にて取材
Aプロでは清元の立唄、Bプロでは歌舞伎俳優として舞台に立たれます。二刀流を実際に体験されて、どんなことを実感していますか?

右近: 清元と俳優の両方をやるということは、たやすいことではありません。俳優として立役と女方を“兼ねる”ことが一生をかけても足りないくらいなのと同じように、俳優と清元もどちらも声の仕事なので大変ですね。そもそも50分も尺のある演目で立唄を勤めるということ自体が、凄まじい。稽古では声が出ないときがあって、そこから調整していくことも僕にとって未知の出来事でした。発散するということでもないですし、終わった後、肉体的には疲労がないはずなのに、喉の疲労に体のすべてが持っていかれてしまうような疲れを感じます。俳優として演じるよりも疲れるんです。でも、こうした体験が気づきとなって、ともに舞台を作っている人たちへのリスペクトを持ち直すきっかけにもなりました。
 今回Aプロは9日間だけなので、清元を勤めているともう少し日にちがほしいなという思いもありますが、家に帰って後半に向けた資料映像を見ると、早く狐忠信を演じたいなとも思います。もう一人、双子の僕が欲しいです(笑)。これがもし、毎日AプロとBプロが交互に上演されるようだったら、まず声が出なくなってしまって僕はダウンしていたかもしれません。今回は前半に清元をやって、清元の喉の状態になっていますが、俳優の声は使い方が全然違うので9日の「吉野山」が終わった後、俳優の声を大急ぎで作って舞台稽古を通してどういう方向に声を持っていくのか、短期間でどのように調整するのかを考えなければなりません。

——清元の太夫として舞台にいるときの心境を教えてください。

右近: 今回に関していえば、師匠(清元美寿太夫)が隣に座ってくれているので、初舞台のような感覚です。四月の『春興鏡獅子』のときもそうだったのですが、最近は“子ども返り”しているような感覚があります。経験を積んでいるのに、気持ちがどんどん子どもに戻っているような感じがしていて、安心はしているし、その上で“今日はよかった”と褒められたいとも思うんです。
 歌舞伎座で「吉野山」の立唄をやらせていただくということは、とても大きいですね。歌舞伎座の舞台で立唄として成立していると思える形はどういうものなのかを模索している感じです。イメージとしては3階席の奧の角まで自分の声が届くということ。声が出るとか出ないではなくて、細やかな粒子のような気持ちも含めたあらゆるものが乗った声であれば、そこに届くのではないかと思っています。僕が思う素晴らしい演奏家の方は、俳優目線でも、清元目線でも一番のポイントは自分のパフォーマンスがどうすればお客のこころを掴むことができるかという“スケベ心”があるということです。“俺を見て”という気持ちを皆が持っている状態が一番いいと思います。清元を伴奏音楽と説明することはありますが、本来は伴奏ではなく、演奏なので、演じて奏でるということは、モテようとしている気持ちがあることが大事なのではないでしょうか。

——「鳥居前」は初役ですが、教わったことでどんなことを大切にして演じていらっしゃいますか。

右近: (尾上)松緑の兄さんに「荒事(あらごと)」の根本的なことをしっかりと教えていただきましたので、不安がありません。いろいろな役柄を演らせていただいているので、今、荒事の基礎をしっかりと作らなければならないと思っています。でなければ、守備範囲の一つに過ぎないことになってしまいます。荒事を演っているときは、女方を演じる姿をご覧になるかたに想像できないような状態を体現しなければならないですし、その都度役の色に染まることの一つに荒事も数えられるようにしたいです。「吉野山」の忠信があらゆる役柄の中軸にあるとしたら、女方はその真逆にある遠い存在で、その女方の対極にあるのが荒事だと思います。ですから、「鳥居前」の忠信は「吉野山」の忠信からはとても遠い感じです。

画像1: 『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

画像2: 『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

画像3: 『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 鳥居前』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

——四の切(川連法眼館)の源九郎狐はどういう位置だとお考えですか?

右近: AプロとBプロを演らせていただいているからこそ思うのは、狐は僕の中では獣らしさよりも、役柄としては人間のような、情のあるお芝居をするべきだと考えています。『仮名手本忠臣蔵』の登場人物で表すとしたら、早野勘平でしょうか。動物の域は超えている存在で、型通り演じれば狐らしさは出ますが、秘密を明かすということなので修羅場ですよね。僕は早替りで「毛縫」の衣裳になる前が一番好きなんです。ずっと隠していたけれども、本物の忠信に迷惑がかかってしまうから、本当のことをいうという場面の空気感がいいですね。狐になってしまうと、独白の世界になるので、3分くらいで話がつくところをたっぷりみせるという歌舞伎らしい演出だと思います。狐の心をお客さまに届けるという時間なんです。でも最初にこの役を演じた時は点を追うことに必死で、忠信を人間としてみることはありませんでした。
 今回は「鳥居前」は初めてなので点を追いますが、「鳥居前」、「吉野山」、「四の切」を通して演じるので、忠信という一つの線を意識して演じないと一貫性がなくなると思います。ですから「鳥居前」も初役を超えていかなければなりません。

——今回は『義経千本桜』が通し狂言として上演されていますが、どのような視点で佐藤忠信実は源九郎狐を演じていらっしゃいますか?

右近: 型を演じるということは、歌舞伎俳優にとって職人的な部分なので、点と点を結ぶ際に、自分の気持ちという線で繋げていくことが重要だと感じています。ですから新作を演じるよりも古典作品の型を演じたほうが、演じる俳優の人間性というものが表れるのを感じます。
 人間の本質的なことでいえば、僕がとても尊敬している方がおっしゃっていたことで共感したお話があります。例えば、京都の何代も続いている料理店の常連客が、代が替わってもその店に通うのは息子さんを応援するということももちろんあるけれど、かつての大将の料理が好きだったから行くという感覚もあるということ。そういう理由で、代替わりしても行くのが日本人らしいと僕は思います。さらにいえば、その大将の料理が好きだったとしても、大将の料理が生涯、良かったわけではなくて、一番いい時期は10年くらいで、本当においしいものにこだわるのであればその10年を求めてお店に行くのだと思います。一生をかけてやっていることを一生応援するという大将と常連客の関係性は、歌舞伎の推し活とも本質的な点でつながっていると思っています。そういう視点で『義経千本桜』を見ると、一人の俳優に対しても、再演を重ねてきた中で、この10年が素晴らしいという見方をされると思うので、その10年に今の僕はいるのかもしれないと思って演じたいと思います。

——「吉野山」を演じる上では、どんなことを大切にされていますか?

右近: 以前、(市川)右團次さんから(二世市川)猿翁のおじさまの忠信という役についてのお考えとして、“物憂げ”というお話を伺いました。ちょっと憂鬱な感じというか、春の木漏れ日に静御前に従っていて、充実感はあるものの、いずれは鼓と別れるかもしれないという憂いがあって、ピクニック気分のような楽しい気分ではないということでしょうか。サザンオールスターズの「慕情」という曲のような感じかなと思っています。

——Aプロでは市川團子さんが澤瀉屋の型で演じ、Bプロの右近さんは音羽屋の型でなさいます。どのような違いがあるとお考えでしょうか?ご自身が目指すことも教えてください。

右近: 芝居で埋めていくという作業が多いのが音羽屋の型ではないでしょうか。一方で澤瀉屋の「四の切」は猿翁のおじ様が作り上げられ、点だけで線が書けていると思います。そこに自分の線を描いたのが四代目(市川猿之助)でした。今回の僕は師匠の七代目(尾上)菊五郎のおじさまに教えていただいた音羽屋の型で勤めますが、僕にひとりぼっちの精神を教えてくれたのが四代目で、その心を大切に演じたい。その気持ちを骨の髄まで浸透させて、熟成させてとどけていくことが、俳優を続けていく上で大事なことで、今回の「四の切」もまさしくその一つなのかなと思います。

画像: 『義経千本桜 吉野山』静御前=中村米吉(右) 佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近(左)

『義経千本桜 吉野山』静御前=中村米吉(右) 佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近(左)

画像2: 『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

画像3: 『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

画像4: 『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 吉野山』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

——清元と俳優の二刀流を続けることの大変さがあると思いますが、今まで以上にそれを実感なさっていらっしゃいますか?

右近: そうですね。安心材料が増えているという感覚のほうが強いですね。今回すごいと思ったのは清元と俳優の両方をやるうえで、やりたいこととやるべきことの両方をやっていると、自己肯定ができたことです。これまで俳優として演じている時は、やるべきことを放棄して自分のやりたいことだけをやっているという後ろめたさがどこかあって、それをはねのけるために俳優に邁進している感覚がありました。板の上での俳優としての経験が、太夫である自分をそっと助けてくれることもあるので、やっぱり板のうえということにおいては、清元と俳優は地続きなのだと思いました。

——やるべきこととやりたいことがご自身の中に同居しているようですが、空っぽにして本当の自分になる時間は必要ないですか?

右近: どちらも仕事感覚が全くないですから、自分を試すのが好きなので、その好きなことを仕事でできています。あとはひたすらリラックスするしかないですね。

——今月の見どころを教えてください。

右近: 「四の切」ももちろんですが、やっぱり「吉野山」だと思います。「忠信は何といっても吉野山」だと六代目(尾上菊五郎)がいっていたことに、本当にその通りだったのだなと思っています。今回のテーマは“圧力鍋”。ぐっと凝縮したものをお届けするとともに、義太夫に合わせて八嶋の合戦の光景をしっかりとご覧に入れられる自信があるので楽しみにしてください。

画像: 『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信=尾上右近

『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信=尾上右近

画像: 『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

画像: 『義経千本桜 川連法眼館』静御前=中村米吉 佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

『義経千本桜 川連法眼館』静御前=中村米吉 佐藤忠信実は源九郎狐=尾上右近

   

 どんな問いにもまっすぐに言葉を返してくれる尾上右近。その答えはいつも曖昧さがなく、芸の核心に触れようとする眼差しがある。
これまで連載でも「俳優と清元の二刀流」という言葉で紹介してきたが、今月の『義経千本桜』では、その在り方が“概念”ではなく“舞台上の現実”として立ち上がっていた。清元として声で舞台に立ち、俳優として身体で立つ。その両方をやることは「たやすくはない」と語りながらも、「やりたいこととやるべきことが一致した瞬間があった」と微笑む表情に、芸に生きる覚悟のようなものがにじむ。
「肯定からしかものは生まれない」と彼は言った。自己肯定ではなく、芸に向き合う姿勢への肯定。イメージを言葉にし、それを舞台で具現化していく俳優の現在が、今まさに形を帯び始めている。この先、どのような狐が、どのような忠信が立ち上がるのか。
“声”と“身体”、その狭間で生まれる尾上右近の歌舞伎を、これからも追いかけていきたい。

尾上右近(Onoe Ukon)
東京都生まれ。清元延寿太夫の次男。曽祖父は六代目尾上菊五郎。2000年4月歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で岡村研佑の名で初舞台。七代目尾上菊五郎の門下で、05年1月新橋演舞場『人情噺文七元結』の長兵衛娘お久、『喜撰』の所化で二代目尾上右近を襲名。14年9月名題昇進。18年2月七代目清元栄寿太夫を襲名。2015年より始めた自主公演の「研の會」で大役の挑戦を重ねてきた。歌舞伎俳優と清元の太夫として活躍している。

錦秋十月大歌舞伎
第一部 11時開演
鳥居前
渡海屋
大物浦

第二部 15時開演
木の実
小金吾討死
すし屋

第三部18時30分
※尾上右近さんは、
第一部Bプロ「鳥居前」
第三部のBプロ「吉野山」「川連法眼館」に出演。

会場: 歌舞伎座
住所: 東京都中央区銀座4-12-15
上演日程: 2025年10月1日(水)〜21日(火)
休演日: 10日
問い合わせ: チケットホン松竹 TEL 0570-000-489
チケットweb松竹

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

令和を駆ける“かぶき者”たち 記事一覧へ

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.