スーツをモードに昇華したトム・ブラウン。アメリカを代表するデザイナーのひとりであり、世界各地に熱狂的なファンを持つ彼は、いかにして「トム・ブラウン」になったのか。コレクション、そしてパフォーマンスが映し出す独創的なビジョンはどこから来るのか。稀代のデザイナーの素顔に肉薄する

BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPH BY DANIELLE NEU, STYLED BY MATT HOLMES, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

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 こうして見ると、「トム ブラウン」の世界はまさにクィアと言えそうだ。そしてブラウン自身もそのひとりである。彼のパートナーは、メトロポリタン美術館の服飾部門で学芸員長を務めるアンドリュー・ボルトン(55歳)だ。彼らは最近、慈善家のドゥルー・ハインツが所有していた邸宅を購入した。マンハッタンのサットンプレイスに位置する、15部屋あるという豪邸である。ふたりは、建築家レンゾ・モンジャルディーノが1970年代に手がけた内装をすべて取り払い、よりシンプルなスタイルに改装した(だが、フランネルの毛布で覆った簡素なシングルベッドが置かれた、ブラウンの以前の家ほどミニマルではない)。ブラウンのコレクションの多くは〈自伝的〉だが、自らのセクシュアリティについてはわざわざ語る必要がないと考えているようだ。これまでに自分がデザインしたスカートは一度もはいたことがないと言ってから、ブラウンはこう続けた。「どんなセクシュアリティであっても、それはごく自然なことだからね。今の世ではあらゆることにレッテルを貼って、あれこれ主観的な見解をしたがるけど、僕はそんなことをしたくない。ただ思ったことをやって、楽しみたいだけなんだ」

画像: 2012年秋冬メンズ・コレクションより

2012年秋冬メンズ・コレクションより

 彼は何よりもまず「誰もがつながりを感じられて、会話に参加できるコレクションを創りたい」と思っている。だが長年のキャリアにおいて、批評家たちから非難を受けたこともある。とりわけ女性モデルの扱いについてだ。両腕を縛った服を着させたり、人が履くものとは思えない高いヒールでランウェイをよろよろと歩かせたりして、彼女たちを苦しませていると咎(とが)められたのだ。なかには観客の側が苦痛を感じたプレゼンテーションもあった。もともと彼のショーは開始時間が遅れるだけでなく、展開もスローテンポなことが多いのだが、2014年の春夏のショーは招待客を心理的に追い込むような状況を生んだ。そのシーズンのテーマが〈精神科病院〉だっただけでなく、予定外の遅延もあってビョークが「Shhhh(シー)」とささやく「It's Oh So Quiet」(1995年)を含むBGMが1時間近くも繰り返されたのだ。ブラウンは、ショー開始前に一部のゲストが去ってしまったことにがっかりしたと言うが、だからといって自分のやり方を変える気はさらさらない。「僕らはどんな物事も、瞬時にスピーディに行われる世の中を生きている。だからあえて不快さをもたらしたいのさ。イージーで快適なものだけを提案したくないから」

 その不快さは服のデザインにも表れている。たとえばアーガイル柄の拘束衣などは、奇抜すぎて普通の人が着られるものではないだろう。2009年、世界的な金融危機下で、トム ブラウン社は倒産寸前に追い込まれた。だが幸いにして新しい支援者を見つけ、それ以降はホワイトスニーカー、スイムウェア、レザーグッズ、アニマル型バッグ、ジムショーツ、スウェットパンツといった人気の定番アイテムを数多く展開している。「ショーピースは売れても売れなくても構わないんだ。ユーモアと挑発的なメッセージがちゃんと発信できればね。奇妙なほどコンセプチュアルなウェアの中に〈グレーのスーツの片鱗〉を見つけてもらうことで、改めてスーツの面白さを伝えられたらと思っている」

 私自身が一番気に入っている「トム ブラウン」のコレクションは、じつは通常のコレクションではない。イタリアのフィレンツェで催されるメンズウェアの展示会「ピッティ・ウオモ」(独創的なクリエーションの数々が披露されるファッションの祭典)に、2009年に招聘されたブラウンが発表したパフォーマンスである。その奇妙なほどにコンセプチュアルな演出を見れば、なぜブラウン本人もこのパフォーマンスを気に入っているのか、その理由がわかるだろう。

 舞台は航空大学の、木製タイルが敷き詰められた講堂。同一のスチールデスクが縦4列に10台ずつ並び、机上には年代もののタイプライターと白紙の束が整然と置かれている。照明が点いた途端、そこに現れたのはヘアをバックになでつけた背の高い男性だ。ベージュのチェスターコートとグレーのスーツのジャケットを脱ぐと、彼は40台のデスクの正面にぽつんと置かれたデスクに腰かける。この男性のデスクにだけは卓上ベルがある。彼がこれを鳴らすと、まったく同じ服を着た40人の男性が足並みを揃えて室内に入ってくる。彼らは次々にコートを脱いでグレーのカーディガン姿になると、勢いよくタイプをし始める。静けさの中で響きわたるタイピングの音は、トタン屋根を打つ雨音のようだ。途中で、黒のブリーフケースからリンゴを取り出してデスクに置き、サンドイッチを頰張ると、再びタイプライターに向かう。10分たつと退社時間になり、彼らは再び整列し、マネジャーのデスクにリンゴを置いてその場を去っていく。礼儀と緻密さと献身が共存するこのオフィスには、いざこざも怠慢もカジュアルフライデーもない。現実とかけ離れたこの世界観は、これまでブラウンが掲げてきた優れたコンセプトと同様に、明快でありながら奇怪で謎めいている。

 彼はこのパフォーマンスを原点にさまざまなバリエーションの作品を生んできた。そのひとつが、昨年キッズウェア・コレクションをローンチした際に、アーティストのキャス・バードと共同で制作したビデオだ。その中でスーツをまとったビジネス界の〈小さな大物たち〉は、机にリンゴとパック入りの牛乳を並べ、以前見たものと同じようなタイプライターのキーをたたいている。ひとつのメタファーを繰り返しながら核心を伝える良書のように、ブラウンはきっとこの空想のオフィスに何度も立ち戻るのだろう。今後、もしもハリウッド映画を手がけたり、価格を抑えたセカンドラインを創ったりする機会があれば、必ずここに帰着するはずだ。彼にはまだやるべきことがたくさんある。「これから何年後かには“グレーのスーツを起点にしたひとつの物語”が完結しているといいけど」とブラウン。「人生最後のショーではフィレンツェに戻って、あのパフォーマンスの巻き戻し版をやろうかな。うん、これはいいアイデアかも」。そうつぶやくと、彼はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

 その未来のパフォーマンスでは、オフィスに現れるのは男性だけではないかもしれない。スカートをはいているかもしれないし、これから何十年後かの、ユニークで魅力的な生き方をする人々にふさわしい未知のファッションに身を包んでいるかもしれない。舞台が暗転すると、ボスはもう仕事をせず、一同に別れを告げ、その日が彼にとってグレーのスーツを着る最後の機会になる可能性だってあるだろう。会社をほかの有能な誰かに託すかもしれないし、適役がいなければ会社をたたむことだってあり得るかもしれない。

MODELS: ERNESTO PEЦA-SHAW AT NEXT MANAGEMENT, DANIEL AVSHALUMOV AT WILHELMINA MODELS, AMBAR CRISTAL AT NEXT MANAGEMENT AND JORDY EMMANUEL AT CRAWFORD MODELS. HAIR BY DYLAN CHAVLES USING ORIBE HAIR CARE AT MA + GROUP. MAKEUP BY INGEBORG USING DIOR FOREVER FOUNDATION. CASTING BY GABRIELLE LAWRENCE.

PRODUCTION: LOLLY WOULD. PHOTO ASSISTANTS: XAVIER MUДIZ, PIERRE BONNET. TAILOR: CAROL AI. STYLIST’S ASSISTANTS: GABE GUTIERREZ, SOFIA AMARAL

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