日本酒離れが進む国内市場を片目に、原料や製法にこだわった日本酒が世界で注目を集めている。この流れに乗り、日本酒業界の衰退にストップをかけようとするのが「日本酒応援団」だ。半年にわたって彼らの活動を追ったレポートの後編

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY TETSUYA MIURA

 日本酒応援団の酒造りは、蔵に任せっきりではない。田植え、醸造、搾りなど、すべての工程を蔵とともに行う。「会社のメンバーが蔵で仕事をすることで、僕らは一人称でそこの酒の魅力を伝えられる。数日間寝泊まりして、同じ釜の飯を食う関係から信頼感も生まれます」と語るのは、代表取締役の古原忠直。経験を積めば、蔵の哲学を自分の言葉で飲み手に届けられる。これは現場に赴いて初めてわかってきたことだと古原は言う。

さらに、もうひとつの強力なパートナーが会社設立2年目に現れた。百貨店の「髙島屋」だ。今では稀少な、手間のかかる搾りによる髙島屋限定の酒を各蔵で造って販売する。髙島屋セントラルバイヤーの山下裕司は「閉鎖的な日本酒業界で珍しい存在。造り手と飲み手を巻き込んで新しい酒を造っている。われわれも蔵へ赴き、田植えから搾りまで経験し、お客さまにこの酒の魅力を伝えています。1年間おつき合いしましたが、ご一緒できてよかった」と絶賛する。

画像: 萱島酒造の「蒸し」の工程。100°C近い米を蒸し器から取り出し、広げて冷やす。1釜で750kg、1日3〜4tを蒸す。米を蒸す作業は重労働。蒸し時間や蒸し上がり具合が酒の香りや味わいを大きく左右する ほかの写真を見る

萱島酒造の「蒸し」の工程。100°C近い米を蒸し器から取り出し、広げて冷やす。1釜で750kg、1日3〜4tを蒸す。米を蒸す作業は重労働。蒸し時間や蒸し上がり具合が酒の香りや味わいを大きく左右する
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 今回、われわれは日本酒応援団のための田植え、仕込み、搾りの各段階を3つの蔵で取材した。  岡山県鴨方町。晴天率の高さから国立天文台が置かれるほど、陽光と美しい空気と水に恵まれた里。幕末創業の「丸本酒造」を率いるのは6代目当主・丸本仁一郎。丸本は1986年、当時どこの蔵もやっていなかった自社用の酒米作りを開始。「酒造りにこだわる以上、主原料である米に投資するのは当然のことでした」と話す。

画像: 田んぼが広がる緑豊かな里・鴨方。田植え体験に応募してきた方々も参加。このあと、蔵の2階で酒米・山田錦のおむすびや天ぷら、そうめんなど蔵の心尽くしのお昼ごはんが振る舞われた ほかの写真を見る

田んぼが広がる緑豊かな里・鴨方。田植え体験に応募してきた方々も参加。このあと、蔵の2階で酒米・山田錦のおむすびや天ぷら、そうめんなど蔵の心尽くしのお昼ごはんが振る舞われた
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画像: 丸本酒造の田植えに参加する、日本酒応援団の古原。彼のおおらかで明るい人柄が「日本酒の輪」を広げていく ほかの写真を見る

丸本酒造の田植えに参加する、日本酒応援団の古原。彼のおおらかで明るい人柄が「日本酒の輪」を広げていく
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 田植えのこの日、なだらかな山に囲まれた酒蔵の目の前の田んぼが1反、日本酒応援団のために用意されていた。「この蔵ではすべての田の土壌分析を行い、その場所に合った肥料や育て方をしているんです。すごい!」と、古原は圧倒的な信頼を寄せる。古原が人生で初めて一升瓶を買ったのは、ここの酒「竹林」だった。その味は衝撃的だったそうだ。「どうしても組んでいただきたくて」。突然のアプローチに、よい返事をもらえるまでに時間はかかったものの、結局「古原さんの日本酒愛に押しきられた」と丸本は笑う。

 

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