日本酒離れが進む国内市場を片目に、原料や製法にこだわった日本酒が世界で注目を集めている。この流れに乗り、日本酒業界の衰退にストップをかけようとするのが「日本酒応援団」だ。半年にわたって彼らの活動を追ったレポートの後編

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY TETSUYA MIURA

 大分県国東町。神々と仏が息づく土地。古い歴史に包まれたエリアに明治6(1873)年創業の「萱島酒造」はある。昔ながらの味を継承しながら、将来を見据えて蔵の舵取りをするのは、5代目当主・萱島進。豊かなうま味をたたえ、切れ味のよさを誇る銘酒「西の関」は、古原の憧れの酒だった。何度も通い、やっとパートナーとなれたときの喜びはひとしおだったと話す。ここでの仕込みは、米を蒸す朝8時の作業から始まった。酒造りの基本は「余計なことをせず、教科書どおりに造る」と「掃除」の二点。「酒は日常の生活に寄り添ってくれるもの。知らないうちにこんなに飲んでしまった、くらいの酒が理想」。萱島は飄々(ひょうひょう)と話す。

画像: 大分空港から車で10分の萱島酒造。「西日本の代表」になるようにと命名した銘酒「西の関」を造る ほかの写真を見る

大分空港から車で10分の萱島酒造。「西日本の代表」になるようにと命名した銘酒「西の関」を造る
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画像: 「酒造りの師匠です」と古原が厚い信頼を寄せる社長の萱島進氏(左) ほかの写真を見る

「酒造りの師匠です」と古原が厚い信頼を寄せる社長の萱島進氏(左)
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 埼玉県上尾市。都会的な佇まいの「北西酒造」では、若き5代目社長の北西隆一郎が迎えてくれた。明治27(1894)年創業。最新の工場設備で、髙島屋限定酒の斗瓶(とびん)取りが行われた。斗瓶取りとは、もろみを搾らず、袋に入れて吊るし、自然に滴るのを待つ手法。雑味がなく、華やかで繊細な味わいになる。生産量が少なく、もっぱら品評会用に造られてきた。「経営者として古原さんには大いに刺激を受けています。初めてのパートナーシップを大切に育てたい」と北西は語る。

画像: 北西酒造でのしずく斗瓶取りの作業には髙島屋のバイヤー山下さん(右)や地元の髙島屋大宮店のスタッフも参加。北西社長も自らくみたての酒を瓶詰めし、打栓作業を行う ほかの写真を見る

北西酒造でのしずく斗瓶取りの作業には髙島屋のバイヤー山下さん(右)や地元の髙島屋大宮店のスタッフも参加。北西社長も自らくみたての酒を瓶詰めし、打栓作業を行う
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画像: 一斗(18l)瓶は戦後すぐに使われていたもの。同じタンクの酒でも、斗瓶ごとに少しずつ味わいが異なるのも斗瓶取りの魅力だ(北西酒造) ほかの写真を見る

一斗(18l)瓶は戦後すぐに使われていたもの。同じタンクの酒でも、斗瓶ごとに少しずつ味わいが異なるのも斗瓶取りの魅力だ(北西酒造)
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 さらに、日本酒経験のない若者や女性たちにも酒の魅力を伝えていくのが、日本酒応援団のもうひとつのミッションだ。先日はフェイスブックジャパンと協力し、日本酒コミュニティを立ち上げた。今後、国内最大規模を目指すという。海外に展開するため、彼らが造る酒はすべてローマ字名。現在、アメリカ、香港、シンガポール、イギリスの4カ国へ輸出。米スタンフォード大学の学生を毎年4人受け入れ、酒造りを体験してもらうプロジェクトも推進している。「彼らは日本酒とそれが生まれるプロセスに強烈な印象を受けるに違いない。その口コミも訴求力となります」。

そしてさらに、カリフォルニアのワイナリーの醸造家とのコラボレーションや、海外で日本酒を造る酒蔵とのパートナー契約、人気料理店での日本酒ペアリングイベント、海外向け高級スペックの日本酒を外食産業とともに展開する計画など、応援団の輪は国境を超えて大きく広がろうとしている。
「古原さんのほとばしる熱意に打たれ、この人と仕事しようと思った」。酒蔵の当主たちは口を揃える。新しい日本酒の在り方を「日本酒愛」で具現化していく古原と彼を取り巻く人々の挑戦は、まだまだとどまるところを知らない。

“付加価値のある酒”で未来を拓く。「日本酒応援団」の挑戦<前編>

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