「ひらまつ」の合宿

Retreat To Move Forward
8月、東京・広尾のフランス料理店「レストランひらまつ 広尾」は1カ月間休業する。スタッフが料理だけに向き合う夏の“合宿"に密着。ボーダーレス化する日本のフランス料理はどこへ向かうのか――?

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY MASAHIRO GODA

「レストランひらまつ」が歩んできた歴史は、じつは日本のフランス料理界の歴史と重なる。1970年代初頭、フランスの料理界に「ヌーヴェル・キュイジーヌ」と呼ばれる新しい料理形式が登場した。シンプルな調理法で、食材の鮮度を大切に、ソースは軽く、味わいもライトに。この大きな流れを学ぼうと、フランス料理の華やかな世界に夢を抱く若者たちが、かの地へ旅立っていった。その中のひとりが平松宏之だった。

画像: 合宿のルールのひとつは朝昼晩の食卓を全員で囲むこと。まかない作りは本店の若いスタッフたちの仕事だ。「食事を一緒にすることで自然に会話が生まれます。食卓を囲む楽しさをお客さまへ伝える立場として、そのことをスタッフに体感してほしい」(大樹) 他の写真もみる

合宿のルールのひとつは朝昼晩の食卓を全員で囲むこと。まかない作りは本店の若いスタッフたちの仕事だ。「食事を一緒にすることで自然に会話が生まれます。食卓を囲む楽しさをお客さまへ伝える立場として、そのことをスタッフに体感してほしい」(大樹)
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 宏之は’78年に渡仏し、帰国後の’82年、「ひらまつ亭」を西麻布にオープン。同じ年に「クイーン・アリス」が、その後、「シェ・イノ」「ラ・トゥール・ダルジャン」「オテル・ドゥ・ミクニ」といった日本のフランス料理を牽引する名店が続々と登場した。「ひらまつ亭」は’88年に広尾へ移転し、「レストランひらまつ」と改名。2001年にパリにも店を開き、翌年ミシュランガイドの一ツ星を獲得。在パリの日本人オーナーシェフとして、初の快挙を成し遂げたのである。

 彼のシグネチャーディッシュとして有名な「フォアグラ・オ・シュー」。フォアグラにトリュフをはさみ、ちりめんキャベツで包んだ見事なひと皿だ。完成された力強い味わいとアートのように美しい料理が、彼をスターシェフに押し上げていく。2000年代になると、多様なスタイルや価格帯で気軽にフランス料理を楽しめるようになり、成熟期を迎えた日本のフランス料理界で、料理人たちは自由に個性を発揮していった。さらに、世界の料理観を変えたといわれるスペイン「エル・ブリ」のフェラン・アドリアによる実験的な料理の登場によってフランス料理も大きく影響を受け、今フランス料理は百花繚乱、いや、“千花撩乱”の時代だ。

画像: 平松宏之。経営から退き、人材育成などに力を注ぎたいと、ひらまつ総合研究所を設立した。「店はスタッフやお客さまのためにも続いてほしいけれど、僕の料理は引き継がれなくていい。料理とは一代限りのものだからね」 他の写真もみる

平松宏之。経営から退き、人材育成などに力を注ぎたいと、ひらまつ総合研究所を設立した。「店はスタッフやお客さまのためにも続いてほしいけれど、僕の料理は引き継がれなくていい。料理とは一代限りのものだからね」
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 かつての、バターたっぷりの重いソースはなかなか見かけないものとなり、イタリアや北欧料理とのボーダーレス化も進んでいる。今、何を指して「フランス料理」というのか、疑問に思う人も少なくないだろう。そんな流れの中、ひらまつは日本におけるフランス料理の伝統を守るレストランとして、着々と全国に店を増やしてきた。大樹が「レストランひらまつ 広尾」の料理長に就任したのは2012年。そして2017年、36歳のときに宏之の養子となり、平松の姓を継いだ。店を継ぐのみならず、そこまで決断したのにはどんな意味があったのか。

「最初に平松の名前を継いでくれないかと言われたとき、なんで僕が? もっとふさわしい人は大勢いるだろうと驚きました。重責とわかっていましたが、親父さんのDNAを残したいと思った。ただ、本店はひらまつの土台であり、そこが輝いていないと、ひらまつ自体も輝かない。二代目として、やるべきことがあるんじゃないかと」

 

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