BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

いつまでも記憶に刻まれる軍艦島
《VISIT》「軍艦島コンシェルジュ」
今も生き続ける、“望郷”の遺跡

生活エリアを船から間近に見つめて
軍艦島と聞くと、どんなイメージを描くだろうか──日本の近代化を支えた炭鉱開発と、海に浮かぶ廃墟。そんな栄枯盛衰のコントラストが瞼をよぎる。1974年の閉山後に無人島となり人々の関心が薄れつつあったが、2015年に世界文化遺産に登録されると、灯りの消えた島が再びスポットライトに照らされる。さらに昨年は、軍艦島を舞台に据えたテレビドラマも放映され、小さな島の存在が大いに話題を呼んだ。
長崎のローカルトレジャーを巡る幕開けに、伝説の島の“今”を、この目で確かめたいという気持ちが湧き起こる。

ミュージアム内は、迫力の写真と映像に満ちて

クルーズ船「ジュピター」。全て予約制で、シートはスタンダード、プレミアム、スーパープレミアムの3種類
島に上陸する許可を得たクルーズ船は、5社のみ。そのなかから、乗船ターミナル付近で「軍艦島デジタルミュージアム」を運営する「軍艦島コンシェルジュ」をセレクト。まずは、島の歴史を仮想体験することに。軍艦島は、クルーズツアーに参加すれば必ず上陸できるとは限らない。天気がよくても、強風で波が高いと船をつけることができないため、実際に島に降りられるか否かは運次第。さらに、上陸できたとしても、建物の倒壊の危険が及ばない見学コースを巡ることしか許されない。制限をかけられると“知りたい、体験したい”という気持ちが高まるのは人の常だ。
そこで、「軍艦島デジタルミュージアム」内でVR体験を試みる。映像の一番の魅力は、立入禁止区域である、1916年築の日本最古の高層鉄筋コンクリートの住居棟にドローンが潜入していること。建物内を浮遊するように、リアルな映像が上下左右いずれの角度からも眺められるのだ。そんなバーチャル映像の精度とスピード感に、かつての暮らしの残像を重ね、いざ乗船ターミナルへと向かう。

船上からの距離でも内部の輪郭がはっきり確認できる

写真は第2見学スポットから撮影した煉瓦造りの“第3立坑巻座跡”
専用ターミナルから出航し、船で向かうこと約45分。島を周遊すると思っていた以上に小規模なことに加え、この狭小空間が世界一の人口密度を誇っていたことに驚きを覚える。取材日は天候に恵まれ、運良く上陸。炭坑エリアに設けた3箇所の見学広場を巡る。遠巻きに眺める生活エリアには、幹部職員が暮らした高台の住居棟や日本最古の鉄筋高層アパート30号棟、小・中学校が目視でき、屋上に設えられた滑り台や神社も、かろうじて姿をとどめていた。
復路の途中、ふと見上げると、崩壊した建物から木の枝が伸びていることに気づき、風化したモノクロームの世界に見つけた生命の断片に古の栄華が蘇る。無人島となった1974年から50余年を迎えた今、観光客が賑わう声に彩られることを、誰が想像したことだろう。そんなことを思いながら、航跡の向こうに輝く軍艦型のシルエットを見つめた。

無機質なコンクリートの塊の中に見つけた、命の宿る木の枝

白波の美しい航跡とともに、軍艦島の残像が今も思い出される
受付場所は「軍艦島デジタルミュージアム」にて
住所:長崎県長崎市松が枝町5-6
ツアー申し込みは「軍艦島コンシェルジュ」
電話:095-895-9300
公式サイトはこちら
《STAY》「ホテルインディゴ長崎グラバーストリート」
時を慈しむニュークラシックホテル

ステンドグラスがモダンな彩りを映す「レストラン カテドレクラ」
日本、中国、オランダの歴史が交差する背景から、長崎は“和華蘭(わからん)”文化の街と言われている。旅の拠点となるホテルにも異国情緒を求めたいと訪れたのは、2024年12月にオープンした「ホテルインディゴ長崎グラバーストリート」。IHGホテルズ&リゾーツが展開するブランドで、国内5軒目となる「ホテルインディゴ」には、土地の物語を秘めたデザインが、其処ここに表現されている。
その筆頭が、アーチ窓や白い鎧戸をまとった本館の赤煉瓦造りの建物といえる。前身は修道院などで使用された127年の歴史を誇る「マリア園」。歴史的な建物の美観を保ちながら、約3年もの年月をかけて内部を鉄筋などで補強し、ホテルへとコンバージョン。ロビーには長崎更紗のタイルをアシンメトリーに配し、ラウンジには浮世絵に描かれた長崎港をカーペットにデザイン。到着した瞬間から、歴史的な建物が放つ時空の迷宮へと誘われるようだ。

ホテルが立つのは、重要文化財の「旧グラバー邸」や国宝「大浦天主堂」といった文化財が連なる国選定重要伝統的建物群保護地区

本館と北館を結ぶ通路からは、港も垣間見える
デザインのインスピレーションソースは、 長崎貿易で栄えた“和華蘭”の要素を礎としている。
客室を見渡せば、五島列島の名産である椿のモチーフが家具のデザインにさりげなく取り入れられ、土地の風物詩ともいえる“尾曲がり猫”のシルエットが、バスルームやミニバーに隠されている。さらに、ベッドサイドのランプシェードは、日蘭貿易により日本で初めて長崎に伝わったとされる洋傘をモチーフとして取り入れるなど、微に入り細に入り、物語が展開されている。
街歩きで心に響いた片鱗を、ホテルの中で答え合わせをするように見つけていく、知的な遊び心に胸が高鳴る。

正面玄関の上部に座したミカエル像の背中を眺める、本館2階の部屋

洋傘を肩にかけるように、あえてシェードを斜めに設計
また、ホテル内にある「レストラン カテドレクラ」でいただくディナーも語りどころに満ちている。室内は、リブ・ヴォールト天井を施した高さ10mに及ぶ旧聖堂を、レストランへと改装。創業当時のデザインを模した幾何学的なステンドグラスが、幻想的な光のアートを描き出す朝食のひとときはもちろん、深遠な気配が漂うディナータイムも特別感に包まれる。
春先のディナーは、地産の鯛やタコをXO醬を加えた出汁とともにいただく袋包み「カルタファタ」や、地元のぶらぶら漬けとサワークリームを合わせたスモークサーモン、長崎牛の香草パン粉焼きなどがテーブルを飾る。

アーチ状の聖堂はレストランへと改装

長崎産の柑橘類であるユウコウをソースに用いたメイン料理
ディナーをいっそう美味しくいただくため、夕食前に訪れたのは、ホテルの裏手から急な坂道をしばらく登った鍋冠山公園の展望台だ。取材に訪れたのは早春のみぎり。夕刻ともなると足元には冷んやりとした気配が立ち込めていたが、金色の夕日が樹々や港町、海原にまで満遍なく注ぎ、生きとし生けるものを温かなピンク色に染めていた。
そろそろホテルに戻ろうとしたその時、一隻の船が港に入港するのが見えた。異国の船が立ち寄ったのか、日本の船が帰り着いたのかは窺い知れないが、流麗な曳航をただ見つめる、格別な豊かさを味わった。

鍋冠山公園の展望台から長崎港を見下ろして
住所:長崎県長崎市南山手町12-17
電話:095-895-9510
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《CAFE》「珈琲 冨士男」
純喫茶の実直な珈琲とサンドイッチ

昭和ノスタルジー漂うレトロな空間
本連載で、数々の喫茶空間を紹介してきたが、ここ「珈琲冨士男」も再び訪れたい場所として記憶に刻まれた。入り口に視線を送ると「ただいま美味しいコーヒーが入りました」という札が店先に下げられている。その言葉からマスターのさりげない矜持を受け止め、行列に並びながら、噂のたまごサンドと一杯の珈琲に思いを馳せる。
創業は1946年。オーナーの川村達正さんの父方の叔父が初代をつとめ、遠藤周作の『砂の城』にもその名が登場する名店である。高齢の叔父に代わり、川村さんが文豪をも魅了した珈琲店を受け継いだのは約20年前のこと。コーヒーのサードブームが到来し、シングルオリジンの豆を浅煎りで振る舞うカフェが増えるなか、「珈琲 冨士男」ではオリジナルのブレンドにこだわった。

店名の書体からも、洒落たセンスが漂う

カウンターの奥で指揮をとるマスターの川村さんを筆頭に、どのスタッフも手際よく、待ち時間さえも心地よいほど
豆は4種類のアラビカ種を基本に、隠し味程度にロブスター種をほんの少し加えたもの。各々の個性を限りなく引き出すため、それぞれに最適な焙煎を施した後に豆をブレンドする。つまり、非常に手間のかかるアフターミックス製法を用いているのだ。
こうして理想の焙煎に仕上がった豆を、川村さんは1杯ずつではなく、深みを増すために7杯だてでハンドドリップする。豆は、あえて少しだけ雑味を感じるように細かく挽き、ネルドリップに豆を入れ、お湯を当てて少々蒸らす。“少々”の蒸らし時間を尋ねると「豆の状態によりけり」とのこと。大切なのは時間を計ることではなく、目の前にある“豆の顔色”だという。たっぷりとドリップされた珈琲は、たくさん炊いたご飯のように、全体に柔らかな奥行きが感じられるようだ。癖がなく、ほどよい苦味でおかわりしたくなる風味だ。

珈琲は7杯だてにすることで、オリジナルの焙煎がいきてくる
珈琲とともに待ちかねていたサンドイッチは、たまごサンドとフルーツサンド。前者は、塩と胡椒だけで味付けしたフワトロのスクランブルを挟んだもの。後者は、季節によってフルーツが変動。秋から冬にかけてはイチジク、春が近づくとイチゴ、夏にはスイカも加わる。
何より驚いたのは、フルーツサンドのオーダー後に、カウンターから生クリームを撹拌する音が聞こえてきたことだ。行列ができる店舗でありながら作り置きに頼らず、朝のうちに純度の高い生クリームを7割程度に仕込んでおき、パンにのせる直前に仕上げることで、しっかりと固さが出てパンやフルーツと調和するとか。雄弁に蘊蓄を語らず、内に秘めた含蓄が立ち込める。そんな喫茶店であった。

絶妙な“ふわとろ”のスクランブルエッグ

写真はミックスサンド。見事にスライスされたキュウリがたっぷりと敷き詰められて
住所:長崎県長崎市鍛冶屋町2-12
電話:095-822-1625
公式サイトはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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