BY NANCY HASS, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きて数日後のことだった。ブルックリンのアパートにいたアーティストのロバート・ロンゴが子ども部屋に行くと、末息子のジョセフがモンテッソーリの積み木(教育者モンテッソーリが開発した教具)で作った高層ビルの前に立っていた。
ロンゴが見ていると、6歳のジョセフは、自分が集めていた8cmほどの鋳物の飛行機のひとつで、ビルを丹念に破壊し始めた。その飛行機の模型は、テロリストのモハメド・アタが乗っ取り、世界貿易センターの第一ビルに突っ込んだボーイング767-223ERとまさに同型だった。「ジョセフは、積み木でできたビルに飛行機をガンガンぶつけていた」と、現在65歳になるロンゴは当時を振り返る。「何度も何度もね。そのイメージが頭から離れなくて」
それから間もなく、ロンゴはこの記憶をもとにした立体作品に取りかかり、今もなお完成に向けて創作を続けている。彼が作ろうとしているのは、全長約48mのボーイング767-223ERの実物大レプリカだ。焼け焦げたような黒みをおびたエポキシ樹脂製のこの飛行機を、ロンゴはいつかドイツのハンブルクにあるダイヒトーアハレン美術館に展示したいと考えている。この美術館の中央スペースには機体がちょうど収まるし、アーチ型の窓からは黒焦げの片方の翼が突き出たように設置できる。観客たちには作品の周囲を歩いてもらい、ばらまいた灰に足跡が残るようにするつもりだ。
彼がどうしてもこの作品をハンブルクで展示したいのは、この街にモハメド・アタが住んでいたからだ。ちなみにテロが起きる数年前、ロンゴの友人はアタが運転するタクシーに乗ったことがある。友人は幼い娘に渡すはずだったプレゼントを後部座席に置き忘れてしまい、アタはそれを返すのに金を要求したという。

2001年9月11日の米同時多発テロのあとまもなく、ロバート・ロンゴが制作し始めた《The First Plane》の模型。旅客機の実物大となる作品はいまだ制作途中である
ROBERT LONGO, ‘‘MODEL OF FIRST PLANE INSTALLED IN THE DEICHTORHALLEN, HAMBURG,’’ 2016
しかしながら、ロンゴが《The First Plane(最初の飛行機)》と名づけ、17年ものあいだ労力を注いできたこの作品は、今も制作途中にある。その間、プロトタイプをいくつも作り、技術的な研究を重ね、数えきれないほどのファンドレイジングを行なってきた。じつはダイヒトーアハレン美術館で今年2月から展示する計画が持ち上がったのだが、期限を定めずに制作してきた彼には無理な話だった。さらにロンゴは、あの飛行機に乗っていた犠牲者の遺族に連絡して、作品の展示について承諾を得なければならないことにも気づいた。
確たる意志のないアーティストであれば、煩雑な問題のあれこれにやる気をくじかれたことだろう。しかしロンゴにとってこれらは「大したことではない」らしい。彼の脳裏には、あの日の息子の姿と最初に突っ込んだ飛行機のイメージが今もくっきりと焼きついている。プロジェクトの先行きは読めないが、ある意味では、この作品づくりが彼の気持ちを支えているのだ。1980年代にロンゴの名を世に知らしめた木炭画のシリーズ《Men in the Cities(町の男たち)》と同じように。「最終的に、完成までどのくらい時間がかかるかは私にもまったくわからない」と彼は言う。「でも続けていくしかないのさ。途中で投げ出すわけにはいかない」
精魂を込めずして、真の芸術は生まれない。大がかりな作品は何年もの時を要するものだ。しかしアーティストのなかには、己の制作に身を捧げ、骨の折れるプロジェクトに何十年も没頭する者もいる。いわゆる「憑りつかれた」状態になってしまうのだ。永遠に未完成のままの作品もあれば、完成とひきかえに何らかの犠牲を強いる作品もある。ネバダ砂漠に2キロ以上にもわたって広がる《City》を建造するアーティスト、マイケル・ハイザーは、その制作過程だけでなく自身の人生も、絶えまのない“紆余曲折”だという。傾斜面や一枚岩、溝などで構成されるミニマルなアートワークは、着手してから46年がたつが、完成はまだ遠い。
歴史を振り返ってみても、ひとつの作品に途方もない年月をかけたアーティストは何人もいる。彫刻家オーギュスト・ロダンは、1880年、パリの装飾美術館に委嘱されて、ダンテの『神曲』を着想源に《地獄の門》を制作し始めた。だが180を超える群像を刻んだこの門の制作は37年の歳月を費やしても結局完成せず、最終的に美術館の計画自体も頓挫してしまう。
また、フランスの芸術家マルセル・デュシャンは、晩年の約20年間、ニューヨークのグリニッチビレッジにあるアトリエで、ひそかに《遺作 1.落下する水、2.照明用ガス、 が与えられたとせよ》(1966年)という名のインスタレーションを制作しつづけた。世間では、彼が芸術活動から退いてチェスの試合に夢中になっていると思われていたが、それは誤解にすぎなかった。デュシャンは、木の棒やアルミニウム、羊皮紙、プラスチックの洗濯バサミなどを用いて、部屋の大きさほどもあるインスタレーションを創り上げていたのだ。
中央に両脚を広げた裸婦像を置いたこの作品は、観る者を夢幻の世界へ誘い込む。デュシャンにとっては完成作であったが、展示されたのは1968年に彼が亡くなってから1年後のことだった。以来、フィラデルフィア美術館に常設されているこの作品は、分厚い木の扉にあいた小さな穴を覗き込まなければ見えない仕組みになっている。まるでデュシャンが、この作品を永遠に秘密のままにしておきたかったかのように。

マルセル・デュシャンが20年間ひそかに手がけていた《遺作 1.落下する水、 2.照明用ガス、が与えられたとせよ》の中の女性像
MARCEL DUCHAMP, ‘‘ÉTANTS DONNÉS,’’ 1946-66, MIXED-MEDIA ASSEMBLAGE, PHILADELPHIA MUSEUM OF ART, GIFT OF THE CASSANDRA FOUNDATION, 1969/BRIDGEMAN IMAGES.
©ASSOCIATION MARCEL DUCHAMP/ADAGP, PARIS/ARTISTS RIGHTS SOCIETY(ARS), NEW YORK 2018