BY NANCY HASS, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
従来、こうしたアーティストたちの努力は、彼らに求められる並みはずれた忍耐心や創造的才能と並んで、芸術の価値のひとつとして評価されてきた。だがすべてがデジタルによって超光速で進む時代になり、かつて芸術に不可欠だった、ひたすら長く緻密で単調な作業の大半は、キーボードをポンとたたくだけの動作にとって代わられた。もはや創作に没頭する時間などほとんどない。そんな時代だからこそ、ひとつの作品に何十年も身を捧げる現代アーティストたちは、英雄のようにひときわ輝いて見えるのだろう。
「完成の喜びを先延ばしにする――それも通常ありえないくらい先送りにするというのは、かなり特殊なパーソナリティの持ち主ですね」と語るのは、ホルト=スミッソン財団のエグゼクティブ・ディレクター、リサ・ル・フーブルだ。この財団は、自然のなかに広大なインスタレーションを構築するランド・アーティスト、ロバート・スミッソンとナンシー・ホルト夫妻の創作活動を援助している。
夫妻の作品は、計画はもとより制作に膨大な時間を要するものだ。1970年、スミッソンはユタ州のグレートソルトレイクの湖底に、土と玄武岩を用いて全長約460mの渦巻き状の堤防《Spiral Jetty》を創った。この作品で彼は、創作に精魂を傾けるアーティストたちを象徴する存在となったが、その壮大すぎる野心ゆえにこの世を去った。1973年、次の大型プロジェクトの予定地を探すために乗っていた小型飛行機が、テキサス州アマリロの卓状台地に墜落したのである。「彼のようなアーティストは、科学の研究者のようなものです」とル・フーブルは話す。「彼らはたび重なる失敗にもまったくへこたれず、何度でも起き上がっては一からやり直すのですから」
制作に何十年も要するビジュアルアーティストは、氷河のようにこつこつと長い時間をかけて執筆することで知られる作家たちと比較されることも多い。エズラ・パウンドは長編詩『キャントーズ』の執筆に47年を費やし、米小説家ウィリアム・H・ギャスは1969年に『The Tunnel』を起筆し、1995年にようやく完成させた。ラルフ・エリソンが1952年に発表した『見えない人間(原題:Invisible Man)』のあとに取りかかった『Juneteenth』は、2000枚もの原稿や覚え書きをまとめた長編小説だったが、1994年に彼が逝去したのちに未完のまま出版された。タイトルは本人の案ではなく、編纂の際につけられたものだ。
アート作品とは違って、本の進捗状況は書き進んだページ数を見ればわかる。だが、作家といえば、“たった一行の文章が浮かばず、壁に頭をぶつける”といったイメージがつきものだし、ライターズ・ブロック(作家の壁、筆が進まず行き詰まること)という言い回しもある。この言葉からも、なぜ一冊の本を完成するのに恐ろしく長い時間がかかるかわかるだろう。
ビジュアルアートについてこの種の表現はないが、書物に比べるとアート作品は実体がつかみにくく、ストーリーも曖昧で、完成品かどうかさえ判断に迷う。それは観客にとっても、アーティスト本人にとっても同様である。作品の制作スピードが非常に速かったパブロ・ピカソは、あるときこう語っている。「作品を完成させる? 絵画を描き終える? そんなことはナンセンスだ」

モスクワ現代美術館「ガレージ」にある、タリン・サイモンの《Black Square XVII》。この作品が完成するのは3015年だ
TARYN SIMON, ‘‘BLACK SQUARE,’’ 2006–, VOID FOR ARTWORK, PERMANENT INSTALLATION AT GARAGE MUSEUM OF CONTEMPORARY ART, MOSCOW
©TARYN SIMON. COURTESY OF THE ARTIST AND GARAGE MUSEUM OF CONTEMPORARY ART, MOSCOW
つまり、アート作品とは完成しえないものであり、成長しつづける子どものように終着点がないものなのだ。子どもとは違って意思の疎通はできないが、子どもに対するのと同じように、作品にも配慮や気遣い、敬意や愛が必要だ。アーティストのなかには、作品に長い“懐胎期間”を設ける者もいる。
ドキュメンタリー映像を手がけるアーティストのタリン・サイモンが、モスクワ現代美術館「ガレージ」で展示したインスタレーション《Black Square(黒い正方形)XVII》は、空っぽの陳列棚だ。ここは将来、ガラス固化体(高レベルの放射性廃棄物をガラス原料と混ぜて熱し、固めたもの)を飾る場所なのである。人体に暴露しても安全な状態になったとき――つまり今からおよそ1,000年後の3015年に、ようやくそれが陳列される予定だ。
妥当、あるいはまっとうと思われる以上の時間をかけて試行錯誤を重ねるのが、アーティストというものなのだろうか。現在はランド・アーティストとして知られる前述のホルト=スミッソン夫妻は、もともとはニューヨークで活躍するミニマルアートの彫刻家だった。彼らは1960年代、壮大な作品の構築が可能な、どこまでも大地が広がるアメリカ西部へと移住。執念に似た思い入れと粘り強さで作品づくりに取り組み、ランド・アートの第一人者となった。成層圏からも見え、恒久的に残るランド・アートを創り出すには、岩を壊し、何トンもの土を運ばなければならない。
また、アメリカの彫刻家、ウォルター・デ・マリアは1977年、ニューメキシコ州の平原に《The Lightning Field(稲妻の平原)》を創った。約1.6km×1kmのスペースに、先のとがったスチール製のポールを400本も並べたデ・マリアは、かつて「キャタピラーが僕の絵筆さ」と冗談をとばしていた。

マイケル・ハイザーが1970年から制作を続ける《City》
MICHAEL HEIZER, ‘‘COMPLEX TWO, CITY,’’ 1970-PRESENT
©MICHAEL HEIZER/TRIPLE AUGHT FOUNDATION 2018. COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN GALLERY. PHOTOGRAPH: ERIC PIASECKI
創作に心血を注ぐアイコン的なアーティストで、現在も活躍中の人物といえば、前述のマイケル・ハイザー、チャールズ・ロス、そしてジェームズ・タレルの3人だろう。彼らはそれぞれ代表作の制作に少なくとも40年以上をかけており、その献身的な取り組み自体がパフォーマンス・アートのようにも見える。ハイザーが手がける《City》の制作費用は約27億円にものぼるらしい。といっても本人が負担しているわけではなく、3M社の相続人で芸術家のパトロンである86歳のヴァージニア・ドワンや、ディア芸術財団が資金提供を行なっている(ハイザーは現在、この作品を2020年までに完成すると言っている)。
一方のタレルは、1977年からアリゾナ州北部の砂漠にある、40万年前にできた休火山の噴火口に《Roden Crater》を長いこと制作しつづけている。この地を「すべてが整った環境で光の現象を経験し、観察できる場所」に少しずつ変えようとしているのだ。タレルは建設の第一段階だけで、約100万立方メートルもの土を運んだという。