60年にわたり日本の写真界のトップを走り続けた写真家、立木義浩。このほど開催される個展「時代 − 立木義浩 写真展 1959‐2019 −」では、時代を彩った数々の著名人ポートレートのほか、独自に撮り続けるスナップ写真も並ぶ。単独インタビューで、そのドラマチックな足跡を聞いた

BY JUNKO ASAKA

 フォトグラファーとしての活動を始めて60年。なぜこのタイミングで個展を? と尋ねると、立木義浩はよく通る明朗な声で答えた。「話はずいぶん前からあったんです。でも関係者で集まって話し合ってると一杯飲んでが二杯になって、じゃあまた次にしようか…ってね(笑)。まあ、ちょうど機が熟したってことかな」

 立木義浩。日本における著名フォトグラファーのはしりであり、60年代以降、鮮やかに、そして急速に花開いた雑誌や広告などのメディアをにぎわせた時代の寵児である。その彼のキャリアを総覧する個展が5月23日から開催される。展示内容は、過去に撮影した数千にものぼる人物写真から抜粋したおよそ130人ほどの著名人ポートレートと、独自に撮影してきた「スナップ」。あわせて700点もの写真作品が一堂に会する。その中には、28歳のときに写真雑誌『カメラ毎日』に掲載された出世作「舌出し天使」も含まれている。

画像: 1965年、当時若手クリエイターの熱い支持を得ていた雑誌『カメラ毎日』の巻頭を大々的に飾った「舌出し天使」。このシリーズは昨年、数十年ぶりに東京・神宮前の「BOOKMARC」で展示されて評判を呼んだ © TATSUKI YOSHIHIRO

1965年、当時若手クリエイターの熱い支持を得ていた雑誌『カメラ毎日』の巻頭を大々的に飾った「舌出し天使」。このシリーズは昨年、数十年ぶりに東京・神宮前の「BOOKMARC」で展示されて評判を呼んだ
© TATSUKI YOSHIHIRO

「いきなり巻頭56ページでさ、後ろを見たら当時尊敬していたカメラマンの作品がいっぱい載っている。ガキがとんでもないことしてしまった! と思ったけど、勢いでそうなっちゃったんだね」と笑いながら振り返る。その鮮烈なデビュー以降、立木の撮る写真は日本のあらゆる媒体を席巻していくことになった。中でも立木の代名詞ともいうべきは数々の著名人ポートレートだ。

「当時は、作家性をもってやってるカメラマンなんて一人もいない時代。自分が何を撮りたいかじゃなく、みんなどこか会社に所属して、オファーに沿って撮るんです。だからファッションから旅から料理まで、オールマイティになんでも撮ってましたよ。でも、そこで人より“左足を一歩前に出して”いたら、また次の仕事が来るんだ」。そうしてオファーが重なっていくうちに自然と、人物写真を撮るフォトグラファーとしてのレールが敷かれていったと語る。

画像: ファッション、ポートレートからスナップまで、展示される作品はおよそ700点。「“過剰なふんだんさ”でもって、来た人を疲れさせようと思ってさ(笑)」 © TATSUKI YOSHIHIRO

ファッション、ポートレートからスナップまで、展示される作品はおよそ700点。「“過剰なふんだんさ”でもって、来た人を疲れさせようと思ってさ(笑)」
© TATSUKI YOSHIHIRO

 しかしそれ以前から、立木の歩んだ時代の道のりは今からは想像もできないほど起伏に富み、刺激に満ちたものだった。「工芸大学を出て僕が勤めたアドセンターというデザイン会社には、伊勢丹宣伝部の出身でマガジン・ハウスの『an・an』のアート・ディレクターを務めた堀内誠一さんがいてね。堀内さんという天才が面白い!と思ったことはなんでもやっちゃう。だからみんなが堀内さんと仕事をしたがって集まってきた」

 ファッションデザイナーの長沢節さんを中心にAFG(アドセンター・ファッション・グループ)を組んで、パリのオートクチュールが発表していたような“ライン“を日本で提案したり、ちょうど創刊した『週刊平凡』でファッション連載を仕掛けたり。「ファッション・ウィークリー」というその連載企画で、単にモデルに服を着せて撮るだけではない、ユニークでアート性の高い写真を手がけたのが、当時23歳の立木だった。その後も、雑誌「マンハント」で和田 誠、寺山修司らと連載企画をもったりと、フォトグラファー立木義浩はジャンルを超えた活動を次々と展開していった。

 

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