フランク・ステラのミニマリズム抽象芸術作品は、彼がまだ駆け出しだった頃、目指すべき絵画の方向性を見直す指標となった。今、キャリアの終盤にあたり、83歳のアーティストが自身の若かりし頃を振り返る

BY MEGAN O’GRADY, PHOTOGRAPHS BY DOUG DUBOIS, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 実は、彼にはふたつの悪癖がある。葉巻とスポーツカーだ。どちらも彼の作品にさまざまな形で顕(あらわ)れている。自分が吐き出した葉巻の煙の形を立体的な彫刻で表現したり、スチールやアルミニウムのフレームをカーボンファイバーで覆うなど、自動車業界で開発された最新技術を作品に使ったり、という具合だ。1982年には、彼の銀色のフェラーリで、タコニック・ステートパークウェイの制限時速55マイル(約88km)の道路を、105マイル(約169km)のスピードで走って警察に捕まった。刑務所で服役するかわりに、彼は自分の絵画について一般向けに講演をした。スピード狂時代ははるか昔のこととなり、作品を作る肉体作業も、近頃はもうあまりできなくなった。ぐるっと一周回って原点に戻るかのように、彼は60年前に作っていたような、一見単純に見える図形に回帰した。昔と唯一違うのは、作品を二次元から三次元へと広げたことだ。

画像: 《Firuzabad》(1970年) FRANK STELLA, “FIRUZABAD,” 1970, SYNTHETIC POLYMER PAINT ON CANVAS, DIGITAL IMAGE © THE MUSEUM OF MODERN ART/LICENSED BY SCALA/ART RESOURCE, N.Y. © 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK

《Firuzabad》(1970年)
FRANK STELLA, “FIRUZABAD,” 1970, SYNTHETIC POLYMER PAINT ON CANVAS, DIGITAL IMAGE © THE MUSEUM OF MODERN ART/LICENSED BY SCALA/ART RESOURCE, N.Y. © 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK

 今年の秋、コネチカット州リッジフィールドにあるアルドリッチ現代美術館で『FRANK STELLA’S STAR, A SURVEY(フランク・ステラの星、測量のかたち)』という新しい展覧会が開催予定だ。星という形を、彼がキャリアの始まりと終わりでどう扱ってきたかに焦点をあてた展示内容だ。多くのアーティストたちが、生涯あるひとつの形やモチーフによる創造にこだわってきた。たとえばジャスパー・ジョーンズと旗、パブロ・ピカソとギター、そしてルイーズ・ブルジョワと蜘蛛、というように。ひとつの形をたゆまず探究することで、アーティストの美意識が磨かれる。ステラもそんな伝統を継ぐひとりだ。ステラという言葉はイタリア語で「星」を意味するが、彼の星形への興味はあくまで空間的なものであり、自己陶酔的なものではない。幾何学的にいえば、星という多角形は、さまざまな数の角をもち、二次元と三次元の両方で存在する概念なのだ。彼が最初に星の絵を描いたのは1960年代だ(1967年に《ペルシャの星I、そしてII》と題した2枚のリトグラフを発表し、1969年にアルドリッチ現代美術館で初めて展示された。この作品も今回の展覧会で披露される)。しかし、今度の彼の展示作品の大部分は、私が彼のスタジオで見たような比較的最近の彫刻作品だ。さまざまな素材や大きさや形状を通し、星の可能性を追求する研究の中には、ひとつとして同じ作品はない。「すでにある程度知りつくされたかに思える“星”のようなモチーフにおいても、ステラは毎回新しい表現手法を生み出し、違う視点から見せてくれる」と展覧会のディレクター、リチャード・クレインは言う。

画像: ステラのスタジオ内にあった最近の作品、《Nessus and Dejanira (ネッソスとデーイアネイラ)》 (2017年、左)と《Four Piece Table Sculpture》(2019年、中央)など。今回の展覧会は彼が長年探究してきた星形の作品に特化したものだ LEFT: FRANK STELLA, “NESSUS AND DEJANIRA,” 2017, ALUMINUM AND FIBERGLASS © 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK. CENTER: FRANK STELLA, “FOUR PIECE TABLE SCULPTURE,” 2019, RPT AND STEEL© 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK.

ステラのスタジオ内にあった最近の作品、《Nessus and Dejanira (ネッソスとデーイアネイラ)》 (2017年、左)と《Four Piece Table Sculpture》(2019年、中央)など。今回の展覧会は彼が長年探究してきた星形の作品に特化したものだ
LEFT: FRANK STELLA, “NESSUS AND DEJANIRA,” 2017, ALUMINUM AND FIBERGLASS © 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK. CENTER: FRANK STELLA, “FOUR PIECE TABLE SCULPTURE,” 2019, RPT AND STEEL© 2020 FRANK STELLA/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK.

 星という多角形は、太古の昔から、人類のあらゆる形而上学的な試みと密接につながっており、宗教的なシンボルや階級を表す印として使われてきた。名誉や栄光や業績を讃えるモチーフとして、国旗や保安官のバッジや幼児のトイレトレーニングのチャートにも星が飾られてきた。だが何よりも、星の形は、重力によって引き寄せられた気体が光り輝く球体を形成する、天体としての実存に深く結びついている図形であり、人間の理解の限界を象徴するものだ。情緒的な側面は脇に置いておくとして、星は人類にとって最も古いナビゲーションの道具であり、宇宙の成り立ちを理解する最善の手段だ。光の速さには限界があるため、星の煌めきはその星が消滅したあと、長い時間がたってから初めて地球上の私たちの目に届く。それと同じように、人間の理解力にも限界がある。美術史において、私たちは、現在との相対的な関係性によって、過去を常に書き換えてきた。アーティスト個人の重要性やムーブメントの全体像というのは、回顧して初めて見えてくるものなのかもしれない。そうだとすると、1950年代からすでに有名だったこの男について、まだ語られていないことなど今さら何か残っているのだろうか? 特に、形状表現とグラフィック描写がともに見直される現代だからこそ、そして未知の新しい時代において、誰もがアートの必然性を問い直しているときだからこそ、より一層、そう思えてくる。

 ステラは美術学校で学んだ経験はないが、幼い頃から“絵筆”とは真剣につき合ってきた。彼の父親は婦人科の医師で、メディカルスクールの学費を住宅のペンキ塗りの仕事をして稼いだ。幼いステラは助手として父を手伝った。「床にやすりをかける仕事をさせられたよ。筆を手にとって壁にペンキを塗る前に、やすりをかけて削り取らなければならなかったんだ。ある意味、職人修業のようなもので、ブラシで塗ることには慣れていたよ」と彼は言う。ニューハンプシャーにある魚釣り用の別荘のポーチを塗り直しながら、ステラはボストン郊外のマルデンで育った。彼の母親はファッション・イラストレーター兼主婦で、ジャクソン・ポロック風の作品を床に描こうとして、渦巻き状に塗料を垂らした。「そこで父は、芸術作品を作るにはいい手法かもしれないが、うちにはベースコート材がないから、床に絵を描くのは得策ではないと、母に説明しなければならなかったんだ」

 彼の母が持っていた『ヴォーグ』誌のある記事に、フランツ・クライン風の抽象表現主義的な背景画の前でモデルたちがポーズをとっている写真が掲載されていた。それを見た彼は、アートとは、形を表現するためだけのものではないことを、幼いうちから学んでいた。1950年代初頭、ヨーロッパの抽象主義がスタジオ・アートの主流だった頃、ステラはマサチューセッツ州アンドーヴァーにあるフィリップス・アカデミーで学んでいた。そして40年代の前抽象表現主義の画家だったハンス・ホフマンと、バウハウス出身で色彩理論家のジョセフ・アルバースの作品から特に影響を受けた。「私には彼らを模倣する能力がまるでなかった」とステラは言う。「しかし模倣できる力を見いだしたり、習得したりすることにはまったく興味がなかった。だから、素材を使って実際に作品を作ることに取り組んだ。戦後のアメリカの絵画では“素材感”が重視されていたから、私にとっては天国みたいな環境だったよ」

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