日本で最も来館者数の多い美術館である金沢21世紀美術館の館長に女性として初めて就任した長谷川祐子。アグレッシブなキュレーターとして世界的にも高い評価を得る彼女が目指す、これからの美術館像とは?

BY JUN ISHIDA, PHOTOGRAPHS BY MIE MORIMOTO

 世界のアート界で最も知られている日本のキュレーターといえば、長谷川祐子ではないだろうか。イスタンブール、上海、ベネチア、サンパウロ、モスクワ等々の都市で開催された国際美術展のコミッショナーやキュレーターを務め、日本の若い才能を積極的に紹介してきた。また国内に向けても、クリスチャン・ボルタンスキーやマシュー・バーニーをいち早く紹介し、近年では東京都現代美術館でオラファー・エリアソンとともに気候変動に真正面から向き合った実験的な展覧会も企画した。

このアート界のパワーウーマンが、今年4 月、金沢21世紀美術館の館長に就任した。実は、長谷川は2004年に開館したこの美術館の立ち上げメンバーでもある。準備段階から携わり、SANAAが手がけ話題を集めた建物の設計においても大きな役割を果たした。今回の館長就任は、長谷川にとっていわば自分のホームへの帰還でもある。今や、日本で最も多くの来館者数を誇る美術館にまで成長した金沢21世紀美術館で、彼女は何を試みるのか? 金沢に長谷川を訪ねた。

画像: 長谷川祐子(YUKO HASEGAWA) 水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館客員キュレーター、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長及び芸術監督、東京都現代美術館学芸課長及び参事を経て、2021年4月金沢21世紀美術館館長に就任 開館時からの恒久展示作品であるパトリック・ブランの《緑の橋》の前に佇む長谷川祐子

長谷川祐子(YUKO HASEGAWA)
水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館客員キュレーター、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長及び芸術監督、東京都現代美術館学芸課長及び参事を経て、2021年4月金沢21世紀美術館館長に就任

開館時からの恒久展示作品であるパトリック・ブランの《緑の橋》の前に佇む長谷川祐子

サスティナビリティを考えた美術館

 長谷川が金沢に戻り、まず最初にスタッフに話したことは、2024年に開館20周年を迎える美術館としての心構えだという。「開館当時とは、社会的な状況が大きく変わりました。この館が20歳を迎えるにあたって、どういう支度・心構えをすべきなのか。当初掲げていた意志を受け継ぎながら今の状況にどのように対応するか、ということを皆さんにお話ししました。それが館長として最初に行なったことです」

 金沢21世紀美術館が当初掲げた意志とは何か? 美術館のホームページには長谷川の館長ステイトメントが掲載されているが、そこでは「開かれた美術館」であることと「サスティナビリティ」が、開館時からの美術館のミッションであったと記されている。「金沢の準備室に入る前に、私は世田谷美術館に勤めていたのですけれど、ちょうどバブルが弾けたあとで、現代アートは冬の時代でした。現代アートをテーマにした展示だとなかなか人が入らず、企画を通すのも大変な状況で。ならば現代アートを掲げる金沢は、美術館としてどうやって生き延びればよいのかと考え、サスティナビリティの発想が生まれたのです」

画像: 円形が特徴的な金沢21世紀美術館。館内には形状、高さ、大きさの異なる14の展示室が配置されている。無料のパブリックプログラムを提供する交流ゾーンを併設した建物は地域の人々にも活用され、取材時は地元の中学生が写生の授業で訪れていた

円形が特徴的な金沢21世紀美術館。館内には形状、高さ、大きさの異なる14の展示室が配置されている。無料のパブリックプログラムを提供する交流ゾーンを併設した建物は地域の人々にも活用され、取材時は地元の中学生が写生の授業で訪れていた

 美術館のサスティナビリティを実現するために実践したことは、展示施工にコストがかからない設計と恒久展示作品の充実だ。独立した大小の展示室を作ることにより、展覧会のたびに壁を作ったり防音調整をしたりする必要がなくなり、経費の削減を実現した。また自然光を精緻な調光装置で取り入れ、空調も必要な部分にだけ空気が回るようコントロールするなど、環境への配慮も行なった。

「試練があればこそ、アイデアが生まれます。私は現代アートというのは貧乏と道連れだと思っていたので(笑)、そこから美術館として運営していけるサスティナビリティと環境に対してやさしいあり方というのを考えました」

 金沢21世紀美術館の目玉のひとつであるコレクション作品の充実も、サスティナビリティの考えに基づいたものだ。レアンドロ・エルリッヒ、オラファー・エリアソン、ジェームズ・タレル……、ここでは世界のトップアーティストの作品が美術館と一体となる形で恒久展示されている。多額の費用がかかるブロックバスター展を行わなくても、これらの作品目あてに美術館には日々多くの人が訪れている。

画像: 光庭に設置されたレアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》(2004年)。観覧希望者多数のため、地下部への入場には事前予約もしくは当日順番待ち受付システムへの登録が必要となっている。詳細は美術館公式サイトを参照 LEANDRO ERLICH《THE SWIMMING POOL》2004

光庭に設置されたレアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》(2004年)。観覧希望者多数のため、地下部への入場には事前予約もしくは当日順番待ち受付システムへの登録が必要となっている。詳細は美術館公式サイトを参照
LEANDRO ERLICH《THE SWIMMING POOL》2004

「恒久展示作品は見るたびに異なる体験が得られる、“体験型”の作品です。それもシンプルなインタラクションではなく、“所与の条件”とともに創り出すいわば共同制作のようなもの。誰と一緒に来たか、どういう天気だったかによって、体験は異なりますよね。自分自身がここにあることによって、初めて作品が成立して目の前に現れてくる、ということがとても大切なんです」

美術館として始める未来支度

 館長に就任し、長谷川が始めたことがある。それは、さまざまな分野で先端を走る人物と対談し、ともに今を捉え、未来への指針や希望をひもといてゆく「未来支度の部屋」と題したトークシリーズだ。

「何もしなくても未来は来ると思っていたのですが、この10年ほどで環境問題も含め、非常にシリアスな問題が次々と浮かび上がりました。今や、人類そのものが終わってしまうかもしれない状況にあります。私たちは何とかなるだろうという意識の安全ゾーンの中で自分のバランスをとっているわけですが、それでもやってくる危機に対して支度をしなければなりません。私は『支度をする』ということは『起こっている出来事に耳をすませ、できるだけそれらに対応しつつ、身を清めて待つ』ことだと思うのです。そうすることで、未来を無事に迎えられるのではないかと」

 環境問題、そして経済格差やリテラシー格差、デジタル格差がもたらしたさまざまな分断。そうした現代社会を取り巻くあらゆる問題に対して、アートは何ができるのか? それを考えることもまた、美術館の新たなミッションだと長谷川は語る。

「これまでの人間中心主義に対して、“脱人間中心主義”とはどういうことなのかを考えなければなりません。アートというのは真・善・美、そしてヒューマニティから成るものなので、新しい複数のヒューマニティをテーマにした作品を収集していくことも方針のひとつとしています」

画像: 金沢21世紀美術館ではフェミニズムをテーマにした二つの展覧会、『フェミニズムズ / FEMINISMS』展と『ぎこちない会話への対応策─第三波フェミニズムの視点で』が開催中。 『フェミニズムズ』より 木村了子《Beauty of My Dish - 人魚達の宴図》2005 個人蔵

金沢21世紀美術館ではフェミニズムをテーマにした二つの展覧会、『フェミニズムズ / FEMINISMS』展と『ぎこちない会話への対応策─第三波フェミニズムの視点で』が開催中。
『フェミニズムズ』より
木村了子《Beauty of My Dish - 人魚達の宴図》2005 個人蔵

画像: 『フェミニズムズ』より 遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020

『フェミニズムズ』より
遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》2020

 2022年は「Trans-historical(歴史横断的)」をテーマに、金沢の他の施設とも協力しながら、「過去から学び、現実を見て未来へつなげる」展覧会を打ち出していくという。

「開館時は、この美術館そのものがどうやって生きていけるかというところでサスティナビリティを考えましたが、今はこの地域に関わるすべてがどうやって一緒にサスティナブルに生きてゆくかを考えています。来年は、国立工芸館や石川県立歴史博物館ともコラボレーションしますが、広報協力とか、一緒にやりましょうというだけではなく、そのことにより新しい何かが生まれることを目指したいと思っています。そして開館20周年となる2024年は、新しいエコロジーとアートをテーマにした展覧会を創りたい。その準備として2023年はテクノロジーの可能性を探ります。スタートアップ企業が開発した素材を使ってアーティストがインスタレーションを創るとか……。アーティストが一般に普及する前の新しいテクノロジーを使って、それをオルタナティブなやり方で見せるってすごく面白くないですか?」と、長谷川は目を輝かせる。

「私は自分が面白いと思うことをやります。ほかの方がすでにやっていることは、もうあるので大丈夫。私が面白いと思うこと、それをきっとみんなも面白がってくれるのでは?と思っているだけなのです」

画像: 『ぎこちない会話への対応策』より 長島有里枝《SELF-PORTRAIT (BROTHER #32A) FROM THE SERIES SELF-PORTRAIT》1993 作家蔵 ©YURIE NAGASHIMA

『ぎこちない会話への対応策』より
長島有里枝《SELF-PORTRAIT (BROTHER #32A) FROM THE SERIES SELF-PORTRAIT》1993 作家蔵
©YURIE NAGASHIMA

画像: 『ぎこちない会話への対応策』より 潘逸舟《無題》2006 作家蔵 © ISHU HAN, COURTESY OF ANOMALY

『ぎこちない会話への対応策』より
潘逸舟《無題》2006 作家蔵
© ISHU HAN, COURTESY OF ANOMALY

 現代美術館とは「実験室」であり、「記憶の貯蔵庫」であるという長谷川。「私たちは企画展で新しい価値や見方を紹介し、鑑賞者からのフィードバックを受け、いろいろな化学反応を見ながら新たな作品を収集してゆきます。そして収集することにより、美術館の歴史ができてゆく。それはつまり現代美術史が作られてゆく過程でもあるのです。こうした循環が健康に機能していること、来館された皆さんの中に、作品に触れることによって、新しい知や感性が生み出されてゆくこと。それが非常に重要なのです」

 21世紀を見据えて作られた美術館は、新たな舵取りを得て、さらにその先を目指して進み始めた。

『フェミニズムズ / FEMINISMS』
『ぎこちない会話への対応策 ─ 第三波フェミニズムの視点で』
会期: 〜2022年3月13日(日)
会場:金沢21世紀美術館
住所:石川県金沢市広坂1-2-1
開館時間:10:00~18:00(金・土曜日は20:00まで)
休館日:月曜(ただし2022年1月3日、1月10日は開場)、 11月24日(水)、12月29日(水)〜2022年1月1日(土・祝)、1月4日(火)、1月11日(火)
料金:一般 ¥1,200、大学生 ¥800、高校・中・小学生 ¥400、65歳以上 ¥1,000
※『フェミニズムズ 』展、『ぎこちない会話への対応策』展の共通券。両展を鑑賞可
電話:076-220-2800
公式サイト

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