BY FUMIKO YAMAKI
福島県いわき市、四倉海岸。2011年に大地震と津波が容赦なく襲ったこの海岸線に、去る6月26日正午、轟音とともに紅色やピンクの濃淡に染められた煙がもくもくと立ち上がり、その様はまるで巨大な桜の森が大空に向けて満開の花を咲かせたようだった
現代アーティスト蔡國強による白天花火《満天の桜が咲く日》は、蔡のアートとその先進的なビジョンにインスパイアされたアンソニー・ヴァカレロ率いるサンローランのコミッションワークとして実現。気持ちよく晴れた海岸には地元のお年寄りから小学生までが詰めかけ、海と空のあわいに40000発の昼花火が打ち上がる壮大なショーに歓声を上げた。
スピーカーを通して聞こえてくるのは、蔡本人の少したどたどしい日本語のアナウンス。作品のコンセプトを語りつつ、「わーお、満開ですね!」「子どもたちが喜んでいますね!」と嬉しそうだ。その声の中には、自身といわきの人々との30数年間に及ぶ心の交流が、また一つ美しい形で実を結んだことへの喜びと、安堵の気持ちがあったのではないだろうか。
まだ世界的名声を得る前の若き蔡は、故郷の中国を出て来日し、9年間を日本で過ごした。福島県いわき市にやってきたのは1988年。ここで蔡は、生涯の友となる一人の男性と出会う。それが、今回の白天花火イベントの実行委員長を務めた志賀忠重だ。
出会った頃の蔡を「若くて、面白くて、弟ができたような気持ちになった」と語る志賀は、それまでアートとは無縁の人生を送っていたが、無名の蔡の作品を気に入って購入し、親友となり、さらには“いわきチーム”と呼ばれる仲間を率いて蔡の創作活動にも深くかかわるようになる。いわきの海岸に打ち捨てられた廃船を蔡とともに掘り出し、アート作品として完成させ、世界中の美術館で展示されるたびに、いわきチームが同行して設営を手伝った。そのいわきが東日本大震災と原発事故に見舞われたときは、蔡は自らの作品を売って支援を申し出た。そんな苦難の中、志賀が起こした行動には、蔡も驚いた。いわきの山に、桜の木を植え始めたのだ。
9万9,000本の桜の植樹を目標にした“いわき万本桜プロジェクト”。完成までは実に250年から300年かかるという壮大な計画だ。2019年、T JAPANは志賀に取材し、プロジェクトにかける思いを記事にしていた。原発事故の後、物資がなかなか届かず、トラックのドライバーが福島に来たがらないからだと聞いた志賀。故郷いわきが誰も来たがらないような土地になってしまったことに、「腹たったよねえ。悔しかったよねえ。だから桜を植えようと思ったんだ。日本一の桜の名所をつくって、誰でも来たくなる場所をつくろうって」。飛行機からでも見えるような桜満開の山をつくるのだと、当時の取材で志賀は語った。
今回の白天花火《満天の桜が咲く日》は言うまでもなく、蔡から志賀へ、第二の故郷であるいわきの地へ、30年越しの友情への感謝を込めた、それは美しく希望に満ちた贈り物だ。空に咲いた桜と、山で育ちつつある桜の若木が、この日多くの人々をいわきへと誘った。「30年の間に、自分も仲間たちも髪に白髪が混じり、動きもやや軽快ではなくなってきた」と蔡は笑うが、300年後、その子孫たちが飛行機どころか、宇宙から桜満開のいわきの山を眺める日まで、その絆は続いていくだろう。
※日本で8年ぶりとなる蔡の大規模個展「蔡國強 宇宙遊 – <原初 火球>から始まる」が、現在、東京の国立新美術館で開催中(8月21日まで)。
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