作家のイアン・マキューアンとアナレーナ・マカフィー夫妻がイングランド中央部の丘陵地帯につくりあげた庭園は、自然の喜びに満ちあふれている

BY MARY KAYE SCHILLING, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 2年半がたった頃、新たな展開があった。スチュアート・パンティングというフルタイムの庭師を雇ったことだ。マカフィーによれば、元グラフィックデザイナーのパンティングには、知識や技術に裏づけられた色彩や形状に対するアーティストの視点と、昔気質の植木職人の根気強さがあるという。マキューアンの要望のひとつは「土がむき出しの花壇は絶対に見たくない」だった。そこで、パンティングは植栽を増やしたり、開花期の長い植物を植えたりして、一年を通じて多種多様な花を楽しめるようにした。さらに、マカフィーの好みに合わせてポピー、ルピナス、ギンセンソウ、クルマバソウなどを無造作に植え込んだコテージガーデンをつくった。「まるでアマドコロの緑のアーチの下に、白い霞がかかっているようだ」とマカフィーはパンティングの仕事を絶賛する。

画像: マキューアンの書斎の外にある花壇。 シャクヤク、アヤメ、アマドコロに囲まれて モクレンが花を咲かせている

マキューアンの書斎の外にある花壇。
シャクヤク、アヤメ、アマドコロに囲まれて
モクレンが花を咲かせている

「重なり合う草花や道まで飛び出している伸びすぎた枝が、あふれんばかりの自然の豊かさを感じさせる」とマキューアンは庭の出来栄えに満足している。植物の知識はあまりないと自ら認めているものの、「庭の配置や風景、木々についてはわかっている」というマキューアンは、家の前に必要以上に植えられていた木々の大半を切り落として、必死に頑張っている植物たちに日があたるようにした。一方で、裏庭にはハンノキ、サンザシ、ポプラ、ナナカマドといったコッツウォルズ地方に自生する木々を少なくとも20本は植えた。マカフィーはスコットランドの国木であるヨーロッパアカマツ4本を植えることを、パンティングに提案した。この背が高くひょろ長い木はスコットランドの独立を支持するマカフィーにジャコバイト運動を思い出させるという。ちなみに彼女の最新作『Hame』(hameとはスコットランド方言でhomeのこと)には、スコットランドの歴史が垣間みえる。

 マカフィーは太陽熱を利用した「インフィニティプール」(外縁が見えず、無限に広がっているように見せかけたプール)の建設という大がかりなプロジェクトに着手した。生け垣に挟まれた地中海のムードが漂うプールは、片側に観賞用の桜が植えられ、もう一方には羊が点々と草を食む丘が見渡せる。プールの端まで泳いでいくと、新たにつくった牧草地に咲くフランスギクに手を伸ばして触れることができる。

画像: 生け垣の間で咲く満開のハナミズキ

生け垣の間で咲く満開のハナミズキ

 農作物を栽培するために土を耕した頃から、野草が消えはじめた。プライベートな庭園を所有する人々の「イギリスの田園地帯に野草を復活させよう」という活動に参加しているマキューアンにとって、自分でつくりあげた牧草地は、プライドをかけた作品とも言えるだろう。とはいえ、こうした羊もいない人工的な牧草地をつくるには、多大な労力を要する。雑草は非常に生命力が強いため、野草の種をまく前に完全に根絶やしにしなければならない。そして、デリケートな植物が自分の力で根づくことを祈るしかない。パンティングは、デイジーやポピー、ヤグルマソウと一緒に、雑草から養分を吸い取る半寄生植物である、野生のゴマノハグサを植えることにした。昨年の10月に植栽したこの牧草地は4番目の大がかりなプロジェクトで、再び苦労を味わうことになった。

 コッツウォルズはロンドンから2時間と近いため、週末ともなれば家族や友人が集まってくる。なんとマキューアンには孫が6人も――12月には7人目が誕生予定――いるのだ。

 お客のない日は、ふたりは仕事に追われている。マキューアンは自作の映画化に向けて、脚本の執筆という第二のキャリアを歩んでいる。『未成年』(原題:The Children Act)はエマ・トンプソン主演で、撮影が終了して編集作業に入っている。シアーシャ・ローナン主演の『初夜』(原題:On Chesil Beach)は1月に公開予定。そして、現在は2012年に発表した『甘美なる作戦』(原題:Sweet Tooth)の脚本を執筆中だ。マカフィーは新作にとりかかっており、今月発売予定の『Hame』の宣伝のために、米国に出発する。夫妻は一緒に食事をするために2階の書斎から降りてきて、音楽を聴きながら料理をする。バッハからマイルス・デイヴィス、ルー・リードとジャンルは幅広い。インタビューをした6月の晩に、マキューアンはブイヤベースを作りながら、オールマン・ブラザーズ・バンドの曲を何度も繰り返し聴いていた。メンバーのグレッグ・オールマンが亡くなったばかりだったのだ。

画像: チャールズ・ダーウィンのサンドウォークに インスピレーションを得てつくった牧草地の小道を、 愛犬のラブを連れて散策するマキューアンとマカフィー

チャールズ・ダーウィンのサンドウォークに
インスピレーションを得てつくった牧草地の小道を、
愛犬のラブを連れて散策するマキューアンとマカフィー

 午後になると夫妻は仕事をひと休みして、ボーダーコリーのラブを連れて、コッツウォルズの散策に出かける。じっとしていられないタイプのマキューアンには、運動と思索を同時に実現させる方法が必要だった。そんな彼にインスピレーションを与えてくれたのは、チャールズ・ダーウィンがかつて暮らしたケント州のダウンハウスだった。マキューアンはこう説明する。「ダーウィンの思想の形成に大きな役割を果たしたのが“サンドウォーク”と呼ばれる小道です。5分ぐらいの道のりは、散策しながら思索を重ねるには十分です」。

マキューアンの「思索の小道」は湖をぐるりと囲むように芝を刈ってつくられ、まわりには草花が咲き乱れている。散策に適した平らな道をつくるためには、土地を削るという困難を極める大仕事をしなければならなかった。道づくりに並々ならぬ労力を費やしたマキューアンは言う。「足もとに気を取られていては、自由な発想なんてできません。何しろダーウィンは、サンドウォークやダウンハウスの庭から世界を変えたのですから」

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