BY REIKO KIMURA, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
北方は男の生き方、死に方を書いてきたし、今も書いているという。だがこのわかりやすい言葉には、一筋縄ではいかない気配がある。
1947年生まれの彼には、キューバ革命も、ベトナム戦争も同時代のできごとだ。大学時代、70年安保闘争のさなか全共闘の運動に加わり、新宿で道路の敷石をはがしては小さく砕き投石にした。ただし思想を支柱にした活動家ではなく、むしろ革命を信じて破壊に身を投じるロマンティストだったらしい。
「僕がデモで頭を殴られて包帯を巻いていると、活動家が『誰にやられた?』と言う。『機動隊だよ』と答えると『いや、国家権力という名の暴力装置だ』と言うんだ。それでいて彼はマルクス・レーニンが一人の名前だと思っていたりする」
北方は、組織というものには反発し、正義を訴えるアジ演説には「正義なんて人それぞれ、いくつもあるだろう」と思うような学生だった。高校3年で発病した肺結核を抱え、就職もできないとシニカルに構えていた。だが、全共闘に対しては今も熱い思いがある。
「全共闘には、国家という制度を変えようと全国から学生が集まっていた。面白いやつらが集まったエネルギー体、運動体だったんですよ。運動体だから止まればあとに何も残らない。本来、制度というのはいつも運動に乗り越えられるものだし、その運動もまた新たな制度になっていくわけだけれども、共闘はそうならなかった。ただ、運動体に参加したやつは何かよいことができるかもしれない、という思いで加わっていた。そういう思いは人間の純粋さに近いだろうと思う」
チンギス・カンの人生を描く雑誌連載中の『チンギス紀』は5月末に1・2巻がまとめて上梓された。『三国志』で皇国史観を書き、『水滸伝』では革命を書いたという彼は、なぜチンギス・カンを選んだのか。
「それは世界で唯一の英雄だからですよ。国家というものをなくしたという意味で、唯一のね。彼は、新しい国をつくる代わりに、世界そのものを大きな運動体にしようとしたのだと思うんです。それにチンギス・カンについては40歳くらいまで何の史料も残っていない。だからそこまでは、私のものです(笑)。小説の中ではなんでも起き得るんです」
「小説はいい」と北方は繰り返しつぶやいた。ただ、彼は小説についてこうも言う。
「小説は、まず面白くて誰にでもわかるものであるべきです。でも誰にもわからないところもある。シェークスピアは中学生にもわかるけれど、哲学者にもわからないところがありますよね。矛盾した言い方のようだけれども、誰にもわかって誰にもわからない、そういう小説が僕の理想です」
大部の小説を書き続け、休まず走り続ける苦労はと尋ねると、好きな小説が書けて、あまつさえ稿料がもらえる。売れない原稿ばかり書いていた10年のことを思えば今の状況は幸せだ、と言う。切れ目なく吸い続ける葉巻の白い煙に包まれて、北方は続けた。
「書店の平台では新人もベテランも五分と五分。この世界は書いたものがすべてです。経歴を積んだからといって安泰というわけじゃない。面白いものが書けなくなったら消えればいい。それだけのことですよ」
自らを奮い立たせるように言うと、小説家は海に面した机に向かう。その目が見るのは海ではない。行く先も知れない小説世界なのだ。
北方謙三
1947年、佐賀県唐津市生まれ。1981年『弔鐘はるかなり』で脚光を浴びる。2016年には17年がかりの「大水滸伝」シリーズ全51巻が完結。’17年より『チンギス紀』を小説すばるに連載。この5月に1・2巻を同時刊行