10月末から12月中旬まで開催された「国際文芸フェスティバルTOKYO」。そのメイン企画のひとつに、村上春樹の海外進出を担ったアメリカ人編集者や翻訳者たちが登壇。国境も言葉も軽々と飛び越える“表現”について熱く語ったイベントの中身をレポートする

BY SAYAKA HOSOGAI, PHOTOGRAPHS BY SODO KAWAGUCHI

「国際文芸フェスティバルTOKYO」は、国内外の文芸作品の魅力をさまざまな切り口で紹介し、読書界・出版界を活性化しようという試み。文化庁と一般社団法人リットストックが主催し、今回が第1回の開催となる。12月半ばまで東京を中心に各地でさまざまなイベントが開催され、主催者による企画のほか、書店や団体などによるサテライトイベントまで含めると40を超えた。

 たとえば、懐かしいレトロバスに乗って森鴎外記念館に立ち寄り、車中では講談師による文豪対談を堪能、お昼は文豪たちが愛した老舗弁当という「明治の文豪の魅力再発見バスツアー」あり。本好きで知られるEXILEの橘ケンチが作家の三浦しをんをゲストに招いた「『舟を編む』読後会」あり。また、LGBTなど性の多様性と社会の受容について読み解く「海外コミック読書ガイド」あり……と多種多様。ユニークな企画が並ぶ中で特に人気を集めたのが、「国境・言語を超えるブンガクとは? ~伝説の編集者・翻訳者が語る、世界文学が生まれる現場~」という国際イベントだった。

画像: 2018年11月22日、日本文学を世界に紹介している翻訳者や編集者を招いた国際イベントが開催された

2018年11月22日、日本文学を世界に紹介している翻訳者や編集者を招いた国際イベントが開催された

 ゲストは、『風の歌を聴け』をはじめ村上春樹の初期作品を英訳した翻訳家、アルフレッド・バーンバウムさん。安部公房から水村美苗まで幅広く手がける翻訳家で、同志社女子大学特任教授のジュリエット・ウインターズ・カーペンターさん。そして、英語版『羊をめぐる冒険』の編集にたずさわって以来、日本の現代作家を数多く英語圏に紹介してきた編集者、エルマー・ルークさん。そんな3人から、芥川賞作家で自ら翻訳も手がける小野正嗣さんが、興味深い逸話や裏話を次々と引き出していく。

 ジュリエットさんが翻訳家を目指したのは、イリノイ州に住んでいた17歳の夏。フランス語の先生の勧めで、たまたま第二外国語に日本語を選んだのがきっかけだったという。高校の図書館にあった日本の小説は、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、夏目漱石だけ。英訳された漱石の作品に感動して、もう1冊手に取るが今度はまったく面白くない。次に、サイデンステッカーが訳した谷崎の『Some Prefer Nettles(蓼喰う虫)』を読んでみたら大感動。「え、これが日本語で書かれた小説だったのと驚くような、素晴らしい英語になっていたんです。翻訳者の力の大きさを知り、こういう仕事ができたら幸せだなと思いました」

画像: 安部公房の信頼も厚かった翻訳家のジュリエット・ウインターズ・カーペンターさん。訳すのが難しいとされていた司馬遼太郎や俵万智の『サラダ記念日』なども手がける

安部公房の信頼も厚かった翻訳家のジュリエット・ウインターズ・カーペンターさん。訳すのが難しいとされていた司馬遼太郎や俵万智の『サラダ記念日』なども手がける

 昭和を代表する作家の一人、安部公房が新しい翻訳家を探していると出版社から声をかけられサンプルを提出したところ、公房自身の眼鏡にかなって初めて訳したのが、1980年刊行の『Secret Rendezvous(密会)』。それが翻訳の賞を受賞し、その後、円地文子、司馬遼太郎、渡辺淳一、宮部みゆき、俵万智、水村美苗……と数々の小説やエッセイ、詩や俳句を手がけてきた。今は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を翻訳中。

「司馬さんの小説は、前に訳した『最後の将軍 徳川慶喜』や『坂の上の雲』も、出版社からの依頼じゃないんです。愛読者の方が私を訪ねてきて、『こんなに素晴らしい、日本人が愛してやまない作品が世界に出ていないのはおかしい。自分が費用を出して出版まで漕ぎつけるようにするから、とにかくお願いします』と。その熱意に負けて、なんとかなるだろうと翻訳したら、なんとかなりました(笑)」

 一方、ワシントンD.C.生まれのアルフレッドさんは、父親の仕事の関係で世界各地を転々としながら育った。小学校と高校を東京で過ごし、早稲田大学留学中に大正時代の日本文学を研究したこともある。画家を目指していたが、30歳のとき友人がたまたま貸してくれた村上春樹の短編集『中国行きのスロウ・ボート』を読み、それまで読んでいた日本の小説とはまったく違うものを感じたという。「日本文学に圧倒的に足りないと感じていたユーモア」に魅せられ、「社会にうまくなじめない主人公に共感」して訳し始めた。それを出版社に持ち込み、フリーランスの翻訳者となった。

画像: 1980年代半ば、世界ではまだ無名だった村上春樹の作品を最初に英訳したアルフレッド・バーンバウムさん

1980年代半ば、世界ではまだ無名だった村上春樹の作品を最初に英訳したアルフレッド・バーンバウムさん

 彼とタッグを組んで村上春樹の初期作品の英語版を企画し、次々とアメリカで出版していったのが、ハワイ生まれの中国系アメリカ人編集者、エルマーさん。「ハルキ・ムラカミの企画後、すべてが変わりました。ミシマの割腹自殺以降で最も大きな波になったと思います。もちろん、ハルキもすぐにアメリカで受け入れられたわけではなく、何年かかけて少しずつ市場を育てていくという過程が必要でしたが、日本文学への関心が高まり、英米の市場に門戸を開くことができた。今やハルキ・ムラカミの人気は、ロックスター級。彼がここまで成功したということを受けて、ほかの日本人作家でもブレイクスルーする可能性があると考える海外の出版社が増えました。これは本当に驚くべきことであり、素晴らしいことだと思います」

 

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