BY KURIKO SATO
「共産主義下のポーランドでは、民族音楽はプロパガンダのために使われていました。だから私の世代には、民族音楽イコール共産主義というイメージがあり、若者はむしろ西洋のロックに夢中になっていた。私も当時はローリング・ストーンズやキンクスといった、西洋のロックを好んで聴いていました。でも年齢を経た今では、民族音楽に新たな興味を持つようになった。おそらく私のような世代の影響でしょうか、この映画をきっかけに、ポーランドでは再び民族音楽が人気を得ています。それは私にもうれしい驚きでした」
一方、ジャズが奏でられるパリは、いかにもボリス・ヴィアンやフランソワーズ・サガンが闊歩していた時代のサンジェルマン・デ・プレを彷彿とさせる。パリのスノッブなインテリの雰囲気に嫌気がさしたズーラが、ジャズ・クラブでたがが外れたように踊る長回しのシーンは圧巻だ。
1957年、ポーランドのワルシャワで生まれたパヴリコフスキは、14歳で母親に連れられてイギリスに渡ったのち、ドイツ、イタリアに行き、再びイギリスに戻ってオックスフォードを卒業。BBCでテレビ・ドキュメンタリーを作り始める。その後2000年にフィクション『Last Resort』で初長編デビュー。パリを舞台にクリスティン・スコット・トーマスとイーサン・ホークを起用した『イリュージョン』(日本未公開)など、何本か作品を監督するが、2013年にポーランドに拠点を戻す。
「年齢のせいなのか、自分のルーツに戻って生活がしたくなったのです。子どもも成長して、自立しましたし。ポーランドに帰ったら、とてもアットホームだと感じられた。まるで人生の半分は何かから逃れてきて、これから残りの半分は何かを取り戻そうとしているといった感じです。
これまでさまざまな都市に住んで、多様なカルチャーを経験しましたが、そういった都市は自分にとってバックグラウンドがないゆえに、重みもないことに気づきました。外国にいると、どこか自分が根なし草のような気持ちになります。でも、歴史映画を作るわけではないにしろ、キャラクターたちがその社会に根ざし、影響を受けることは、映画に深みをもたらす。自分が真に根ざした土地で撮ることは大事なのだということを、ポーランドに戻って『イーダ』を作ったときに初めて認識させられました」
世界的に賞賛された『イーダ』に続き、本作もまたカンヌ国際映画祭での監督賞受賞をはじめ各国で評価され、パヴリコフスキ監督はイエジー・スコリモフスキ、アニエスカ・ホランドらに続く、ポーランド映画界の新世代を代表する存在となった。現在は、制作のかたわら、映画学校で教鞭もとる。「たしかにポーランドの映画界は今、バラエティに富んださまざまな監督が活躍する、いい状況にあると思います。映画をとりまく資金的な状況が苦しいことに変わりはないとはいえ、みんなが低予算でも個性的な作品を作り続けている。私自身も、ここで自分の“正しい居場所”を見つけたような気がしています」
『COLD WAR あの歌、2つの心』
6月28日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
公式サイト