2022年、東京・大阪で上演され大反響を呼んだ「能狂言『鬼滅の刃』」が全国4都市で追加上演される。約700年の歴史を数える伝統芸能と、令和最大のヒット漫画の邂逅。そこに描き出されるものは果たして。二人のキーパーソンが初演時に語った、作品に込めた思いとは

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 能狂言という、あらゆる要素をそぎ落とした抽象的な芸術表現様式で、社会現象となったあの漫画を舞台化するという。手がけるのは、狂言界の絶対エースにして優れた演出家でもある野村萬斎(演出・出演)と、歌舞伎を歴史的状況を踏まえた多角的な視点でとらえ直し現代に置き換える、精密なテキストレジ(上演に応じて脚本の手直しを行うこと)で名高い木ノ下裕一(脚本)。古典芸能を現代人に響かせる術において突出した才能をもつ二人は、『鬼滅の刃』のどこに、能狂言との接点を見いだしたのだろう。

画像: 2022年7月に「能 狂言『鬼滅の刃』」が上演された、東京・銀座の観世能楽堂にて。 野村萬斎(左)と木ノ下裕一

2022年7月に「能 狂言『鬼滅の刃』」が上演された、東京・銀座の観世能楽堂にて。
野村萬斎(左)と木ノ下裕一

野村萬斎(以下、萬斎) 変な話なんですが、僕がこれまで関わってきた映画やテレビドラマの時代設定は、平安時代(滝田洋二郎監督『陰陽師』)とか戦国時代(黒澤明監督『乱』)から、大正・昭和(NHK連続テレビ小説『あぐり』等)に飛んで、なぜか江戸時代がないんです。江戸の町人文化は、やはり歌舞伎の方々が担うイメージなのでしょうね。大正モダニズムには少しスノッブなところがあるから、能狂言はその点で、町人中心の江戸とは異なる、その前後の時代と親和性があるのかな。『鬼滅の刃』も大正時代の話ですし、鬼を鎮めるという鎮魂的な要素も、能の精神かな、という気がします。

木ノ下裕一(以下、木ノ下) 僕は『鬼滅の刃』は、一生読まないつもりでいたんです(笑)。というのも、みんなが「鬼滅、鬼滅」と熱く語るのを聞いていて、予備知識もなく何のことだか全然わからない感じが、ふだん古典オタクの自分が、古典を知らない人に内容を説明するときの相手の立場と似ていてすごく勉強になるし、面白かったからなんです。今回お話をいただいて全巻拝読してみると、おっしゃったように「鬼を弔う」という中に鬼側の悲しみがはっきり描かれている点に能らしさを感じたのと同時に、速いテンポ感や心理描写の多さなど、能との違いもかなり感じました。さあどうしようかなと悩んでいたんですが、「刀鍛冶の里編」以降くらいから、僕の勝手な感覚ですけど、吾峠呼世晴先生がおっしゃりたいことは「生きろ!」ということなんだな、と思うようになったんです。死んでいった人たちのぶんまで、引き受けて生きろと。原作の最終回は、炭治郎たちの子孫か転生か、現代に生きる人々の世界になりますが、そうすることで、現代の私たちの平和な暮らしの背後には震災や戦争があり、死屍累々の犠牲があったんだということを示しておられるように感じました。これは、どこか現在の空間にワキ(現世に生きる人物で、主人公・シテの物語を引き出す相手役)がやってきて、かつてそこで亡くなったシテ(不幸な死を遂げた霊であることが多い)の声を聞くという、まさに能の構造ですね。読者がワキということでしょうか。

萬斎 確かに「死にざまから生きるということを学ぶのが能である」と言える気はしますね。能におけるワキはお坊さんであることが多く、生者である観客と死者であるシテをつなぐフィルターの役割を担っている、という言い方をよくします。死者だってかつては生きていたわけで、生の次が死である以上、死に向かっていくのが人間の定めですから、先人の死から何を学ぶのかは重要です。一方で「血(脈)」とか「因果」という、祖先から巡り巡って受け継いでいくものも大きいと思います。僕はよく「縦軸」と呼んでいるんだけれども、時間軸は縦にも流れていて、我々は過去から綿々と続くその縦軸の一点の現在というところにいる。炭治郎も親や師から、いろいろなものを受け継ぎますよね。死は必ず訪れるものですが、同時にそこで途絶えずに受け継ぐのもまた、人間の定めである気がします。

木ノ下 そうですよね、「血(脈)」ですよね。鬼ももともとは人間で、鬼の血を得ることで鬼になるわけですから、これもひとつの「血」のつながりと言えるかと。そうか、それが縦軸ということですね。

画像: 野村萬斎/和泉流狂言師 1966年生まれ、東京都出身。祖父・故六世野村万蔵、父・野村万作に師事。重要無形文化財総合認定保持者。東京藝術大学客員教授。「狂言ござる乃座」主宰。国内外で多数の狂言・能公演に参加する一方、現代劇や映画、テレビドラマなどでも幅広く活躍。2002年8月~2022年3月、世田谷パブリックシアター芸術監督。2021年4 月より石川県立音楽堂邦楽監督。今年2月、第43回松尾芸能賞・大賞受賞、ほか受賞多数

野村萬斎/和泉流狂言師
1966年生まれ、東京都出身。祖父・故六世野村万蔵、父・野村万作に師事。重要無形文化財総合認定保持者。東京藝術大学客員教授。「狂言ござる乃座」主宰。国内外で多数の狂言・能公演に参加する一方、現代劇や映画、テレビドラマなどでも幅広く活躍。2002年8月~2022年3月、世田谷パブリックシアター芸術監督。2021年4 月より石川県立音楽堂邦楽監督。今年2月、第43回松尾芸能賞・大賞受賞、ほか受賞多数

萬斎 現代は個人の時代なので、生まれてから死ぬまでの水平軸的に自分を見ていると思うんですが、僕らのような古典芸能の人間には、縦軸も存在するんです。炭治郎も、「ヒノカミ神楽」のように父の炭十郎から引き継ぐ親子の血脈と、鬼殺の剣士として修行で獲得するつながりがあって、両者がらせん状に絡まっているのではないかと。

木ノ下 ああ、なるほど! 面白い。だから『鬼滅の刃』は伝統芸能的なんですね。

画像: 竈門炭治郎/大槻裕一 PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

竈門炭治郎/大槻裕一
PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

萬斎 鬼が灰になっていくところも、ただ無に帰するのではなく、残存するものがありますよね。炭治郎あるいは読者が、鬼の死にざまを見ることで、自分の未来に関わってくることになる何かが残る。生あるものは無になるけれども、それは延々と繰り返されるもの。夜になると跋扈(ばっこ)し、朝陽が昇ると灰になる生命の輪廻的なものを含めての、鬼という存在である気がします。

木ノ下 単純に鬼を滅ぼせばいいということではなく、鬼にもかつて人間だった過去があることが描かれていて、読者にも非常に割り切れないものが残る。勧善懲悪ではないんですよね。そこも、とても能らしいと思います。

萬斎 能には、人間であるはずの自分も、鬼に変わってしまうかもしれないという恐怖や教訓が込められている。鬼=悪と頭から決めつけないんですね。鬼も生きているんだよという、いわばずっと昔から、能狂言はダイバーシティの精神なんですよ。

木ノ下 ほんとですね。キノコだって出てきますもんね(キノコ役が多数登場する『茸(くさびら。流派により『菌』)』という狂言がある)。

萬斎 なぜキノコが大量に生えたかというと、人間のせいかもしれないわけですよ。

木ノ下 人間の勝手な欲望のせい、ということですよね。

画像: 鎹鴉/野村萬斎、 深田博治 PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

鎹鴉/野村萬斎、 深田博治
PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

萬斎 誰かの欲が何かの抑圧を生み、それによって鬼と化していく人がいる。ほかにも、才能がありすぎておかしくなってしまう人や、生まれがちょっと違うだけで差別を受け、鬼になる人もいる。いろいろなケースがあるのも面白いですね。

木ノ下 多様性は『鬼滅の刃』の大きな魅力だと思います。鬼と人間の境界にいる禰豆子(ねずこ)はその典型ですし、鬼殺隊を支えるなかには、カラスやスズメもいる。鎹鴉(かすがいがらす)の活躍なんて、まさに狂言みたいですよね。

萬斎 能の悲しみに対して、狂言は陽気で、生きていくことの素晴らしさを讃えます。今回「能 狂言」とさせていただいたのも、『鬼滅の刃』には鬼の世界だけでなく、狂言のようにコミカルな面や、生命力の強さも描かれているからなんです。

画像: 木ノ下裕一/木ノ下歌舞伎主宰 1985年生まれ、和歌山県出身。2006年、古典演目上演の補綴・監修を自らが行う「木ノ下歌舞伎」を旗揚げ。代表作に『娘道成寺』『黒塚』『東海道四谷怪談─通し上演─』『義経千本桜─渡海屋・大物浦─』など。平成28年度文化庁芸術祭新人賞、第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。渋谷・コクーン歌舞伎『切られの与三』(2018年)の補綴を務めたほか、古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中

木ノ下裕一/木ノ下歌舞伎主宰
1985年生まれ、和歌山県出身。2006年、古典演目上演の補綴・監修を自らが行う「木ノ下歌舞伎」を旗揚げ。代表作に『娘道成寺』『黒塚』『東海道四谷怪談─通し上演─』『義経千本桜─渡海屋・大物浦─』など。平成28年度文化庁芸術祭新人賞、第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。渋谷・コクーン歌舞伎『切られの与三』(2018年)の補綴を務めたほか、古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中

木ノ下 萬斎さんが演出される作品を観るといつも感じるのは、どうすれば現代の観客に届くかを、つねに考えていらっしゃるということです。昨年、コロナ禍のニューバージョンとして上演された『子午線の祀り』(木下順二が『平家物語』の世界を、原典を織り交ぜながら現代戯曲化した作品)でも、『平家物語』を知らない観客を前提にしたうえで、短い時間内でどこを選択すれば胸に響かせることができるかを、非常に考えられたテキストレジによって実現していらした。観終わったあとに、人間には逆らえない大きな運命の潮があるのだという真実が、ちょうど今のコロナ禍とリンクして伝わってきました。こうやって萬斎さんはいつも、現代人に向けてフックをしっかり掛けていらっしゃるんですよね。それと、もうひとつ強く感じるのが、今劇場にいる観客だけでなく、ここにはいない人に向けても上演しているような感覚です。それは死んだ人たちなんでしょうか、とにかく「ここにいない人たちに作品を捧げています」という感じがして、そこがとても好きなんです。見えない世界に作品を届けているというのは、演出家として意識していらっしゃることですか?

萬斎 そうですね。見えない観客なのか、未来の観客なのか、何か今ここにいない人も含めた、大きな世界に呼びかけたい気はしています。やはり、能狂言に対抗するものを創りたい想いが強いですね。

木ノ下 なるほど、最終的にはそこが目標になるわけですね。

画像: 鬼舞辻無惨/野村萬斎 PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

鬼舞辻無惨/野村萬斎
PHOTOGRAPH BY MASASHI SENO

萬斎 能狂言のように普遍性を勝ちとった、700年間の強度をもつ作品を創りたいんです。今回も、いつ見ても古びないエッセンスをもった、能のレパートリーになるような作品になるといいなと思って創ります。

木ノ下 この思考の長さ、息の長さ! この作品が今後700年も上演され続けるということを意識するなんて、現代演劇人にはもち得ない感覚です。でもまさしく、それが萬斎さんの作品から感じられる、僕がすごく好きな部分でもあるんですよね。

萬斎 ありがとうございます。僕も『鬼滅の刃』の能狂言化に木ノ下さんが関わってくださることに、運命のようなものを感じています。古典への造詣の深さはもちろん、オタクを含めた読者や観客が喜ぶツボも、よく心得ていらっしゃいますよね。

木ノ下 はい。そこはもう、古典芸能オタクとしてはオタクの気持ちはわかりますから、「萬斎さんが三番叟(さんばそう)を舞うあのテンションで、ヒノカミ神楽を舞うのを見たい!」とかね、ちゃんと押さえるべきところは、押さえておりますよ(笑)。

【T JAPAN 撮影・対談舞台裏】能狂言「鬼滅の刃」野村萬斎と木ノ下裕一が夢見る700年受け継がれる物語

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画像: コミックス累計発行部数が1億5,000万部を超え、社会現象にもなった漫画『鬼滅の刃』が能狂言に。古来の上演方式になぞらえ、鬼の悲しみを描く能と、人の生命力を讃える狂言のパートが交互に展開する。ポスタービジュアルは原作者の吾峠呼世晴が特別に描き下ろした

コミックス累計発行部数が1億5,000万部を超え、社会現象にもなった漫画『鬼滅の刃』が能狂言に。古来の上演方式になぞらえ、鬼の悲しみを描く能と、人の生命力を讃える狂言のパートが交互に展開する。ポスタービジュアルは原作者の吾峠呼世晴が特別に描き下ろした

能 狂⾔『⻤滅の刃』追加公演
公演日程/会場:
[京都]2023年5⽉24⽇(水)~5⽉27⽇(土)/金剛能楽堂
[福岡]2023年9⽉13⽇(水)~9⽉17⽇(⽇)/大濠公園能楽堂
[愛知]2023年9⽉27⽇(水)~9⽉28⽇(木)/名古屋能楽堂
[神奈川]2023年9⽉30⽇(土)~10⽉1⽇(⽇)/横浜能楽堂

原作:『⻤滅の刃』吾峠呼世晴(集英社ジャンプコミックス刊)
監修:⼤槻⽂藏(能楽シテ⽅観世流・⼈間国宝)
演出/謡本補綴:野村萬斎(能楽狂⾔⽅和泉流)
作調:亀井広忠(能楽大鼓方葛野流家元)
原案台本:⽊ノ下裕⼀(⽊ノ下歌舞伎主宰)
主な配役:
下弦の伍 累/大槻文藏
竈門炭治郎ほか/大槻裕一
我妻善逸ほか/野村裕基
嘴平伊之助ほか/野村太一郎
鬼舞辻無惨(「辻」は「⼀点しんにょう」が正式表記)ほか/野村萬斎

チケット詳細は公式twitter: @kimetsu_nohkyo にて発表

©吾峠呼世晴/集英社 ©吾峠呼世晴/集英社・OFFICE OHTSUKI

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