ベルギー人デザイナー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクは、アヴァンギャルドなメンズファッションの守護神だ。彼の生みだす世界は、奇異で独創的な魅力にあふれている

BY THESSALY LA FORCE, PHOTOGRAPHS BY MARK PECKMEZIAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 80年代を象徴するのが“抵抗”ならば、エイズがもたらす死への抵抗の意味もそこに含まれる。ヴァン・ベイレンドンクは当時を思い出す。「周囲の何人もがエイズを患って亡くなり、つらく耐えがたい時期だったよ。尊敬していたアーティストやクリエイティブな人々を何人も失って」

 だが恐怖の極みにあろうと、治療の見込みがほぼなかろうと、汚名を着せられたエイズウイルスのイメージがゲイカルチャーと結びつけられようと、彼はセックスについて明るく描き続けた。

 この時期からずっと、彼はゲイのセックスにまつわるコードやサブカルチャーを讃美し、創作の主眼にしている。1995-’96年秋冬コレクション「Paradise Pleasure Productions」では、チープなダッチワイフ風の、萎えたペニスがついたラテックスのスーツやボンデージマスクを披露した。以来、根底にあるテーマは変わっていない。2012-’13年秋冬コレクション「Lust Never Sleeps」では多くのボンデージマスクを登場させた。なめし革やツィードでできたマスクには、イギリス式ダンディの伝統美と、常識を覆す奇抜さが混在していた。

 彼のストレートな表現は今の人々の心には響くが、こうした作品が初めて発表された当時はショッキングに映ったにちがいない。あの頃、多くの国の政府はゲイのセックスこそがエイズの原因だとして激しく非難していたからだ。彼のクリエーションは何の弁解もないところが潔いが、彼自身は自分を挑発者だとは思っていない。彼はショックを与えたいわけではなく、単に提示しているだけなのだ。ヴァン・ベイレンドンクの一貫した姿勢は、2018-’19年秋冬「Worlds of Sun and Moon」にも見て取れる。ピンクやイエロー、ブラックのポンチョ、シルクのボンバージャケットやジャンプスーツの胸の部分や股間には穴が開いていた。2011年、彼はファッションウェブサイト「SHOWstudio」のインタビューでこんなふうに語っている。
「僕のいくつかのデザインにショックを受ける人がいるのは知っているよ。そもそもこういう服は、僕自身が絶対着ないしね」

 自らのコミュニティにエイズが招いた惨事について模索しようと、彼は決然とひるむことなく、ゲイのサブカルチャーにフォーカスしつづけてきた。その究極と呼べるのがパリのキャバレー「リド」で披露された1996年春夏の「Killer/Astral Travel/4D-Hi-D」だろう。銀河間空間を舞台に、ネオンカラーの服、ムーンブーツ、トピアリー風のスペースエイジ的ヘアウィッグが次々と登場した。ショーの背景にあったのは、ハイジという少女が宇宙のヤギと友達になるという物語だ。

 その着想源になったのは、アメリカ人アーティスト、マイク・ケリーとポール・マッカーシーの作品である。彼らは子ども時代の暴力性や抑圧を描くアーティストとしてヴァン・ベイレンドンクに大きな影響を与えた人物だそうだ(ケリーの作品は悲惨で物悲しく、マッカーシーの作品はアグレッシブで性的な威嚇感がある)。ケリーとマッカーシーが共同制作したビデオ作品《ハイジ》(1992年)は、孤児の少女が森に住む祖父のもとに送られて一緒に暮らすという、スイス人作家ヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』(1881年出版)が下敷きになっている。彼らを引きつけたのは“無垢な少女が年老いた男と暮らし、その男に気に入られようとするアレゴリー”らしい。

 だがヴァン・ベイレンドンク版ハイジの物語は趣旨が異なる。ショーのスクリーンに映し出されたとおり、ハイジの小さく愛らしい白ヤギは、エイズを象徴する悪魔に変わってしまう。これはごく普通の出来事が突然、命取りの事態に暗転する物語なのだ。このハイジとヤギとの関係を彼は“死を招く愛着”と呼んでいる。

 1992年、ヴァン・ベイレンドンクはドイツのデニムブランド「ムスタング」と共同で「W.&L.T.(Wild & Lethal Trashの略語)」を立ち上げる。莫大な予算をあてがわれた彼は、細部まで徹底的にこだわったショーを披露。壮大なスケールのパフォーマンス的なコレクションは人々とプレスから大きな注目を浴びた。90年代といえばミニマリズムが生まれた時代だが、ヴァン・ベイレンドンクは、地味で色味にも情熱にも欠けたクールなそのスタイルを採り入れなかった。しようと思ってもできなかったのだ。

 ムスタングとは1999年にたもとを分かち、彼はそれ以来、独立したデザイナーとして活躍している。つまり、LVMHやケリングといったファッション複合企業との共同経営につきまとう制約とは無縁というわけだ。だが独立して活動しているがゆえに、同輩のデザイナーや教え子たちのような知名度を得られないのかもしれない。

 表舞台に出てこないもうひとつの要因は、彼がアントワープに執着しすぎていることだ。実際、彼はこの地を離れたことがない。1985年に王立芸術アカデミーの教員になり、2007年には同アカデミーのファッション学科長の座を引き継いだ(2009年からはヴァン・セーヌも同院で指導している)。「アントワープ・シックス」の伝説は今も健在で、彼らを輩出したアカデミーには現在さまざまな国の留学生が集まっている。卒業生のなかにはヨーロッパの最も影響力のあるメゾンを率いているデザイナーもいる(ヴェロニク・ブランキーノや、バレンシアガのデムナ・ヴァザリアも同院の卒業生だ)。

 ヴァン・ベイレンドンクは純粋主義者だ。学生の作品をアートとみなし、モード界にはびこる利益至上主義から学生を守るために奮闘している。だが、ひとりの学生が自殺した昨年、アカデミーの厳しさや孤立主義の傾向が問題になった。ヴァン・ベイレンドンクが切り出す。「学生が自殺したことはショックで、胸が張り裂けそうだった。教員たちは学生たちのことをとても気にかけているし、常に付き添って指導している。教員は学生のパーソナルな部分まで知っていて、互いに強い絆で結ばれているんだけれど。でも事件以降、学生へのプレッシャーが軽減されるよう、一部の教科内容や課題について見直しをしたんだ」

画像: (左から)2012-’13年秋冬コレクション「Lust Never Sleeps」、2014-’15年秋冬コレクション「Crossed Crocodiles Growl」、2015-’16年秋冬コレクション「Explicit Beauty」、2008-’09年秋冬コレクション「Skin King」、2019-’20年秋冬コレクション「Wow」

(左から)2012-’13年秋冬コレクション「Lust Never Sleeps」、2014-’15年秋冬コレクション「Crossed Crocodiles Growl」、2015-’16年秋冬コレクション「Explicit Beauty」、2008-’09年秋冬コレクション「Skin King」、2019-’20年秋冬コレクション「Wow」

 Eコマースサイト「Farfetch」など、現在世界の45社のみが扱うヴァン・ベイレンドンクの服は入手がやや困難かもしれない(なお最近Farfetchではこれまで彼が発表した2,000点以上の作品から選りすぐりのアーカイブアイテムを発売した)。だが彼には少数ながら熱烈なファンがいる。ニューヨーク在住のアーティスト、ネイランド・ブレイクもそんな熱心な支持者のひとりだ。身長188センチ、体重136キロの自称“熊”。彼は、ヴァン・ベイレンドンクの邪眼やバットプラグ(性具)で飾られた服を着ると“とてつもない喜び”を感じるらしい。「人生は従わなければならない規則ばかり。そんななかで人々がお互いのために、まるでパフォーマンスでもするみたいに装えたら気分が高まるよね」

 一方で、ヴァン・ベイレンドンクがブランドを立ち上げて伝えたかったのは、“とてつもない喜び”ではなかったかもしれない。最近の彼は“テクニカル・デザイナー”として熟練の技術を際立たせている。美しいテーラリングに緻密なビーズ装飾。ブロケード(訳注:多彩な糸を使った紋織物)やハリスツィード、オーガンザなど伝統的な上質の素材。そしてオートクチュールさながらの“骨格”の美しさといった、これまで過激な外観の下に潜んでいた要素を前面に出そうとしているのだ。

 ヴァン・ベイレンドンク自身は恋愛においても人生においても、大胆な冒険心にあふれたタイプではないという。それでいて彼の信奉者が、レイバーやクラバー、フェティシストやフリーク、つまり奇抜な装いで人の視線を集めたがるアウトサイダーであることには違和感も覚えないそうだ。彼の作品が想起させるのは、派手でとっぴでワイルドなデザイナーだが、実際の彼はそんなふうには見えない。でも彼の服は、彼自身を決して否定しないのである。

 考えてみれば、ファッションとはさまざまな人やものを否定するものだ。身体を否定し、欲望を否定し、奇妙さを否定し、個性美を否定する。そんなファッションの世界で、おそらくヴァン・ベイレンドンクは、自己に忠実で、自分の想いをそのまま服に投影させる残り少ないデザイナーなのだ。

「デビューしたての頃、コレクションを制作していると無数の暗い問題から解き放たれる気がしてね。僕自身が世界に明るさを与えられたらと思ったんだ」と彼は言う。「まさに今の世は暗い問題ばかり。せめてほんの少しでも希望を持ち続けていたいよね」

MODELS: MOISE, MAXIME, BRENT AND ADEMAR AT REBEL MANAGEMENT AND LOIC AT JILL MODELS. HAIR BY LOUIS GHEWY AT M&A USING ORIBE. GROOMING BY FLORENCE TEERLINCK USING MAC COSMETICS. PRODUCTION: MINDBOX. PHOTO ASSISTANTS: WILLY CUYLITS AND TIM COPPENS. HAIR ASSISTANT: NINA STENGER. GROOMING ASSISTANT: GWEN DE VYLDER

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