BY LINDSAY TALBOT, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO
「いつも遠い異国の地を旅していた」。ブルックリン出身のデザイナー、ウラ・ジョンソン(45歳)は子ども時代をそう振り返る。両親は考古学者(ふたりは旧ユーゴスラビアのメソポタミア遺跡で出会った)。彼らの発掘作業にウラも同行し、イランやドイツを巡った。母が旅先で買い集めたローカルな織物や宝飾品に魅せられ、彼女もブロックプリントの生地や稀少なオブジェ、伝統工芸品への愛情を深めた。「ハンドメイドのものには、人の心を揺さぶる、言葉では説明できない魅力がある」とウラは話す。
もともとファッションデザインを学びたいと思っていたウラだったが、親の勧めでミシガン大学教養学部に入学。心理学と女性学を専攻した。卒業後はニューヨークに戻り、ファッション工科大学へ通いながら、“ガーメント・ディストリクト(マンハッタンのファッション関連業者が密集する地区)”に出入りするようになった。そして、1998年、自身の名を冠したブランドを設立し、テーラードのセットアップによる小規模なコレクションを発表した。
彼女が大切にしているのは、使う人の一生モノになるようなアイテムを丁寧に作りあげること。その思いはブランド創設時から変わらず、ブランドのシグネチャーであるシルクやパリッとしたポプリン素材の小花柄ミディドレスは熱烈なファンを獲得している。最新コレクションでも、繊細なクロシェ編み、タッセルつきのカシミヤニット、絞り染めを施したキルト生地のアーミーパンツなど、エフォートレスながらも手の込んだアイテムが多い。「私がいつも思い描いているイメージは、特定のトレンドや時代、あるいは魅力的なミューズらにインスパイアされたものではなく、遠い異国の地をあてもなく歩き回るような、ゆったりとした世界観です」。
ニューヨーク州モントークとブルックリンを行き来しながら暮らす彼女は、ペルーのアルパカ毛糸の生産者からニューデリーの刺しゅう職人まで、世界各地の女性職人たちと直接コラボレーションしながら服を作る。そして、こうした交流がまた、次の旅に出る口実になっている。ウラは、この一年だけでも、アルゼンチンやケニア、ガラパゴス諸島、ウルグアイ、ユカタン半島、セビリア、イタリアのドロミーティ、シチリア、ペルー、そして英国のコーンウォール地方など、世界各地に足を運んだ。「旅こそ、すべての出発点」とウラは言う。「美しい色、職人の技、多彩な文化が融合した、どこか遠い世界へ運んでくれるような喜びあふれる作品を作りたい」
「年々、プレタポルテのコレクションで、アフリカのハンドメイドの織物を使う機会が増えている。これは、昨年10月にケニアで購入したテキスタイル。実際にはナイジェリアで作られたもので、連続性のある柄が特徴。これらの布を、私は「Baba Tree」というガーナの職人グループから購入したバスケットに入れて保管している。彼らのバスケットは波を打ったような形をしていて、縁部分も未処理で、編みっぱなし。こうした不完全なもの、未完成のものに、美しさを感じる」
「庭師のミランダ・ブルックスが教えてくれた「ヴェルドゥーラ」社の一点モノの置き時計。私は、寝室にスマートフォンを持ち込まない主義で、ナイトテーブルにこの時計を置いている。隣にあるのは、スウェーデンのミッドセンチュリーのデザイナー、ベルント・フリーベリが作った陶器。釉薬の塗り具合が絶妙で美しい。どれも薄手かつ小ぶりで、本当に繊細な作品」
「芸術家肌の母が描いた金色の聖人のイコン。のちに母は絵画の修復師になったが、じつのところ正式なトレーニングを受けておらず、大家のもとで数枚の修復を行ったくらい。母の作品は、私の3人の子どもたちの寝室にも飾ってある。守護聖人のようで心強い」