BY OGOTO WATANABE
あるとき、ふたりは真鶴半島の高台にある荒れ地に出会う。何十年もひとの手が入らず、鬱蒼と茂る樹木に覆われて古屋がぽつん。ある朝、偶然に開いた不動産情報ページで則美さんが見つけたものだった。このときも「この森の場所、買おう!」と彼女が先陣を切る。資金繰りなどで何度か挫けそうになるが、そのたびに不思議と手が差し伸べられて道が開いた。そして、ふたりは友人たちに助けられながら、自力で開墾を始める。縦横無尽にあたりを覆いつくす雑草や枯れ木を鎌で根気強く整え、土砂を掘り起こしながら、靖さんは古着の買付の旅を思い出していたと言う。「いいものがあるって勘が働く時は、たいてい人が行かないところでした。ひっそりと埋もれているいいものに出会えたものです」。地道な作業を重ねていくうち、ジャングルのような雑草の下からかつての見事な庭園の庭石が姿を現し、枝を整えた木々の間に海が見えるようになった。敷地内に2軒ある古屋も、自分たちでできることは何でもして、時間をかけて改修した。
2018年、海側の平屋は「シタ」と呼ばれるスクランプシャスの服や小物を扱うショップ、山側の平屋「ウエ」は食のイベントなどを行う皆の憩いや集いの場として、SOJI BŌKENがオープン。「まだまだ開拓作業は続きます。地道にゆっくり、楽しみながら作っていきます」
スクランプシャスのものづくりの仕方は、型破りかもしれない。基本的に卸をせず、サイトやオープンデイにて彼らの服を望むひとに直接届ける。ファッション業界では、季節を先取りしたコレクションを短いスパンで発表し、展示会を催し、PR活動をするのが常道だが、ふたりは行わない。「私たちには無理ですから」と恥ずかしそうに言う。最初の頃は請けてくれる先を求めて工場を回ったが、ロットの問題や作業の細かい手間などで折り合うところが見つからなかった。生産性、効率といった点で見れば、相当スローなやり方であろう。ギリギリ、なんとか生業として成り立てばよい、と言う。「納得のできるよいものを、自分たちの手でできる範囲で」とふたりは口をそろえる。
「自分たちの暮らし、仕事、生きるということ。それらはひとつの円になっていると思うんです。なにかが突出してギザギザになると、どこかにムリが出る。バランスよく全部が円のなかに収まっているのが一番幸せ。そんな感覚が、年々確かなものになっています。私たちはもうあんまり大きな何かを望むのではなく、円のなかで穏やかに暮らしていければいいな、と思います」と則美さん。素材や仕様のセミオーダーも含めて、たくさんの注文を受けていた時期がある。遅れたら申し訳ないと気を揉みながら、来る日も来る日も朝から晩まで仕事に追われた。気が付けば暮らしから笑顔が消え、やがて体調も崩した。
それをきっかけに足もとを見つめ直し、2019年、「自由帳」という言葉とともにふたりは新たな一歩を踏み出した。定番の服作りは、仕上がった分を販売するやり方にした。さらに、ずっとしまい込んでいた“自由奔放に手を動かしたい”という思いを放つことにしたのだ。「食べていくために成り立たせる」ということを一度置いて、自由なクリエーションに挑んだ。大きな儲けは望めなくても、必要なものを支払い、なんとか食べていければよしとする。“採算は考えず手間暇を惜しまない” “機能美を取り入れる” “生み出す過程を楽しみ、自分たちが好きと思えるものを遠回りしても作る―― それがふたりの芯であることを再確認した。
「これ、やっておいたほうが得かも、と軸をずらして取り組んだ仕事は、後々までずっと気持ちよさが感じられないものだと、この年になるとわかってきました」