BY MINAKO NORIMATSU
「ジョセフィン・ベーカー!」。1月23日、パリ。ディオールの2023年春夏オートクチュール コレクションの会場に足を踏み入れた誰もが、感嘆の声をあげた。壁一面が、ベーカーのポートレートのコラージュで覆われていたのだ。ディオールのアーティスティックディレクターであるマリア・グラツィア・キウリは、ほぼ毎回のコレクションに、女性のフェミニスト・アーティストをフィーチャーすることで知られている。会場セッティングやパフォーマンスのみなのか、コレクション自体にそのアーティストからの影響を反映させるのかはケースバイケースだが、今回のミューズがこのダークスキンのシンガー&ダンサーであることは、明らかだ。
フランスのオートクチュールをまとって世に広め、特にムッシュ ディオールとは親交が深かったベーカー。ちなみに2021年には、ベーカーの没後50年近くにして、しかも黒人女性としては初めて、フランスの国民的英雄たちと並んで、パリのパンテオンの霊廟に祀られたことが話題となった。この機に再認識されたのは、アメリカからフランスに渡ってミュージック・ホールのスターとなった彼女が、第二次世界大戦中には対独レジスタンスとして活動していたこと、そして人権活動家で孤児を何人も引き取っていたという事実。一方キウリが浮き彫りにしたのは、表面的な“スタイル”でもダイレクトなプロパガンダでもなく、華やかさと強さの背後に隠された、ベーカーの脆(もろ)さや繊細さだった。
「ステージに立つ前、ドレッシングルームでのプライベートなシチュエーションを想起させるドレスのシルエットに取り組みました。ですからコートでは、寒さから身を守るという本来のストラクチャーを保ちつつ、親密感、リラックス感を求めたのです。ガウンを着想源に、美しいクラッシュド・ベルベットやキルティングのファブリックで、パーフェクトなシルエットを作ることができました」。ステージ衣装ではなく、あえて楽屋でのアイテムにフォーカスしたキウリはこう語る。
「それらを、レトロなシルエットのランジェリー風スリップドレスの上に前をはだけて羽織る、つまり内面を守りながらもあらわにすると、完璧なコントラストが生まれます。いわばモダンな解釈なのです」。だからこのコレクションではアイコニックな「バー」ジャケットはやや影を潜め、ソフト・テーラリングが新鮮だ。色合いや装飾でも、華やかさよりデリケートでニュアンスのある奥深さを追求。それを可能にしたのが、工房の職人たちの熟練した技術である。キウリは続けた。
「ノーブルで貴重な刺しゅうは、玉虫色に輝きます。今回使ったのは、鈍い光を放つシルバーのスタッズとスパンコール。どちらも極小サイズです。刺しゅうはしなやかにボディを包み込み、また光が反射すると見た目の錯覚を生み出します。言わば“陰影法”ですね。そしてシルバーとゴールドのフリンジは、ボディが織りなす一連の動きに寄り添い、より美しく見せるのです」。キウリのこんな言葉を聞くと、1951年のステージでディオールの衣装をまとったベーカーが踊る姿が、想像できる。まさに、職人技によって、歴史が未来へとつながった瞬間だ。そんなキウリの神業を支えるのは、ほかでもないメゾンのヘリテージ。
「私にとってディオールのアーカイブは、常に動きのあるラボラトリー。いつ見ても何かを再発見できるところです。またディオールのヘリテージが広義でのカルチャーに与えた影響について熟考すると、自由に過去と現在をつなぎ、そして未来を描くことができるのです。インスピレーションや参照できる要素を探して、時にはメゾンのストーリーを学ぶために、アーカイブは頻繁に見ます。とはいえピンポイントではなく、直感に従って。自由に歴史的ピースの間をさまよい、ディテールやルックをそこここから拾い、研究して自分のデザインに取り込むのです」と、キウリ。折しも彼女がディオールに迎えられた翌年、2017年には『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展が世界巡回をスタートし、2022年にはモンテーニュ通りの本店に隣接した常設のラ ギャラリー ディオールがオープン。ディオールのアーカイブがアカデミックな視点で編集され、またアーティスティックに演出・展示されている。展示ではムッシュの歴代の後継者たちの代表作を網羅し、キウリはいずれの先任者にも敬意を惜しまない。
「イヴ・サンローランの感受性、マルク・ボアンの活力、ジャンフランコ・フェレの先見の明、ジョン・ガリアーノのドラマティックなスタイル、ラフ・シモンズのモダニズム。私はいくつかの異なるレファレンスをミックスし、新たな光をあてたいと思っています」
同時にキウリをインスパイアしてやまないのが、メゾンの創始者の人となり。「自伝も読みました。ムッシュ ディオールの仕事だけでなく人柄も理解したくて。彼が自分自身を語る言葉は私にとって、彼のクリエイションについての理解を深め、その革新性を確かめるための指標です。革命を起こそうとするアティテュードは、私と彼の共通点だと思うのです」
また、クリスチャン・ディオールとマリア・グラツィア・キウリの間の特筆すべき共通点は、もうひとつある。日本への興味と愛だ。1953年にムッシュ ディオールが創ったのが、桜の花がプリントされたアンサンブル“ジャルダン ジャポネ”。キウリが2017年、東京で開かれたオートクチュールのショーに際して特別にデザインした9点のドレスは、これにインスパイアされたものだ。
「一連のしなやかなドレスは、それらが包み込むボディのラインをほのめかします。そしてディオールのクチュールのクラフツマンシップと日本の文化との出合いによって、繊細な花の刺しゅうで飾られたジャケットやフードつきロングケープが生まれました。私は日本の文化、特に伝統的なテキスタイルにとても興味を持っています」
メゾンの創始者と先任者たちへのリスペクト、完璧なまでのカッティングや刺しゅうの技術の熟知、女性讃歌、アートへの造詣……キウリのクリエイションをひもとく鍵は多様だ。最新オートクチュール コレクションには、それらの要素が凝縮されている。
ディオールのクラフツマンシップを体感する
ディオールの強みは、そのヘリテージの豊かさにある。フランス北西部・グランヴィルには25年余りも前から、ムッシュ ディオールが育ったヴィラを改装したクリスチャン・ディオール美術館が存在する。そして、アーカイブを一堂に集め、色のグラデーションで展開する“コロラマ”をはじめ、ビジュアルアートの域の演出で見せたのが、2017年にパリ装飾芸術美術館で開かれた『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展だ。同展はその後ロンドン、ニューヨーク、カタールのドーハを巡回し、昨年末に東京にやってきた。なかでも、日本とディオールの70年にわたる関係性にフォーカスした展示は、東京だけのオリジナル。ムッシュからキウリまで脈々と続いてきた日本との深いつながり、そしてディオールのクラフツマンシップの神髄を、じかに目にできる貴重な機会となっている。
『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』
会期:〜2023年5月28日(日)
会場:東京都現代美術館
住所:東京都江東区三好4-1-1
公式サイトはこちら
(事前に必ずチケットの最新情報をご確認ください)
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