フェンディのメンズおよびアクセサリー部門のアーティスティック ディレクターを務めるシルヴィア・フェンディ。彼女にとって、家族とファッションとは切っても切り離せない関係だ。フェンディ家に生まれ、ブランドを牽引し続けてきた彼女の軌跡と、その胸に去来するものに迫る

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY ROBBIE LAWRENCE, STYLED BY HISATO TASAKA, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 12月7日、「無原罪の聖マリアの日」を翌日に控えたイタリア。この国では、この祝日を境にクリスマスシーズンが始まる。ローマでは花火が上がり、人々が祈りを捧げ、歌う。若い司祭たちがサッカーの試合をし、スペイン広場にローマ法王フランシスコが現れ、街中が湧きかえる。お祭り前の静かな午後、62歳のデザイナー、シルヴィア・フェンディは、ニットのデザインの修正に真剣に取り組んでいる。シルヴィアはフェンディ家3代目の女性リーダーだ。ファミリーカンパニーに限らず、ラグジュアリーブランド全般において、クリエイティブ面で舵を取る〈女性〉は珍しい。ミラノで開かれるフェンディ 2023-24年秋冬 メンズコレクションのショーまで余すところ5週間。この日はフェンディ本社で、新作コレクションのフィッティングが行われていた。

画像: ジャケット¥836,000、パンツ¥192,500 フェンディ TEL. 03-6748-6233

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フェンディ
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 F型のチャームとスパンコールがきらめくグレーのカシミアニットを着たモデルが現れた。「セクシーだけど、クリスマスツリーにも見える」。そう言うと、シルヴィアはサンディブロンドのショートヘアを手でサッとかき上げた。次に登場したのは上質のアスレジャーパンツ。「ファスナーがなかったら、サッカーマム(註:米郊外に暮らすアッパーミドルの、教育熱心な主婦層)がはきそうな感じね」。
こんなふうにチェックしながら数時間にわたり、彼女は次々とコメントを発した。「なんとなくカルト的」「虫みたい」「リック・オウエンスふう」「まあまあ」「まるでジューシークチュール」。「あの嫌いなライバルブランドふう」。どれが誉め言葉でどれが批判なのか判断がつかないのだが、最後の短評は絶賛を意味するそうだ。

 控えめに流れるドナ・サマーの「I Feel Love」をBGMに、ウールとカシミアを贅沢に重ね着したモデルたちが現れた。ディスコミュージックは、シルヴィアにとって青春時代の〈自由〉のシンボルだ。またこの音楽は〈ミュージック界のフェンディ〉でもある。ディスコミュージックもフェンディも、プレイフルで影響力をもつのに、正当に評価されてきたとは言えないからだ。ディスコサウンドはシルヴィアのデザインソースのひとつだが、彼女はこうした要素を明示したがらない。「‶デザインするうえでイメージする男性像″みたいなことをあれこれ語るより、ただ真剣に服づくりがしたいので」

 フェンディの男性像は、なかなか定義しづらい。アメリカ人(ラルフ・ローレン、トミー・ヒルフィガー)的なカレッジテイストや、フランス人(セリーヌ、サンローラン)風のどこか妖艶な雰囲気とも、イタリア人(アルマーニ、ゼニア)のしなやかなエレガンスとも違う。
「私が創るのは、とびきりラグジュアリーな服なのに、まるでそう見えない服」。誇示を嫌うシルヴィアにとって、スタイルとは繊細なファブリックとディテール、エフォートレスな着こなしが生む〈軽やかさ〉だ。1980年代に、薄くコンパクトなリバーシブル・ファーコートを発表して以来、この軽やかさこそがメゾンのメインテーマになっている。また「完璧すぎるものは苦手」というシルヴィアの感性は、タキシードジャケットとスウェットパンツのスタイリング(2007-08年秋冬 メンズコレクション)、ダメージデニムふうのレザージャケット(2015年春夏 メンズコレクション)、パステルトーンのクロップドジャケットのスーツ(2022年春夏メンズコレクション)などに表れている。

画像: ¥335,500、パンツ¥154,000、バッグ(参考商品)/フェンディ フェンディ TEL. 03-6748-6233

¥335,500、パンツ¥154,000、バッグ(参考商品)/フェンディ

フェンディ
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 シルヴィアが、フェンディのメンズウェアとアクセサリーのアーティスティック ディレクターに就任したのは1994年のこと。ジェンダーレスなファッションが主流になるずっと前から、彼女は〈マスキュリニティ〉という概念に疑問を抱き、メンズコレクションにクロップドトップ、透け感のあるナイロンパンツ、キルティングブルゾンなどを取り入れてきた。
有名なファッションジャーナリストのティム・ブランクスは以前、シルヴィアは「‶男らしさという自信″を揺るがそうとしている」と綴った。少女時代の彼女はピンクより、ネイビーやグレー、ブラウン、ブラックの服を好んで着たと言う。「色と性別を結びつけたことはありません」

 彼女の物言いはストレートだが、きつくはない。意見を言うときも〈一見怖そうだが、実はポケットにキャンディを忍ばせているグランマ〉のような温かさを感じさせる。コレクションのサンプルと、「キノア」や「ムーンライト」といった名前がついた生地見本帳がかかったラックに囲まれながら、彼女は数人のスタッフとロングテーブルに腰かけていた。ダスティピンクのプルオーバーを着たモデルがテーブルのほうに向かって歩いてくる。フロントに斜めの切込みを入れたその服は、ルチオ・フォンタナ(註:キャンバスを切り裂いた作品で有名な美術家)の作品をそのまま着たような、はたまたスラッシャー映画(註:サイコパスの殺人鬼が刃物で次々と人を殺す映画)の衣装部からそのまま出てきたような印象だ。

 シルヴィアは眼鏡越しにその「傷穴」を細目で見ながら言った。「うーん、そうね……ちょっとよくわからない」。するとそばにいた女性デザイナーのひとりがハサミを手に取る。この女性が何をするのか察したシルヴィアは、頷いてゴーサインを出した。女性はまず穴を数センチ分広げて、シルヴィアに視線を送り、シルヴィアが再び頷く。女性がハサミで裾まで切り進めると、パックリとフロントが開いた。その瞬間、下に着ていたグレーのアシメントリーのタンクトップが姿を現し、メンバーのひとりがハッと息をのんだ。シルヴィアはその日着ていたクリーム色のカーディガンの袖をたくし上げながら、「これでツインセットになったわね。とても素敵」と微笑んでいる。そして「やっぱり‶ヒム″セット (Him set)と呼んだほうがいいかしら」と言い添えた。

 

 

 その晩、ローマ郊外にある歴史的建造物「イタリア文明宮」は、満月に照らされてドラマチックな影を作りだしていた。1943年に造られたこの建物は、長いこと放置されていたが、2015年にフェンディ社が移転してきた。トラバーチン(註:大理石の一種)の外壁には、縦に6つ、横に9つ、計54のアーチ窓が規則的に配されている。ベニート・ムッソリーニの名のアルファベット数(註:Benitoの6文字と Mussoliniの9文字)に合わせて造られたと言われるこれらの窓からは、妖気な光がこぼれていた。シルヴィアは、ローマのビジネス街が見下ろせる、ガラス張りの役員室のスクにいる。この部屋を彼女は「アクアリウム」と呼んでいるそうだ。

 シルヴィアが好きなのは「常識とちょっとズレた‶ノーマル″」。そんな彼女の、新コレクションでのお気に入りは、〈髪の毛のようなフリンジが付いたキャップ〉、〈手袋と一体化したカシミアセーター〉、そして〈バゲット型バッグ〉(1997年以来、多彩なバリエーションが展開されてきた、フラップと短めのストラップが特徴のイットバッグ〈バゲット〉ではなく、文字どおりフランスパンの形をしたシアリングムートンのバッグ)だそうだ。「どれも、フェンディ的なノーマルさが魅力なんです」

 コレクションのサンプルをひと通りチェックし終えて、安堵したのかと思えば、彼女はすでに、次に何をどう修正するか考え始めている。「満足するとクリエイティビティが削がれてしまう」と信じているシルヴィアは、「いつだって、ああもっとうまくできたのにと悔むことが多い」そうだ。「エゴ=天才」と勘違いされているモード界では稀な、この謙虚さこそが彼女を特別な存在にしている。いまや、彼女のモード界での功績は誰もが認めるものだが、それでも不安を覚えることがあると言う。「ときどき周りのひとから、『今のポジションにいるのは才能があるから? それとも単にフェンディ家に生まれたから?』と見られているように感じて」とシルヴィアは切なげに言葉を紡いだ。だが同時に、〈女性主導の帝国〉であるフェンディと、そこで築いてきたコミュニティを率いながら、先駆的なクリエーションを発信してきたことに、シルヴィアは誇りを感じている。40年にわたる長いキャリアにおいて、彼女は50以上ものコレクションを披露してきたのだ。「私は‶この場所″に属しているんです」 

 少し前までイタリア、特にラグジュアリーの世界では、ファミリービジネスを継ぐということは、単に事業継承の権利を得ることでなく、〈崇高な任務として全うすべきこと〉と考えられていた。1921年にグッチオ・グッチが創業した「グッチ」では、まず息子であるアルド、ヴァスコ、ロドルフォの3人が、続いてロドルフォのひとり息子であるマウリツィオが跡継ぎとなった。
1913年にマリオとマルティーノ兄弟が開業した皮革製品の専門店「プラダ」では、1958年にマリオの娘ルイザが、続いてルイザの子ども3人が事業を継ぎ、3兄弟のひとりであるミウッチャがクリエイティブ・ディレクターとして長年ブランドを統率してきた。1927年にサルバトーレ・フェラガモが創業したシューズメーカーは、今もフェラガモ家が経営している。

 だがそんなイタリアにおいてもファミリービジネスの形は多様化し始め、シルヴィアはその流れに抗う希少な存在となっている。グッチ家は長年にわたる権力争いを経て、1993年にメゾンを売却。その後、フランスを拠点とするコングロマリット、現ケリング社が買収した。ミウッチャが率いてきたプラダには2020年、ベルギー人デザイナー、ラフ・シモンズが共同クリエイティブ・ディレクターとして就任。今年1月にはミウッチャと夫パトリツィオ・ベルテッリが同グループの共同CEOを退任した(註:ミウッチャは今もクリエイティブ・ディレクターの仕事は続けている)。 フェラガモ家はいまもブランドのビジネスに携わっているが、新クリエイティブ・ディレクターを務めるのは27歳のイギリス人、マクシミリアン・デイヴィスだ。フェンディは、2001年に主要株主となったラグジュアリー多国籍企業LVMHの傘下に入ったが、会長ベルナール・アルノーは、シルヴィアの才能を認めてそのままのポジションに留まらせた(買収に伴う大変革を予想していた業界関係者たちは驚いたはずだ)。「メゾンを売却したとき、ある意味ほっとしたんです」と彼女は打ち明ける。「あのときようやく『ここにいるのはフェンディ家の名前のせいでなく、自分自身のおかげだ』と思えるようになったので」

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