グッチのクリエイティブ・ディレクターに就任した、サバト・デ・サルノ。期待を背負う者の等身大の姿とは?

BY LAURA MAY TODD, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

画像: 「この写真には僕が愛する3つが集約されている。イギリス人写真家のデヴィッド・シムズ、ウクライナ系カナダ人モデルのダリア・ウェーボウィ、ロサンゼルスのホテル『シャトー・マーモント』。デヴィッドの写真は1990年代後半から2000年代初め、雑誌の切り抜きをして集めた。ダリアは僕が初めて会ったモデル。2003年に彼女がプラダに初めて参加したとき、僕はまるで追っかけで、舞台裏で一緒に撮った写真もあるんだ。僕が20歳、彼女が19歳。彼女は常識を超えた美の象徴に見えた。グッチで初めて手がけた仕事でダリアとデヴィッドを引き合わせたら、僕自身の夢がかなったように感じた」 PHOTOGRAPH BY EZRA PETRONIO

「この写真には僕が愛する3つが集約されている。イギリス人写真家のデヴィッド・シムズ、ウクライナ系カナダ人モデルのダリア・ウェーボウィ、ロサンゼルスのホテル『シャトー・マーモント』。デヴィッドの写真は1990年代後半から2000年代初め、雑誌の切り抜きをして集めた。ダリアは僕が初めて会ったモデル。2003年に彼女がプラダに初めて参加したとき、僕はまるで追っかけで、舞台裏で一緒に撮った写真もあるんだ。僕が20歳、彼女が19歳。彼女は常識を超えた美の象徴に見えた。グッチで初めて手がけた仕事でダリアとデヴィッドを引き合わせたら、僕自身の夢がかなったように感じた」

PHOTOGRAPH BY EZRA PETRONIO

 現在40歳のサバト・デ・サルノがケリングから2022年11月に仕事を打診されたとき、その内容は謎に包まれていた。同グループは世界中でラグジュアリーブランドを展開するコングロマリットで、アレキサンダー・マックイーン、バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタ、グッチ、サンローランなどのメゾンを傘下にもつ。「面接の連絡のときも、どのメゾンかは教えてくれなかった」と彼は言う。役職も、だ。当時はアレッサンドロ・ミケーレがグッチのクリエイティブ・ディレクターを退任することは未発表であった。やがて明かされたその仕事は、「自分には一生手が届かないと思っていた」という。「サインした契約書を抱えて寝たよ。自分の手もとにあることを一晩中確認したくて」

 デ・サルノは、イタリアのナポリに近いチッチャーノという小さな村で育った。母マリアと父ラッファエレのもとに生まれた3 人兄弟の長男で、本人いわく、自己表現がうまくできずにもがいていた。同性愛者でファッション好きの若者には居場所がないと感じ、19歳で故郷を離れてミラノのインスティチュート・セコリでデザインとパターンメイキングを学んだ。プラダとドルチェ&ガッバーナ(いずれも短期契約)を経て、2009年に入社したローマのヴァレンティノに腰をすえた。14年間でさまざまな部門を経験してファッション・ディレクターにのぼりつめ、クリエイティブ・ディレクターのピエールパオロ・ピッチョーリの右腕となる。

 グッチはデザインの拠点をローマからミラノ─デ・サルノがもっともくつろげる街─へ移すと発表した。「僕のミラノへの愛は深い」と彼は言う。「この街で、本物のサバトになれたんだ」。当然、グッチでのデビュー・コレクション(2023年9月)にはミラノのエスプリがしっかりと刻まれていた。強烈なマキシマリズムから方向転換し、控えめなミラノのラグジュアリーを独自の視点で体現した。超ミニ丈のベビードールドレスやロゴがあしらわれたマイクロショートパンツ、フリンジつきの裾が揺れるスカート、バーガンディや黄緑色のコートが登場した。「僕は、打ち合わせの場で『これは好き、あれはダメ』とか『この白いシャツは、ちょっと考えて明日返事する』なんて言わないよ」とデ・サルノは言う。「生地の選定から刺しゅうの確認まで、服作りの全工程に自ら関わりたいんだ」

画像: 「『LE SORELLE MACALUSO(英題:The Macaluso Sisters)』は原作(舞台作品)の著者であるエンマ・ダンテが自ら脚本の共同執筆と監督を務めた映画(2020年)。彼女は僕のお気に入りの作家で、この映画では5人姉妹のトラウマが語られる。その描写が詩的なんだ。姉妹の人生は波瀾に満ちていて悲惨だけど、シチリア・パレルモに近いモンデッロの海岸、そこに降り注ぐ光、ダンテの語り口のおかげで、作品自体はロマンチック。悲劇が起こる前、姉妹は歌い、踊っている。泣きたい人におすすめだ」 ⒸGLASS HALF FULL MEDIA/ALLSTAR PICTURE LIBRARY/ZETA IMAGE

「『LE SORELLE MACALUSO(英題:The Macaluso Sisters)』は原作(舞台作品)の著者であるエンマ・ダンテが自ら脚本の共同執筆と監督を務めた映画(2020年)。彼女は僕のお気に入りの作家で、この映画では5人姉妹のトラウマが語られる。その描写が詩的なんだ。姉妹の人生は波瀾に満ちていて悲惨だけど、シチリア・パレルモに近いモンデッロの海岸、そこに降り注ぐ光、ダンテの語り口のおかげで、作品自体はロマンチック。悲劇が起こる前、姉妹は歌い、踊っている。泣きたい人におすすめだ」

ⒸGLASS HALF FULL MEDIA/ALLSTAR PICTURE LIBRARY/ZETA IMAGE

画像: 「カーサ・デル・ポルチュアーレは、1968年から’80年にかけてナポリに建設された港湾労働者用の建物で、設計はイタリア人建築家のアルド・ロッシ。この抽象的で無骨なブルータリズム建築は一見すると醜悪だけど、床、ガラス、コンクリートのバランスが保たれている。こうした実験的な建築が好きなんだ。勇敢な試みだから。ロッシ(1997年没)に聞いてみたい。『あれを選んだ理由は? なぜこのライン? どうしてあれを?』って。当然、考え抜かれた設計なんだろう」 PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE

「カーサ・デル・ポルチュアーレは、1968年から’80年にかけてナポリに建設された港湾労働者用の建物で、設計はイタリア人建築家のアルド・ロッシ。この抽象的で無骨なブルータリズム建築は一見すると醜悪だけど、床、ガラス、コンクリートのバランスが保たれている。こうした実験的な建築が好きなんだ。勇敢な試みだから。ロッシ(1997年没)に聞いてみたい。『あれを選んだ理由は? なぜこのライン? どうしてあれを?』って。当然、考え抜かれた設計なんだろう」

PHOTOGRAPH BY ROBERTO CONTE

「ムードボードに、アルゼンチン系イタリア人の彫刻家で画家のルーチョ・フォンタナの作品を、色彩や純粋さの表現としてよく使う。キャンバスに切り込みを入れた作品は官能的。日付と署名の残し方も好きなんだ。彼は絵の裏に日付を記すことはめったにしないかわりに、完成日にまつわることを書いた。キャンバスに切り込みを入れる前に何週間も時間をおくこともあったそうだ。そんな彼のアプローチに共感する。シンプルだけど深い意図を感じるんだ」

LUCIO FONTANA,“CONCETTO SPAZIALE, ATEESE,” 1967 © FONDAZIONE LUCIO FONTANA BY SIAE 2023, COURTESY OF TORNABUONI ARTE

画像: 「ロサンゼルスでは、美しいテラスから街を見渡せるシャトー・マーモントに泊まる。昨年11月にペントハウスでロサンゼルス・カウンティ美術館のためにパーティを開いて、多くの人たちに会った。ブラッド・ピット、ジュリア・ガーナー、ジェシカ・チャステインなど。不思議なホテルで、スイートのベッドルームは快適じゃないのに、それも許せる。シャトー・マーモントだもの」 COURTESY OF SABATO DE SARNO

「ロサンゼルスでは、美しいテラスから街を見渡せるシャトー・マーモントに泊まる。昨年11月にペントハウスでロサンゼルス・カウンティ美術館のためにパーティを開いて、多くの人たちに会った。ブラッド・ピット、ジュリア・ガーナー、ジェシカ・チャステインなど。不思議なホテルで、スイートのベッドルームは快適じゃないのに、それも許せる。シャトー・マーモントだもの」

COURTESY OF SABATO DE SARNO

画像: 「自宅には必ずイタリアの詩人・アルダ・メリーニの本を置いている。彼女の作品との出合いは20年前、僕がミラノに出てきた頃。文章が情熱的で表現もリアルでダイレクト。愛が悲しくもロマンチックに語られる。メリーニはナヴィッリ(デ・サルノが専門学生時代に暮らしたミラノ市内の地区)の住人だったから、彼女は僕のミラノ生活の一部。読書したいとき、彼女の本を手に取るんだ」 LEONARDO CENDAMO/GETTY IMAGES

「自宅には必ずイタリアの詩人・アルダ・メリーニの本を置いている。彼女の作品との出合いは20年前、僕がミラノに出てきた頃。文章が情熱的で表現もリアルでダイレクト。愛が悲しくもロマンチックに語られる。メリーニはナヴィッリ(デ・サルノが専門学生時代に暮らしたミラノ市内の地区)の住人だったから、彼女は僕のミラノ生活の一部。読書したいとき、彼女の本を手に取るんだ」

LEONARDO CENDAMO/GETTY IMAGES

「これはヴァレンティノ時代、2014年のもの。初めて担当したショーは、2012年のピッティ・ウオモ(フィレンツェで半年に1回開催されるメンズウェアの見本市)。とてもフォーマルなショーで、クチュールのコートに青系の色を多く使った。よい経験だったけど、緊張したね。ディレクターの立場で制作するのは初めてだったから。今でも当時と同じ心境になり、モデルが転ばず万事順調に進んでくれと願う。制作には半年もかかるけど、ショーの時間は10分か12分。予期せぬ事故が起きたら、表現の場を失ってしまうんだ」 

COURTESY OF SABATO DE SARNO

画像: 「昨年9月のショー(グッチで初の、2024年春夏コレクション)の最高の思い出になった、舞台裏でのひととき。大半のモデルは無名で、ランウェイを歩くのは初めて。それがよいエネルギーになった。僕のデビューの場でもあったから。ミラノの街中でやる予定が、雨のためグッチ本社に会場を移すことになり、みんなは怯えたり、悲しんだり。でも僕は違った。コレクション自体がより注目されたから。新しい会場に大満足だった。1990年代を思い出したね。当時のショーは服を見せる場だった。本来そうあるべきなんだ」 PHOTOGRAPH BY FEDERICO CIAMEI

「昨年9月のショー(グッチで初の、2024年春夏コレクション)の最高の思い出になった、舞台裏でのひととき。大半のモデルは無名で、ランウェイを歩くのは初めて。それがよいエネルギーになった。僕のデビューの場でもあったから。ミラノの街中でやる予定が、雨のためグッチ本社に会場を移すことになり、みんなは怯えたり、悲しんだり。でも僕は違った。コレクション自体がより注目されたから。新しい会場に大満足だった。1990年代を思い出したね。当時のショーは服を見せる場だった。本来そうあるべきなんだ」 

PHOTOGRAPH BY FEDERICO CIAMEI

画像: 「メキシコ人画家のディエゴ・リベラが建築家のフアン・オゴーマンに設計を依頼した自宅兼アトリエ(1931年)。2019年に新婚旅行でメキシコシティを訪れてここを見学したとき、夫のダニエーレ・カスティ(41歳・弁護士)に『こんなところに住みたい』と言った。あんな別荘を建てたいね。僕たちはローマから車で3時間の小さな山間の村・アマンドラ(イタリア中部・マルケ州)に持つ小さな別宅で時々週末を過ごす。何の変哲もないアパートだよ。でもいつか、リベラの邸宅を模した別荘を建てられるかも」 SUSANA GONZALEZ/PICTURE-ALLIANCE/ZETA IMAGE

「メキシコ人画家のディエゴ・リベラが建築家のフアン・オゴーマンに設計を依頼した自宅兼アトリエ(1931年)。2019年に新婚旅行でメキシコシティを訪れてここを見学したとき、夫のダニエーレ・カスティ(41歳・弁護士)に『こんなところに住みたい』と言った。あんな別荘を建てたいね。僕たちはローマから車で3時間の小さな山間の村・アマンドラ(イタリア中部・マルケ州)に持つ小さな別宅で時々週末を過ごす。何の変哲もないアパートだよ。でもいつか、リベラの邸宅を模した別荘を建てられるかも」 

SUSANA GONZALEZ/PICTURE-ALLIANCE/ZETA IMAGE

画像: 「ダイアナ元妃のスタイルや人となり、生きざまに憧れる。この写真は、皇太子妃でありながら自分らしさも大切にした彼女を象徴している。朝、シックなドレスにバーシティジャケットをはおり、息子を学校へ送る。僕はグッチと自分の仕事を愛している。そして、愛するものはほかにもたくさんある」 JAYNE FINCHER/PRINCESS DIANA ARCHIVE/GETTY IMAGES

「ダイアナ元妃のスタイルや人となり、生きざまに憧れる。この写真は、皇太子妃でありながら自分らしさも大切にした彼女を象徴している。朝、シックなドレスにバーシティジャケットをはおり、息子を学校へ送る。僕はグッチと自分の仕事を愛している。そして、愛するものはほかにもたくさんある」

JAYNE FINCHER/PRINCESS DIANA ARCHIVE/GETTY IMAGES

「ダニエーレと僕を描いたブローチは、ピエールパオロ・ピッチョーリからの結婚祝い。僕らはイタリアのストロンボリ島で出会い、ひと夏の恋で終わるはずだったのに、12年も一緒にいる。結婚式は5年ほど前、ローマ郊外の美しい宮殿を借りきって挙げた。僕は大のパーティ好きで、250人も招待した。その半分は親族だけどね」 

COURTESY OF SABATO DE SARNO

画像: 「ブリュッセルは第二のホームタウン。ファッションや日々の雑事から離れて、ダニエーレと犬たち(ピナとルーチェ)とゆっくり過ごす。日曜日の朝、ほんの1時間でもヴィンテージ家具店『ViaAntica』を訪れるのが常で、もはやふたりのあいだで笑い話と化している。この壁画は、ブリュッセル空港からダニエーレが住む市内中心部に入ったときに見える。僕が信じる欧州の未来像を示しているから、見ると希望がわいてくる」 ⒸZETA IMAGE

「ブリュッセルは第二のホームタウン。ファッションや日々の雑事から離れて、ダニエーレと犬たち(ピナとルーチェ)とゆっくり過ごす。日曜日の朝、ほんの1時間でもヴィンテージ家具店『ViaAntica』を訪れるのが常で、もはやふたりのあいだで笑い話と化している。この壁画は、ブリュッセル空港からダニエーレが住む市内中心部に入ったときに見える。僕が信じる欧州の未来像を示しているから、見ると希望がわいてくる」 

ⒸZETA IMAGE

「僕は母にそっくり。両親と弟のアントニオとネッロは、グッチでの初のショーにいた人たちのなかでいちばん大切な存在。僕がクリエイティブ・ディレクターだからじゃなくて、サバトだから駆けつけてくれた。セレブが舞台裏にお祝いを言いに来ても、『ちょっと待って。家族と写真を撮るのが先』と言ったよ。グッチが僕の就任を発表したのは2023年1月。その土曜日の朝、僕の家族が住むコモへ、ダニエーレとともに車を走らせた。母と何時間も泣いたよ。彼女は今、僕の仕事に関わりたくて、これはと思うセレブを見ると『あなたの服を着せたらいいのに』と言ってくる。僕に関する記事や投稿も送ってくるから、『否定的なものには反応しないでね』と言っているんだ」 

PHOTOGRAPH BY SASKIA LAWAKS

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